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【随想】知られざる『萬葉集』/古代朝鮮語との係わり
『萬葉集』『古今和歌集』『新古今和歌集』と並べて、それぞれ時代を反映する特徴を持つことから特別に三大和歌集と称されております。この中でも『萬葉集』は異色なものといえるものではございませぬか。
学校で習ったときには。漢字と仮名の混じる表記でしたので、ほかのものとの違和感を感じませんでしたけれども、実際には漢字の音を基にしたとされる萬葉仮名が使われているものでございます。
それに、和歌では常識とされる枕詞、特定の意味を持たず、後に来る言葉の意味を引き立てる役割を果たすと説明される言葉が、当然のように出て参ります。
読みづらい上に、意味も取り難いものでございます。
一般的に、後世のような技巧的な所は少なく、素朴で率直な歌い方に特徴があるとされております。確かに、関東より出向き西国の護りに就いた防人の歌にはそのような趣を感じますけれども、全般的にそう言えるものなのでございましょうか。
別に萬葉集にケチをつけたいわけではございませぬ。何を申し上げたいのか、敢えて結論は最後にいたします(全文10000字)。
話の意図を分かり易いように、ここで三つの和歌を例に挙げて話を進めさせていただきます。
まず、『萬葉集』の最初、巻一の一には雄略天皇の有名な歌(長歌)が載っておりますので、これを読み解くことから始めたいと存じます。
籠(こ)もよ み籠(こ)持ち ふくしもよ みぶくし持ち
この岡(をか)に 菜(な)摘(つ)ます児(こ) 家(いへ)聞かな 名告(の)らさね
そらみつ 大和(やまと)の国は おしなべて 我(われ)こそ居(を)れしきなべて 我こそいませ
我こそば 告らめ 家をも名をも
この原文は、
籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持
此岳尒 菜採須兒 家吉閑名 告沙根
虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居
師吉名倍手 吾己曽座
我許曽者 告目 家呼毛名雄母
<『万葉百科』奈良県立万葉文化会館>
※実際には区切りを設けてなく改行もない
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前半は、見映えのする籠と竹道具を持って菜を摘む娘がいて、天皇が声を掛ける。後半は、天皇が、自分はこの大和の国を治めている。自分のほうから家柄も名前も告げようと仰る。という内容の歌でございすけれども、何故、天皇がわざわざこのような歌を詠まれるのでございましょうか。
しかも、巻頭に掲げられる歌でございます。ただ庶民の娘を見掛け興味を持ったのか、最高位の身分を持つ者が名を告げようと仰る、意味の分かるような分からないような歌にしか思えないのでございますよ。
そして、原文にある「虚見津」(そらみつ)とは、「山跡乃國」(やまとのくに)に懸かる枕詞とされ、そのように捉えるのは和歌を解釈する場合の常識でございます。しかし、この言葉がなかったら、枕詞の働きがなくなり、後に続く「山跡乃國」は引き立たなくなってしまうのでございましょうか。
ここに、この歌の一般的な解釈を二つ挙げることにいたします。
(1)「籠(かご)よ、美しい籠を持ち、掘串(ふくし)よ、美しい掘串を手に、この丘に菜を摘む娘よ。あなたはどこの家の娘か。名は何という。そらみつ大和の国は、すべてわたしが従えているのだ。すべてわたしが支配しているのだ。わたしこそ明かそう。家がらも、わが名も。」
<『万葉百科』奈良県立万葉文化会館>
※「掘串(ふくし)」は、竹や木の先端をとがらせて作る土を掘る道具のこと
(2)「籠よ 立派な籠を持ち、掘串よ 立派な掘串をもって、この岡に菜を摘んでおられる娘よ。家と名前を申せ。この大和の国は、すべてこのわれが治めているのだ。全体的にわれが支配しているのだ。まずはわれこそ、家も名も教えてやろう」 <NHK『100分de名著』>
和歌に関しては明治の煩型正岡子規は、この歌を次のように評してございます。
「ふぐしは篦(へら)の如き道具にて土を掘るものとぞ。籠ふぐしなど持ちて菜を摘み居る少女に向ひ名をのれとのたまふは妻になれとのたまふなり。當時の御代にては斯るむつまじき御事もありけん。
此御歌善きか惡きかと問ふに面白からずといふ人あり。吾は驚きぬ。思ふに諸氏のしかいふは此調が五七調にそろひ居らねばなるべし。若し然らばそは甚だしき誤なり。長歌を五七調に限ると思へるは五七調の多きためなるべけれど五七調以外の此御歌の如きはなか/\に珍しく新しき心地すると共に古雅なる感に打たるゝなり。
趣向の上よりいふも初めに籠ふぐしの如き具象的の句を用ゐ、次に其少女にいひかけ、次にまじめに自己御身の上を説き、終に再び其少女にいひかけたる處固よりたくみたる程にはあらで自然に情のあらはるゝ歌の御樣なり。
殊に此趣向と此調子と善く調和したるやうに思はる。若し此歌にして普通五七の調にてあらば言葉の飾り過ぎて眞摯の趣を失ひ却て此歌にて見る如き感情は起らぬなるべし。吾は此歌を以て萬葉中有數の作と思ふなり。」
<『子規全集』第七卷「歌論 選歌」講談社>
正岡子規大先生に代表されるように、世の中の皆さまの受け取り方は、名を告げることは特別な意味を持ち、天皇が菜を摘んでいる娘に声を掛け、名を名乗ることは求愛を意味しているのだというのでございます。延いては、五穀豊穣を祝う歌と捉えるのものなのだともいうのでございますよ。
※長年掛けて積み重ねられてきた説明に納得される方々は、きっと学問に対して素直な方々なのでございましょうね。
『萬葉集』の解釈に関しては、高校生時代から納得がいかず、教師から枕詞は長きに亙って学術的に研究されたもので日本文学の中で体系付けられて和歌以外でも転用され、その価値は認められている。疑問を抱くことがあるのであれば、それはそれで良いことなので、将来、自分で研究してみることを勧める、といわれたものでございます。残念ながら、その道には進みませんでしたので、国文学に対する懐疑的な思いは晴れぬままでございます。
最近になって、『源氏物語』を読む機会があり、現代口語訳の解釈の仕方に納得のいかぬものが幾つかございました。そこで一念発起、古文を勉強することにし、「萬葉仮名(まんようがな)」についても成り立ちを調べてみることにいたしました。
そういたしましたら、本題に関係するとんでもない本に巡り遇うことになったのでございます。それは次の本でございます。
金恩燁(きむさよぷ) 記紀萬葉の朝鮮語 明石書店 1998
李寧煕(いよんひ) 枕詞の秘密 文藝春秋 1990
李寧煕(いよんひ) もう一つの万葉集 文藝春秋 1989
まだ、三冊しか手にしておりませぬけれども、『萬葉集』は古代朝鮮語で書かれていると言えるほど朝鮮語の意味が秘められているという立場の本でございます。
以下、その内容に触れます。断然立場の異なる話(古代朝鮮語)を李寧煕『もう一つの万葉集』から引用して進めさせていただきます。
『萬葉集』冒頭に掲げられた長歌を古代朝鮮語に準じて音を拾い、意味を並記すると次の通り。
※一部のハングル文字は表記できないので平仮名で表記
” ”で囲まれた文字は朝鮮語の発音を表わす小さな文字
籠毛與(こ”む”いよ) 美籠母乳(みこ”む”ち)
(貊(こま)よ 弥貊(みこま)たちよ)
布久思毛與(ぼっくそ”む”いよ) 美夫君志持(みぼっくそ”む”ち)
(復旧(ぼっく)島よ 弥復旧(みぼっく)島の者たちよ)
此岳尒(いおんど”く”え) 菜採須兒(なたらそご)
(この丘に 吾並び立ち)
家吉閑名(いえぎ”る”かな) ‶告紗根(なに”る”ろさね)
(ここに(家を)作らむ 吾告げて住まむ)
虚見津(さろみちゅ) 山跡乃國者(やまとねならしや)
(斯盧(さろ)弥鄒(みつ) 山跡の國は)
押奈戸手(ぬ”る”ろのはそ) 吾許曾居(なおじ”く”いっこ)
(押しおきてあり 統治者は吾一人なり)
師吉名倍手(しじ”ゆる”ぬべそ) 吾己曾座(なも”む”そあんじゃ)
(鎮めねかし 吾自ら座る)
我許背齒(なおそは) 告目(にるも)
(吾急ぎ来て 告げむ)
家呼毛名雄母(いえおもなおも)
(ここに来たる 出で来る、と)
この意味からして、これは雄略天皇(ゆうりゃくてんわう)による即位宣言であると捉えることができる。
※中国『宋書』に記される倭の五国(讃、珍、済、興、武)の内、武の国王は、古墳より出土した刀剣の銘文から雄略天皇の可能性が高いとされる。 <奈良県観光局「歩く・なら」>
『日本書紀』では「大泊瀬幼武天皇(おほはつせわかたけのすめらみこと)」とさ称され、古墳時代の第21代天皇。允恭(いんぎょう)天皇の第五皇子、母は忍坂大中姫(おしさかのおほなかつひめ)、兄弟、従兄弟を皆殺しにして皇位継承を果たした。
大韓民国の『三国史書』に拠れば、この頃の朝鮮に於いても政治の変動期に当たり、百済は聖(ソン)王のときに繁栄の時代を迎えている。
このことから、その父の武寧(ムリョン)王は日本とも関係が深く名君とされたので、その一字「武」を取り、大百済(大泊瀬)の威光を借りて「若い武」(幼武)と名乗り、急いで即位したのではないかと推測される。
以下、単語を拾うと、
①「籠毛與(こ”む”いよ)」
「籠毛」は、朝鮮語の「곰(こ”む”)」のこと、熊(くま)とか貊(こま)のことで、本来、古代朝鮮の貊(こま)族のことであったが、日本では当初高句麗(人)を意味し、高句麗系から百済系への文化的影響の流れによって朝鮮人全般を指すに至った。
古代朝鮮民族は満州平原を掌握、一部は中国北東部から朝鮮半島南部に展開し、高句麗(こうくり)を建国、さらに一部は百済(くだら)、新羅(しらぎ)、伽倻(かや)を建国、その余勢を駆って日本列島にも分国を建てた。占領した領土を「復旧土(ぼっくと)」「多勿都(たも”る”と)」と呼び、二つに分裂した百済の一つ弥鄒忽(みちゅほる)國が日本列島に建てた分国は、「弥鄒(みちゅ)」は水湾、「忽(ほる)」は郡(こおり)の意であることから瑞穂國(みずほのくに)と考えられる。
「貊(こま)族の者よ」と朝鮮系の渡来人が既に日本列島に在住する同胞に呼び掛けている。
②「美籠母乳(みこ”む”ち)」
「弥鄒忽(みちゅほる)系の貊(こま)族の者たちよ」という呼び掛け。
③「布久思毛與(ぼっくそ”む”いよ)」
「復旧土(ぼっくと)」の島の者よ」と倭人(日本列島の原住民)に呼び掛けている。
④「美夫君志持(みぼっくそ”む”ち)」
「弥鄒忽(みちゅほる)系の復旧土(ぼっくと)」の島の者たちよ」と倭人への呼び掛け。
⑤「此岳尓(いおんど”く”え)」
萬葉仮名で「岳」の字を当てているのd、日本語では「この岡に」とされるが、挑戦語の音では「ここに」の意。
⑥「菜採須兒(なたらそご)」
「菜」は朝鮮語の「나(なna)」、「吾」の意。「採」は「(た”る”)」、「摘む」の意、「須兒」は「서고(そseoごko)」、「立ち」の意、全体で「吾、並び立ち」、先代の皇位を継承するの意味。
⑦「家吉閑名(いえぎ”る”かな」
「吉閑名」は「 가나(ぎるかkaなna)」、「作ろうか」の意。ここで雄略天皇が「ぎ”る”」と発音されたので「吉(ぎ”る”)」という字をあてたと考えられる。そうであるならば、雄略天皇の使われた言語は高句麗系、または百済系と考えられる。
⑧「 ‶告沙根(なに”る”ろさね)」
「 ‶」は、前文の「名」を受けて「나(なna)」を意味する。「沙根」は「사네(さsaねne)」、「住もう」の意、全体で「吾告げて住もう」の意味。
⑨「虚見津(さろみちゅ) ⑩山跡乃國者(やまとねならしや)」
「虚見津(さろみちゅ)」は、和歌で(つまり国文学者の間で)枕詞とされているが、実は解釈が異なる。「虚」は「斯盧(さろ)」または「徐羅(そら)」のことで新羅の古名、「見津」は「弥鄒忽(みちゅほる)」の「弥鄒(みちゅ)」(百済の意)のこと。
「斯盧(さろ)、弥鄒(みちゅ)、大和の國」とは、「斯盧(さろ)、弥鄒(みちゅ)と関係の深い大和の国は」と説明している。
「山跡(やまと)」の「や」は「야(やya)」で川、国の意、「ま」は「뫼(むぇ)」または「메(めme)」で山の意、「と」は「터(とteo)」で場所の意、「山跡(やまと)」とは「川と山のある所」の意。
⇒因みに「邪馬台(やまたい)國」の「邪馬(やま)」は上述「야(やya)」「뫼(むぇ)」または「메(めme)」に同じ、「台」は「태(てtyae)」で、「터(とteo)」の慶尚道(キョンサンド、朝鮮半島の南東)の方言。つまり、「邪馬台」も「山跡」も同じ意味。
⑪「押奈戸手(ぬ”る”ろのはそ)」
「押(ぬ”る”ろ)」は「押す」、「奈戸手(のはそ)」は「 하서(のhnoはhaそseo)」で「おいて」「してある」の意、全体で「押さえてあって」の意。
⑫「吾許曾居(なおじ”く”いっこ)」
「許曾」は「おじ”く”」で「ただ(唯)」、「いっこ」は「居て、居れ」の意、全体で「吾ただ一人居て」の意。
⑬「師吉名倍手(しじ”ゆる”ぬべそ)」
「師吉(しじ”ゆる”)」は「伏せる」「鎮める」の意、「名倍手(ぬべそ)」は「(ぬびょそ)」で「なびかせて」「傾き伏せて」の意、全体で「鎮めねかし」の意。
⑭「吾己曾座(なも”む”そあんじゃ)」
「己曾」は、「己(も”む”)」(朝鮮語の訓)「曾(そ)」(日本語の音)合わせて「 (も”む”)소(そ)」、朝鮮語の「自ら」の意となる。全体は「吾自ら座る」の意。
⑮「我許背齒(なおそは)」
「許背」の「許」は「허(ほheo)」(朝鮮語の音)「背」は「せ」(日本語の訓)、「許背」は「어서(おeoそseo)」、または「어셔(おeoしょsyeo)」で「早く」の意、「齒」は「와(わ)」で「来て」「来よ」の意、全体で「吾急ぎ来て」の意。
⑯「告目(にるも)」
「目」は、「もく」、「하모(はhaもmo)」(しよう)「가모(がkaもmo)」(行こう)の「모(もmo)」と同じく意志を表わす動詞の語尾、全体で「告げよう」の意。
⑰「家呼毛名雄母(いえおもなおも)」
「이에(いiえe)오마(おoまma)나오마(なnaおoまma)」で「ここに来る」「出て来る」の意、雄略天皇自らで出て来られることを意味する。
この一首を見ただけでも、やまとことばの音が便宜的にただ漢字の音に置き換えられたものでないことが分かると存じます。
次に、額田王(ぬかだのおほきみ)と大海人皇子(おほあまのわうじ)との間の応答歌として有名な和歌を挙げます。以下、同じように朝鮮語に関しては李寧煕『もう一つの万葉集』から引用いたします。
天皇(天智)の、蒲生野(がもうの)に遊猟したまひし時に、額田王の作れる歌
額田王(ぬかだのおほきみ)
あかねさす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖(そで)振る (万葉集巻一の二十)
(あかね色をおびる、紫草の野を行き、その禁じられた野を行きながら、野の番人は見るのではないでしょうか。あなたが袖をお振りになるのを)
<万葉百科 奈良県立万葉文化会館>
※「あかねさす」は「紫」の枕詞
※「紫野」は染料をとるための紫草を栽培した野で、そこは「標(しめ)」を張って一般の立ち入りが禁止された「標野」であった。題詞に「天皇、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)する時に額田王の作る歌」とあり、近江国(おうみのくに)の蒲生郡の野であり、山城国の紫野とは別の地。
<『三省堂 全訳読解古語辞典〔第四版〕』>
皇太子の答へませる御歌〔明日香宮に天の下知らしめしし天皇、謚して天武天皇といふ〕
大海人皇子(おほあまのみこ)(天武天皇)
紫の にひへる妹(いも)を 憎くあらば 人妻(ひとづま)ゆゑに 我(あれ)恋ひめやも (万葉集皖一の二十一)
(紫草のように美しいあなたを憎いと思うのであれば、人妻なのにどうして恋しく思うことがあろうか) <万葉百科 奈良県立万葉文化会館>
※額田王(ぬかたのおほきみ)は、『日本書紀』では大海人皇子(おほあまのわうじ、天武天皇)に嫁して十市皇女を生むとある。天武天皇の兄である中大兄皇子(なかのおほえのわうじ、天智天皇)に寵愛されたという話は根強いが確証はない。天智、天武両天皇との三角関係を想定する解釈があるが、池田弥三郎、山本健吉『萬葉百歌』で宴席での座興の歌ではないかという説を唱え有力視されている。 <Wikipedia>
大海人皇子は、舒明天皇と皇極天皇(斉明天皇)の子、中大兄皇子(天智天皇)の弟、天武天皇元年(西暦672年)に壬申の乱で大友皇子(おほとものわうじ、弘文天皇)を倒して、即位、飛鳥、白鳳の時代を築く。『日本書紀』と『古事記』の編纂を指示し、称号「天皇」を用い、国号「日本」と称した最初の天皇とされる。
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額田王の歌は萬葉仮名では次のように記述されている。
天皇、遊獦蒲生野時、額田王作歌
茜草指武良前野逝標野行野守者不見哉君之袖布流
<万葉百科 奈良県立万葉文化会館>
※五七五七七で区切られていない
使用されている単語を古代朝鮮語で解釈していくと、
①「茜草(ごくどしょん)」
茜の和名は「茜」「茜根」、意図的に「草」の字を書き加えている。「草」の朝鮮語は「ちょ」、「じょっ(腎)」の音に似せている。次に来る「指(じ)」に被せて「草指(ちょじ)」とすれば「腎が」の意、「茜草指(ごくどちょじ)」で「赤い腎が」の意となる。
また、古代朝鮮語で「茜」を意味する「(ごくどしょん)」の「(ごくど)」は「幻影」も意味して「(しょん)」は「立つ」「立ったので」の意、「幻立つ」の意味にもなる。額田王はこのように二重構造を持つ歌を歌うことが多い。「幻の人」、かつて親しかった人(大海人皇子)が目の前に現れた、と推定する解釈も成り立つ。
②「指(さち)」
「指」は「(さっ)」で男の「股」、または「さち)」で「股が」の意。
③「武良前野(ぼらせ”く” ぼ”る”)」
「武良前」の「武」は、日本語の音「ぶ」、「良」は日本語の音「りょう(ろう、ら)」で朝鮮語の「라(らra)」と読ませ、「前」は日本語の訓「まえ(さき)」で朝鮮語の「せく」(色の意)と読ませ、全体で「(ぼらせく)」(紫色)と読ませている。紫は女(象徴)のこと。
因みに、朝鮮語で紫色を意味する「포라(ぼpoらra)」と紫草を意味する「지치(じjiちchi)」のそれぞれ頭部を取って「포지(ぼpoじji)」で女の性器(日本語の「蕃登(ほと)」)を指す。
「武良前野(ぼらせくぼる)」は、紫草の野原の意味と共に女を象徴する部分を暗示している。
④「逝(がね)」
「逝」は朝鮮語の訓で「가(がka)」または「가네(がkaねne)」で「行く」「行くよ」の意。、また朝鮮語の音では「서seo(そ)」で「立つ」を意味する「서(そseo)」と同音。
⑤「標野(びょま”る” ぼ”る”)」
「標野(びょま”る”)」は、「(びょま”る”)」(標識とかしるしの意)をたててある「(ぼ”る”)」(領地とか神域の意)、「しるしのしてある野原」の意。日本語の「しるし」は「記(しる)す」の名詞、この「しる」の音は朝鮮語の「する」「しる」(書くの意)から来た言葉なので、つまり「立札に何か書かれてある占有地」「立ち入り禁止と記されてある禁野」という意味になる。
天皇の占有地である蒲生野(がもうの)に、天皇(天智、中大兄皇子)の妃、または妾である額田王のこと(操を守ること)を暗示していると推測できる。
⑥「(がね)」
「行」は「逝」と同様、「가(が)」「가네(がkaねne)」と同じ。「標野を行く」とは「操を破った」ことの暗示。
⑦「野守者(ぼ”る”じきしゃ)」
「野守者」は「(ぼ”る”じきしゃ)」と読むことができ「野守は」の意。
⑧「不見哉(あにぼじぇ)」
「不」は朝鮮語の訓「아니(あaにni)」で否定の意味を表わす。「見」は朝鮮語の訓「포(ぼpo)」、「哉」は朝鮮語の音「재(じぇjae)」を取って、全体で「아니포재(あaにniぼpoじぇjae)」、「見ていないであろうね」の意味となる。
⑨「君(ぐで)」
「君」は朝鮮語の訓「그대(ぐkeuでtae)」で「貴方」の意、「君」の音「군(ぐん)」は「大」を意味する「 (くん)」の酷似音となり、大海人皇子を指を暗示する。
⑩「之袖(がさ)」
和歌の結句「君之袖布流」を「君之」「袖」「布流」と区切るのではなく、和歌全体の意味を結ぶためには「君」「之袖」「布流」と区切る。
「之」は朝鮮語の訓「(がる)」で「往」の意、「袖」は訓で「사매(さsaめmae)」。この二音の頭部の音を取って「가사(がkaさsa)」となり、「(がうぃ)」(はさみの意)となり「剪(はさ)み」を意味する。
⑪「布流(ぼ”る”よ)」
「布」は「포(ぼpo)」、「流」は「류(りゅryu)」、二字合わせて「포류(ぼpoりゅryu)」、これが「(ぼ”る”よ)」とほとんど同音に聞える。「布流」は「(ぼ”る”よ)」で「広げる」の意。
「之袖布流」は「(がさぼ”る”よ)」で「剪みを広げる」、情を交わす意味になる。大海人皇子はただ「袖を振っている」のではなく性行為に及んでいるという意味を含む。
和歌全体の音を拾うと
茜草(ごくどしょん)指(さち) 武良前野(ぼらせくぼる)逝(がね) 標野(びょまるぼる)行(がね) 野守者(ぼるじきしゃ)不見哉(あにぼじぇ) 君(ぐで)之袖(がさ)布流(ぼるよ)
この歌に「が」系が三字、「さ」系が四字、「ぼ」系が七字、「가사(がさkasa)」(剪み)と「(ぼ”る”よ)」(広げる)を暗示しながら、意図して同系統の音を繰り返す韻律を作っている。
和歌全体を読み下し、意味を取ると
茜草 指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君 之袖 布流
茜草(あかね) 股(さし) 紫野(むらさきの) 逝(ゆ)き 標野(しめの) 行(ゆ)き 野守(のもり)は 見ずや 君 はさみ ひろげり
(赤い股(腎、さし))が、紫色の野原(番登、ほと)を行きます 標野 (禁野、しめの)を行くのです 野守は見ていないでしょうね 貴方が私のはさみ(両股)を広げるのを)
次に、大海人皇子の歌は萬葉仮名で次のように記述されている。
皇太子答御歌〔明日香宮御宇天皇謚曰天武天皇〕
紫草能尒保敞類妹乎尒苦久有者人嬬故尒吾戀目八方
<万葉百科 奈良県立万葉文化会館>
※五七五七七で区切られていない
使用されている単語を古代朝鮮語で解釈していくと、
①「紫草能(ぼらちょぬん)」
「紫」は、紫の色を意味する朝鮮語の訓で「포라(ぼpoらra)」、「草」は、音で「쵸(ちょcho)」、「포(ぼpo)」と「쵸(ちょcho)」で「포쵸(ぼpoちょcho)」、「포지(ぼpoじji)」(番登(ほと))の音に似ている。
また、「紫草」は、一つの単語で「「지치(じjiちchi)」」、この頭音「지(じji)」に「紫」の色を意味する「포라(ぼpoらra)」の頭音「포(ぼpo)」をかぶせると「포지(ぽpoじji)」(番登(ほと))となり、紫(むらさき)を女(象徴)に当てている。
「能」は「(ぬん)」(~は)の意、「紫草能(ぼらちょぬん)」は「(じちぬん)」(紫は)または「(ぼじぬん)」(番登は)の意となる。
②「尓保敝類(いぼべら)」
「尓」は「이(いi)」、「保」は「포지(ぽpoじji)」(番登(ほと))の「포(ぼpo)」、「敝」は「베(べpe)」で衣服が擦り切れるの意、「類」は「류(りゅryu)」で「同じ」の意、合わせて「이포베류(いiぼpoべpeりゅryu)」となるが、これを「이뻐뵈라(いiぼppeoべhoeらra)」と読ませ、「可愛らしく見える」の意、「蕃登(ほと)が可愛らしく見える」の意味になる。
③「妹乎(いもは)」
「妹」は「이모(いiもmo)」で母親の妹、叔母の意、妻(配偶者)の意味はない(日本では日本武尊が叔母を妻にしたことに関係があるのか)。
「乎」は「(ほ)」、これを「(は)」(感嘆詞「~よ」)に当てている。
④「尓苦久有者(い”る”ごげろは)」
「尓苦」と「久有者」とに区切る。「尓苦」は「(に”る”ご)」で「(い”る”ご)」(失って)の意、「久有者」の「久」は「구(ぐku)」、「有者」は日本語の「あらば」、「久有者」で「구아라바(ぐkuあaらraばpa)」、「失って苦しい」の意、「苦」と「久」の二字を入れて「苦痛久し」の意味も含んでいる。
⑤「人嬬故尓(いんさごに)」
「人妻故に」の意味も含まれるが、「人」は「(いん)」、「嬬」は朝鮮語の訓「유(ゆyu)」とも「수(すsu)」(弱いの意)とも読め、「(いん)」と合わせて「(いんす)」となるが、こえを「(いんさ)」(挨拶の意)と無理に読ませるのは、「人嬬」(人妻)の意と二重に表現するため。
「故尓」の「故」は「고(ごko)」、「尓」は「이(いi)」、合わせて「고이(ごkoいi)」、これを「거이(ごkeoいi)」(~なのでの意)と読ませる。
「人嬬故尓(いんさごに)」は「挨拶したので」「言葉を掛けてきたので」の意味となる。
⑥「吾(な)」
「吾」は「나(な)」(われの意)。
⑦「恋(げひ)」
「恋」は日本語の訓「こひ」を朝鮮語に置き換え「고히(ごkoひhi)」(特に気を遣って優しくの意)、または「피외히(げpioeひhi)」(静かに、密かにの意)という言葉にする。「恋」と「密かに」と二重の意味にしている。
⑧「目八方(ぬんば”る”も)」
「目」は「(ぬん)」、「八」は「(ばる)」、「方」は「모(もmo)」(角の意)、合わせて「(ぬんばるも)」で「脇見する」、片方の眼でちらりと見るという意味があり、してはいけないことをするの意味を含む。
「吾恋目八方(なげひぬんば”る”も)」は「われ、密かにちらりと見る」という意味になる。
和歌全体を読み下し、意味を取ると
紫草能 尒保敞類 妹乎 尒苦久有者 人嬬 故尒 吾 戀 目 八方
紫草(むらさき)は 愛(かな)しや 妹(いも)よ 失(うしな)い苦(くる)し 言いかけくるに われ ひそやかに 脇見(わきみ)せむ
(紫草(番登、ほと))は、可愛らしい 君を失って 苦しい 言葉をかけてきたので 私は 人目につかないように 脇見をするけれど)
引用は以上でございます。
著者の抱くもやもや感、違和感が払拭されたわけではございませぬけれども、これだけ古代朝鮮語で意味を拾えるということは、『萬葉集』には新たな視点より探り出される事実が未だに多く眠っているのやもしれぬという思いがございます。
しかし、こうしてわざわざ古代朝鮮語の話を挙げたのは、この立場が正しく、既に国内で受け入れられている解釈が間違っていると主張するわけではございませぬ。
毎晩のように月を眺めていても、実は表側の半分しか見ていないのと同じことで、裏側には別の地形があるということを知らないという事実があるわけでございます。
『萬葉集』は、丁寧に文字(萬葉仮名)を追って意味を拾っていくと、古代朝鮮語の音訓、日本語の音訓が入り混じって、漢字(萬葉仮名)一字を二通りに読ませたりして複雑な構成を持って書かれてあることが分かります。また、日本語(口承のやまとことば)を漢字で表わすとき、中国語の意味(漢語)も朝鮮語の意味(古代朝鮮語)も含まれてくるのやもしれませぬ。
同じアルタイ系言語に属するとされて共通点も多く見出だされる朝鮮語との関係を見ることは、単なる和歌集ではなく言語学上の重要な情報の詰まった研究書とでも申し上げて良いのではないかとさえ存じます。
真理を目指すが学問となれば、多方面から多角的に探究していく姿勢が必要となるものでございましょう。『萬葉集』の研究に、新たな視点による新たな展開が進み、一般大衆に新たな知識が提供されることを期待いたしたく思うところでございます。 <了>