継続は力なり
継続は力なり
誰もがその通り、と思いつつ
ほんのひと握りの人しかその効果を実感できていない
英語を勉強しようと思い立って参考書やアプリを入れても
三日坊主で終わってしまう
こんな経験は誰にでもあるはずだ
なんとなくやっといた方がいいだろう…
電車の広告やSNSでよく見るからとりあえずやっとかないと…
そうやって消費者の危機感を煽ってお金を取ろうとするサービスは山ほどある
たとえば語学学習、簿記やTOEICなどの資格取得がそれにあたる
本屋の資格コーナーに行けば〇〇検定と書かれた冊子が山ほどあり、就職や転職に有利、とデカデカと書かれている
でも考えて欲しい
その資格はなんのために必要なのか
いま、差し迫って必要なものなのか
明日からの仕事で活用するものなのか
いま熱中できるものがないけど、時間は余っているし
とりあえず取っておいた方がいつか役に立つかもしれないし、
そんな理由が大半ではないだろうか
それは断固としてやめた方がいいと思う
たとえば夏休みの宿題を思い出してみよう
夏休み1日目の宿題に対するモチベーション、集中力と
夏休み最終日に残りに残った宿題にとりかかるときのモチベーションと集中力を
後者の方が効率や処理スピードは全く違ったのではないだろうか?
英語の勉強もそう
特に英語を使う環境もない中で週一回の英会話教室に通うよりも
外国に留学して、英語を読み聞きできないと生きていけない環境で英語を勉強する場合
継続度は天と地ほどに違うはずだ
前者の場合、時間を空費してしまうことになる
長くなってしまったけれど何が言いたいかというと
社会人になって勉強や部活を強制されることがなくなると
人は不安になって熱中できるものを探そうとする
けれどそれは本質的に差し迫って必要なものではなかったり、好きなものではないことが大半だ
そのときに、継続によって得られる恩恵は微々たるものになる
つまり人としての成長カーブが、熱中できるものを見つけられた人と比べてずっと緩やかになってしまう
ずっと夏休み初日のままだ
ここで本題
任天堂の故岩田聡社長は天才の定義を以下のように言っていた
「天才とは、人が嫌がるかもしれないことや人が疲れて続けられないことを延々と続けられる人のこと」
脳科学者の池谷裕二さんは天才になる脳の仕組みを以下のように説明していた
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記憶の相乗効果には、一般的に「累積効果」があります。つまり、学習の効果は指数関数的なカーブを描いて上昇します。
(2, 4, 8, 16, 32, 64, 128, 256, 512, 1024, 2048, 4096 … のような感じ)
ですから、最初はなかなか効果が目に見えてきません。しかし、そこを通り抜けると、グンと伸びていくわけです。
天才と凡人の差は大きいですが、天才同士の能力差はさらに大きいことも分かります。どのような分野でも、レベルが高くなればなるほど、各個人の能力差が広がっていきます。
上のように、相乗効果が現れるには多少時間がかかります。結局のところ、何かを習得するとき、もっとも大切なことは「継続は力なり」ということになります。なかなか結果が現れないからといって、すぐにあきらめてはいけません。
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天才とは続けられる人のことなのだと、私は思う
思い出してみてほしい
夢中になって部活や仕事に取り組んだ日
その日は充足感でいっぱいで、夜更かしなどせずすぐに寝付けたのではないか
逆に、何も熱中せずダラダラ過ごした休日ほど
1日を終えたくなくてズルズル起きてしまう
こんな日は1日でも多く減らそう
では、継続するために何が必要か
これも岩田聡さんが言及していたけれど
取り組みたい事柄に
フィードバック=快感、ご褒美
これがあるかどうかが大事だ
面白いゲームやツイッターなどのSNSは
時間を忘れて熱中してしまう
ゲームやツイッターの継続はそれはそれで何かの力になっているかもしれない
けれど、それは大半の場合、社会で価値のあるものを生み出す力にはならない
また、これらは所詮他人に与えられたものであり
自分が真に行いたいもの
自発的に行いたいものではない
マスターベーションと同じ、インスタントな快楽にすぎない
ではどのようにフィードバック、いわゆるご褒美の設定を行ったらいいか
ここでも岩田さんの言葉を借りよう
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「なしとげること」よりも、「なしとげたことに対して快感を感じられること」が才能なんじゃないかと思うんですよね。いってみれば、ご褒美を見つけられる、「ご褒美発見回路」のようなものが開いている人。
自分が注ぎ込んだものよりも、ご褒美のほうを大きく感じる瞬間が来れば、よい循環がはじまるし、それが続くんです。たぶん、人が自分の人生のなかで、「ここが得意かも」って思ってることって絶対ご褒美回路が開いてますよ。
そして、それがひとつあると、できることがさらに増えていくんです。というのも、そのご褒美回路のそばに、似たようなことで自分がご褒美だと感じられる別の新しいものがあるんです。 いままで得意だとは思ってなかったことで、「じつは、これも同じじゃん」って思えるようなことが出てくる。
たとえば、プログラムをつくることと、会社経営はよく似たところがあるぞって、わたしは発見していくわけです。 そういったつながりが発見できないときは、得意なことは増えていきません。
たとえばわたしがプログラムだけを専門にしていたときは、組織や経営の本を読んでも、つながってないからほんとうの意味では頭に入ってこないんですね。たしかに知識は増えるんですけど、知識が増えるだけだと達成感がないんです。
「明日、これがつかえるぞ」っていうことがないんですね。そうすると、「ご褒美」が感じられないわけです。
自分の身のまわりにあることとつながっていないことを無理に勉強しても、身につかないんですよ。だったら、それに時間を費やすよりも、自分が好きで得意なことをやろう、という優先順位になってしまうんです。
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英語の勉強にも同じことがいえるけれど、
「明日、これがつかえるぞ」
これがあるだけで、実践してみて上手くいったいかなかったのフィードバックにつながり
上手くいった場合はご褒美になる
継続は力なり、を言葉にすると
そういうことだと思う