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39 知らない星で息ができない
大学を異動してから、まったく言語がわからず、酸素もない星に来たかのようだ。
職務に関する説明がないことが辛い。いきなり「これを決めてください」「この委員をしてください」「人を探してください」「ほかの先生との業務を仕切ってください」と指示が飛んでくるが、なにも説明がない。
どの会議には出る必要があり、どれはないのか。入試を作れと言われても様式と過去問はどこにあるのか。ほかの先生の連絡先は。教員、職
36 まだ死にたくない
過労死しそうだ。休みがない。
土日は入試や外部組織の委員や出張で潰れている。自宅が仕事の合間に帰る給水所みたいな位置付けになってくる。
現在の大学は仕事量が多いのもあるが、予定が急に入ってくるのがきつい。2週間後の土曜日に出勤してくれとか、今日ハンコを押すために大学に来てくれとか。
子供、老人、病人のように一人で置いていけない家族がいたら成り立たない。
今の学生はメールを見る習慣がないのでLIN
33 老兵の背中を見ない
恩師を「老害」と感じるようになってしまい、そんなことを誰かに言えるはずもなく、悩みに悩んで始めたnote。
この恩師も最近は連絡をよこさなくなり、共通の知人に「若い人は忙しい。みんな冷たくなって寂しい」とこぼしていたらしい。自分もその一人かと思うと胸が痛くなる。
しかしもう連絡は取りたくない。先生が悪いのではない。多分どういう接し方をされても、こちらの受け取り方が悪いから関係は悪化する一方だろう
29 教育困難大学の思い出
前回「老いて学生への受容度が上がった」と書いたが、間違っていた。単に大学を異動したおかげで教員にとって扱いやすい学生に囲まれるようになっただけなのかもしれない。
かつて勤めていた教育困難校にも尊敬すべき学生はいたが、悩まされ、驚かされることの方が多かった。
・志望大学は通学距離で決める
「家から近いからこの大学にした」という学生が多かった。偏差値や学費は理由にならない。
・基本的に学校は嫌な場
16 誰にも会いたいと思わなくなった
新しい大学に来てから死にたいという気持ちがぶり返した。最近はマシになってきて仕事のために死ぬなんて馬鹿馬鹿しい、また公募戦士に戻るか別の仕事に就けばよいと考えるようになった。
しかし依然として人に会いたいと思えない。友達にも家族にももちろん老害研究者にも会いたくないし、尊敬している研究者にさえいまいち会いたいと思えなくなってしまった。
忙殺されて時間がないというのは確かに理由の一つだが、それより
19 辞めた先生になにを言われても
SNSで教員論を発信している教員が実はすでに退職しているとわかると「あーあ」と思ってしまう。
たしかに続けられないくらいの辛い思いをした人だからこそ退職に至り、わざわざネットで教員論を書きもするのだろう。自然なことだ。
しかし、なにを書かれてもあなたはもう当事者ではない、もうここから出たのではないかと思ってしまう。
辞めた先生に励まされてもなんとも思わない。10年担任やったとか言われても、でも
5 研究っぽいことがしたいだけ
招待講演や招待報告をすると、終わった後で「この学会に入ってくれ」「研究チームに入ってくれ」と言われる。他の業界同様、学問の世界も人不足。パイの奪い合いが起きている。
その会を維持するためにメンバーになってくれというのはわかるが、不思議なのは入会とセットで報告(発表)も求めてくることだ。そんなに集まって研究したいなら自分で報告したらどうかと思うが、誰もしたがらない。
「ぜひahoさんに研究会に入
3 研究者に金を払ってくれるのは誰か
大学教員として、次のような仕事をしている。
金をもらえる校務>金をもらえる講義>
(大学にノルマを課されている)
金にならない学生対応>金にならない学会活動>金にならないマスコミ対応>
(やってもやらなくても給与に影響しない)
金にならない自分の研究
(誰にも求められてない)
一番やりたい自分の研究は、金にならないし管理もされていない。だから金になる仕事よりも後回しにせざるをえず、「こんな