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山田ピンポンショッキング①前益幸さん

ピンポンショッキング?!

笑っていいとも!でお馴染みの「テレフォンショッキング」
次のゲストを出演者が紹介し、繋いでいくという仕組みの番組ですが…

それを神戸市北区山田町のエリアでやってみよう!というのがこの企画です😀

神戸市北区には農村地帯が広がっていて、その1つの「山田町」が私の地域おこしの担当のエリアです。
都会から移り住んできた私は、山田町のことをまだまだ何も知りません。

山田に住んでいる人って、どんな人なの?
昔の山田ってどんなところだったんだろう?
自分の地元の好きなところや、魅力はどこなんだろう?

そんなことを知るべく、地域の方にインタビューを行い、その次のインタビュアーを紹介してもらうという…

題して『山田ピンポンショッキング』スタート!

今回は第1弾、前益幸さんのお話を紹介します😀

山田で生まれ育った前さん

前さんは戦後の昭和24年、現在74歳です。
生まれも育ちも山田。山田小学校、山田中学校の出身です。

その後は長田村野工業で機械関係を学び、自動車の整備の会社に就職しました。
お仕事の内容は、大型のバスやトラック、特殊機器、コンプレッサなどの整備だったそうです。
この時期は、神戸市が団地を作り始めた初期の段階だったので、住吉など東灘の地域で使っていた重機がよく故障したそう、それを修理するというお仕事でした。
しかし給料が安いなどの理由で2〜3年で転職をしました。
 
転職先は、三菱商事系の化学薬品の会社。
プロパンなどを積んで帰ってくる船などのチェックを税関でしていたそうです。
税関職員がいない時間帯の代理業務だったため、深夜に働いており、夜中の2時交代、朝の10時ごろまで勤務だった日も少なくなかったのだとか…。
 
その後、元消防職員の方に声をかけられ、試験を受けて消防職員になったそうです。
昭和46年5月に消防学校に入り、11月に消防士として働き始めました。
昭和59年10月に市役所の消防局救急課に所属。筆頭主任や予算など、定年まで色々な仕事をされていました。
定年後は6年間、本部特殊災害隊で勤務されたそう。
長く消防関係の仕事をしていましたが、消防はあんまり好きじゃなかったそうです。
 
退職し66歳の時に農業を始めました。
始めたのは退職後でしたが、小さい時に兄弟みんなで手伝っていたそうです。作っていたものはほぼ全部米、かつては山田菊や苺も作っていたそう。
山田は山田菊が有名ですが、昔は結構みんな菊を作っていたみたいです。

小さい頃の思い出

小学生の時は、1つの集落に4、5人の子供がいたそうです。
家の近くの倉庫に集合して、お姉ちゃんお兄ちゃんと一緒に歩いて通っていた思い出があると話してくれました。
当時は小学校は、全校で400人以上はいたとのこと。
現在山田小学校は全校で約40人なので、10倍以上の人数がいたということですね。
 
小学校が終わって、帰ってきたら田んぼでソフトボールをして遊んでいたそうです。
田植えが終わり、田んぼに水が張ってる時は、山でチャンバラごっこなどしていたのだとか!
刀を竹で作ったり、ナイフで研いだりするなど、結構本格的に作っていたそうです。
この時代は遊ぶものも自分達で作っていたのですね。

山田の好きなところ

これといって山田好きなところはない。とはっきり言われてしまいました😅笑
仕事してた時は家に帰ってくるだけだったようで、タクシーを乗り継いで帰ってきていたそう。
カプセルホテルで寝たり、倉庫で寝たりしてたことも多かったようで、仕事をしていた時は山田にほとんど帰っていなかったみたいです。

とはいえ、家を出る選択を取らなかったということは事実で、
客観的な視点から見ると、街から帰れる場所にある!というのが山田のいいところなのかなと思いました。

山田の変化、課題など

山田は昔とあんまり変わってない。というのが前さんのご意見。

ただ、子育て、親の面倒など色々大変であったり、後継ぎも少なってしまったこともあり、若い人が出ていってしまったと感じているようです。
農業も、昔は国からの補助があったけど今は農業の収入が少なくなったという事実があります。

地域の自治会、お寺の宗教などの仕組みにも色々な課題があるようです。
地域の新しい組織ができても、結局自治体が牛耳っていることが多いと感じることもあるのだとか。
既に決まっていることも多く、新しくて若い人の出る幕や関わりしろが少ないため、結局会費だけ払って、協議には参加しないパターンも多々あるそう。
 
問題はため池にも。
山田の農業は基本的にはどの地域もため池から水を引っ張って、水路に流しています。それを当番制で掃除をしていますが、掃除しないと葉っぱが流れてくるため、引っかかると水が止まってしまいます。
用水路の掃除当番にも、存続に課題があります。一方で水道にすると、今度はポンプなどを使うのでランニングコストがかかってしまいます。
 
このように、地域には色々な課題があるということが、前さんのお話を聞いていてわかりました。
新しい人が増えていくのはいいことかもしれないけど、知識、技術など親から譲り受けた何かがないと、田舎に住んでいくのは厳しいと感じているようです。

今後の山田について

今後、山田がどうなって欲しいかを尋ねると、小学校の人数増やした方がいいとお考えでした。
 
ただ、本当に田舎に若い人がいればいいのかな?という思いはあるそう。
年代に限らず、技術と知識がある人がいた方がいいのではないかとお考えです。

ただ、経験したことがない人に、いろんなことさせてあげたいとは思っているそうで、
自分からやっていく姿勢や、目標としたことを最後までしようとする姿勢が見えると、手伝おうかなと思うという気持ちがあるとのことでした。


まとめ

私自身も、山田で生活をしていて、圧倒的な知識・技術・経験不足を日々痛感しています。
色々活動していく中で、前さんを含め、地域の方々にとても良くしてもらっています。

ただ住みたい!という人よりも
地域のことを知ろうとすること、そういった人に来てもらい、一緒に山田をを元気にしてもらえたらいいなと感じました。


 
 


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