どうして茅葺きを残したの?③箱木さん
茅葺きのお話シリーズ第3段
こんにちは。
茅葺き屋根の住人の方にインタビューする「なぜ茅葺きを残したの?」のコーナーです。
今回は第3弾、国指定の文化財にも指定されている、箱木千年家をお持ちの箱木さんにお話を聞きました。
日本最古の民家「箱木千年家」
箱木千年家は、現存する民家建造物の中では日本最古のものと言われています。
文化財の指定を受けたのは、昭和42年。
そして、昭和52年まで実際に住んでいたそうです。
その後、衝原のダムができるから現在の場所に移築復元されたそうです。
移築するにあたり、色々な調査がされました。
10数年前にある大学の先生が調査した時に、柱の年代調査をした結果、鎌倉時代のものであることが判明したのだとか。
箱木さん自身も、「時が流れ、だんだん貴重なものになっている。」という実感があるそうです。
千年家に眠る記憶
施設内に移築前の箱木千年家の模型が展示されています。
昔は大きな屋根で、素材は全部麦藁でした。
というのも、家の周りの田んぼで麦を作っていたため、そこで取れた麦藁を屋根に保存していたんだそうです。
箱木さんは山田生まれ、山田育ち。農家になって家を継ぎました。
小学校の頃から、田んぼの草取りしたりお手伝いをしていたそうです。
かつての農業は牛を飼っていましたが、数年後から耕運機を使うようになったそう。
今と昔を比べて、「牛の時はのんびりしててよかった。機械に使われてしまう。機械になると忙しい。」なんてことも感じているようです。
農業だけでなく、自分の屋根の葺き替えもお手伝いしていました。
職人さんは志染町の4人に、箱木さんの子供の頃からずっと頼んでいたそうです。
当時の思い出を聞いてみると、
「天井から藁を下ろすなど、準備するのが大変だった。」
「忙しい。忙しい。屋根を上がったり下がったり。」
と、とにかく忙しくて大変だったようです😅
私も現在、くさかんむりの現場でお手伝いをしていますが、昔はそういう仕事をしてくれる人はおらず、
職人がきて屋根を葺く、屋根葺きの下回りをその家の人が手伝う、という仕組みだったようです。
ある地域には、1つの屋根の葺き替えを集落の人たちで手伝う「結」という文化もありますが
それは当時このあたりにはなかったようで、自分で茅を準備、茅葺き職人に頼むという感じだったようです。
茅葺きのお話を聞いて、昔の農業の話も一緒に聞くことができました。
昔は、身の回りにあるもので色々なものを作っていたのですね。
農家の家に茅や藁が使われていることに納得です。
なぜ茅葺きを残したのか?
文化財に指定される前であれば、新築にしたり瓦をかぶせるトタン屋根にすることもできたと思いますが、なぜそれをしなかったのでしょうか。
それは箱木千年家は、地域からも大切にされてきた家だからではないかと思いました。
古くからの史跡があるなど、元々古い家として地域の方々に認識されていたそうです。
文化財に指定される前から、いろんな人が家に見にきていたのだとか。
山田文化保存会の方からも「昔よく箱木千年家を見に行った。大きな藁葺きの屋根は圧巻だった。」という話を聞いたことがあります。
文化財だから残ってきたのではなく、残ってきたから文化財になった。
昔から地域の人たちに大切にされ、愛されてきた茅葺き民家だったからこそ残り続け、
国が指定し、日本が誇る文化財になったのかもしれません。
あくまでも私の主観ですが、そういう優しくて温かい背景を感じました。
管理ではなく「保存」すべきもの
現在、箱木さんは千年家には住んでいません。
お茶をしたり、休憩をしたりするなんてこともないそうです。
箱木千年家と他の家が大きく違うのは、文化財であるということでした。「住んでたら家の管理だけど、指定されてしまったので残さないといけない。」という言葉が印象的でした。
国指定の文化財なため、葺き替え費用の補助金は出るようです。
しかしそれでも、ある程度大きな額を負担しなければならないのは変わりません。
管理とはまた別の「保存」の維持も、大変だなと感じました。
茅葺きに対する思いも「普通。当たり前。」とおっしゃっていました。
幼い頃からずっと茅葺き屋根を知っていると、そういう感覚の人も多いかもしれません。
千年家をどうするのか。これから先は、息子さんに託すそうです。
非常に貴重な文化財、なんとかして残していきたいと感じました。