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山田ピンポンショッキング⑥和田廣視さん

第6弾!和田さんのお話

地域の方にインタビューを行い、次の人を紹介してもらう。
「山田ピンポンショッキング」第6弾。

岸本さんからのバトンは、同級生である和田廣視(わだひろし)さん(67)にまわってきました。
岸本さんと同様に、パワーのあるお話が聞けました😀

今も現役!

和田さんも岸本さんと同様で、生まれも育ちも山田。
昭和29年生まれで、現在67歳です。

山田中学校を卒業後、鈴蘭台高校に進学しました。
ちなみに現在は西鈴蘭台高校と合併し、神戸鈴蘭台になっているそうです。

そこを選んだ理由を尋ねると、学力がなくてそこにしかいけなかったから。と即答でした😂
学区の中で、7つくらい受けれる高校があったため、その中から選んだそうです。

その後は、甲南大学法学部に進学したものの、雰囲気が合わないので好きではなかったそう😅
「勉強してない、行っただけ。3年の時に単位とって、4年生にアルバイトしてた。あほうがくぶだよ笑」
とお話ししてくれ、笑いが止まりませんでした笑

その後上組に就職し、今年の3月に退職するまでずっとそこで働いていたそう。
全国の港で倉庫を持っている総合物流会社です。

昭和52年の入社でしたが、その当時はオイルショックなどで就職難の時代でした。
いろんな会社を受け、神戸にある会社で内定をもらえたため就職を決めたんだそうです。
なんと入社時に体力テストがあったそう。
仕事内容も肉体労働で、体力系だったためは自分にあっていたんだとか。
面白い会社ですね…!

退職後、現在は日光海運で働いているそうです。
貨物船を扱う仕事で、週5で働いてるんだとか。

家にいても邪魔、年金だけじゃ生活できないなどの理由から退職後も働いているそうです。
体力的にしんどいなどは特にないそうで、和田さんのパワーを感じました…!

小さい頃の思い出

和田さんが4年生くらいの時は少年野球をやっていたそうです。
その後は中高でバスケをやるなど、幼少期はスポーツに青春の時間を使っていたんですね。
大学では、学校自体あまり好きではなかったため、入らなかったようです。

そんな和田さん、昔から仲の良い5人組がいるそうです。
そのグループ名はなんと「ゴキブリ会」!?笑
今でもよく集まってご飯を食べに行くくらい仲良しなんだとか。
飲食店に予約すると、お店の方に嫌がられたり、変えてくださいと言われたりもするそうです😂

どうしてそんなグループ名になったのかを聞いてみました。
メンバーのある1人の家に集まって遊んでいたところ、
「夜中に集まってコソコソしてるなんてお前らゴキブリみたいだな」
とお父様に言われたのが名前の由来だそうです。
…いちいち面白すぎます😂

和田さんが小学校の頃、田んぼでは牛を飼って米作りをしていたそうです。
神社で遊んでたら、その牛がたまに逃げてきたこともあったのだとか!

今のようにゲームもなかったので、柿の木に登ったり、神社の周りで走り回ったり、チャンバラごっこをしたり、冬坂道のソリを作って遊んだり。。。この時代は、遊ぶものを作ってたんですね。

農業の厳しい現実

和田さんの家は、車で5分くらいのところに畑をお持ちです。
車もなかった時もあったので、畑までは歩きで行ったり来たりしていたんだとか。
収穫したものも手で運んだ経験もお持ちでした。

畑3箇所ありますが、現在は1箇所しか使ってないそうです。
販売することも特にせず、兄弟、知り合いに送る程度なんだとか。

岸本さんはお休みの日に畑を趣味的にやっていましたが、和田さんはそうでもないようです。
別にしたくないけれど、先祖からあるものだからあそばしたら勿体無いというお考えで、機械が壊れるまではやろうと思っているそうです。

息子さんに継いでもらおうとも思っていないそうです。
というのも、買った方が安く機械代だけで赤字なんだそう。
やっている本人もアホみたいだ。とおっしゃってたのが印象的です。

儲からないからみんなやめていき、その結果山田も休耕田もかなり増えています。
兼業農家はかなり厳しく、作ったら赤字状態。
草刈りは大変ですし、そこまでして作るのか、という感じなんだそう。

農業の課題のリアルを知りました…

山田の好きなところは?

山田のどんなとことが好きか聞いてみました。
こちらも岸本さんと同じく、「別にない。嫌いじゃないけど」とのこと😅
ずっと神戸にいる、それが当たり前、何が好きとか考えたことないという感じだそう。
当たり前だからこそわからないことってありますよね。

印象的だったのは、自然や風景は好きだけど、虫は大嫌いなんだとか!
蛇が出てきたら叫び回っているそうです笑

和田さんは一度、転勤で千葉に住んだ経験があるそうで、
その時に息子さんが「ここ土がない」といったことが印象的だった、とお話ししてくれました。
その時に、人間としては土があって自然がある環境がいいと思ったんだとか。
アルファルト、コンクリート、人工物ばっかりで便利だけど、不自然であると感じたそう。

山田を出なかった理由は?と尋ねると、お金の面が大きかったようです。
家から通ったら家賃がかからないし、山田は通えない距離じゃないくらい、交通の便は良いです。
何もできないから一人で生活するとか考えられず、特に出たいとは思わなかったそうです。

山田課題、今後のこと

真っ先に感じることは、子供が少ないこと。
今、山田小学校の人数は50人をきっていますが、和田さんの小学生時代は2クラスあったそう。
子供が減るのは寂しいと思っています。
また、農業体験など、色々町おこしやってるけどなかなか難しいと感じているそう。
農業が衰退し、若い人が減り、子供減る、とにかく人が減るということは寂しいと感じています。
人が減れば、使うものが減る、作るものが減る、国が栄えるわけないとお考えです。

風景の変化としては、変わったのは道路だそう。
バイパスも新しくできたり、今あるサイクリングロードもかつては田んぼ道で、昔はなかったそう。
今は奥さんとの散歩コースになっているそうです。

生き物は蛍が3年前に復活したそうです!
確かに、山田では蛍が見えるところがたくさんあります。
農薬使うのを控えたりしたことで水が綺麗になってきているそうで、とてもいいことだと思いましたが、そうでないこともあるそう。
川の流れは山田川→加古川→明石に出ます。
その明石の方にプランクトンが減って、イカナゴが取れなくなったんだとか。
水も綺麗になってもいいことばっかりじゃない。ある程度汚れも必要なんだそう。
勉強になります…!

今後の山田について聞いてみると
「都会でも農村すみたい人がもっと増えて、子供が増えなあかん
子供が増えてない地域で元気な地域なんてないんちゃう?」

とのご意見でした。
若い夫婦が定着するような方法を考えるべきで、規制など、法的な改善も必要だと感じているそうです。

また、小さいながら行事があるのも山田の特徴です。
七社神社の役は準備がとても大変なんだとか。

そして、流鏑馬祭り、神輿祭りはすごい歴史を持っています。
こういった文化も人が減っていることにより存続の危機にあるのがとても悲しいと思いました。

また、新しい人が入ってくることに抵抗はないようです。
しかし、田舎に来たら地域の行事、慣習には付き合ってもらわないと困るとお考えです。
地域には、消防団、自治会、行事など色々な付き合いがあります。
それも含めて、田舎に来る覚悟があるのかどうかというのは、難しさはあると思うとのことでした。

まとめ

岸本さんも同じなのですが、現役でまだまだ働かれていて本当に67歳に見えないです…
山田にお住まいの方は本当に元気に、いきいきと生活されているのが印象的でした😀

一方で地域ならではの課題を色々聞くことができました。
私もまだまだ知らないことがたくさん、もっといろんな方に話を聞いて勉強できたらと思います。

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