「運」の世界に生きようとする人
ぼくは20代の頃、ギャンブル依存症だった。
講義を休んでは、パチスロ、日曜日は競馬、お金は常にない状態だった。
できる友人は、語学の勉強や診療所にバイト、ぼくはお金が無くなるとスキルの貯まらない警備員のバイト。
その差は開くばかり、、、
ぼくって何ももってないな、、、
もたざる者だ。
大学6年間でできる友人は、経験、知識、地位、人脈、信用力、礼儀作法などトータルのスペックが高い状態で市場に投入される。
当然、高い給料で勤務医で社会人スタートする。
逆に、ぼくみたいにもたざる者は、安い給料で買いたたかれる。
当然、勤務医から経営者になってからも差は開く、ビジネス能力の高い人は多くの優秀な人材を雇い、組織力を高めていく。しかも土日はセミナーに参加して、自分を高めようと努力している。
ぼくは3年間、安い給料で働き続けた。
なんでそこまで差が開くのか?
それは人生の要所で積み重ねてこなかったからだ。
その場その場の感情に流され、足もとの快楽を拾い続け、経済的によくない選択を積み重ねた結果が、このありさまである。
いまでは、何とか努力してやってこれたが、ぼくの20代は最悪だった。
最悪だったと自信を持って言えるからこそ、みんなには絶対そうなってほしくないとアドバイスできる。
もっと、こうしておけばよかったと後悔していることがいくらでもある。
何も持たないまま、30代になり、そこからなにもしなければ、そのまま中年になり、老いていく。人生はあっという間だ。
20代のぼくは努力できない自分を棚に上げ、ギャンブルに逃げていた。
そこでは、経験、知識、人脈、信用力なんて関係ない世界だからだ。
勝負をきめているのは「運」だけだから。
運の世界は居心地がいい。なにしろ、もたざる者と、もっている人は同じ土俵で戦える。疑似的平等ワールドだ。
競馬にパチンコ、経験や能力、身なりなど関係ない、自分には運があると、意味不明な根拠でギャンブルにはまり、宝くじを握りしめ、夢に酔い、負け続け、酒とタバコで自分を慰めていた。
そんなどうしようもない20代、逃げ続けた20代は、返ってこない。
そんなぼくでも30代になって結婚を期に少しずつ自立し考え方も悔い改めるようになってきた。ギャンブルするのは意味がない思うようになった。
努力は才能だからと諦めてはいけない。
ぼくは努力の才能がゼロだったからだ。
そんなぼくでも1年でここまで変わったのだ。
人は変われる。
ビジネスの世界で通用する資産を持っている人は運だけの勝負というのは避けるのだ。勝てる土俵で勝負して、確実に勝ちを収めていく。
逆に、同元に吸われるだけ吸われて、なんの生産性もないことに時間を費やすような、もたざる者。
両者は差が開く一方だ。
20年前のぼくに言ってやりたい。
もたざる者になるな。