ゆるし、ゆだねる
愛する兄弟姉妹たちよ
ここへ来てくれてありがとう。
今日は、あなたが抱えている苦しみを解放するための
一つの道について書いてみます。
何だかよくわからないお話になるかもしれませんが
へ〜、こんな考え方もあるんだっていう
気楽な気持ちで読んでくれたら嬉しいです。
まず、一番大切なことについて確認しますね。
神は愛であり、あなたも愛です。
神さまはあなたのことをこの上なく愛しており
あなたも神さまをこの上なく愛しています。
愛において
あなたと神さまは一つです。
そしていつも
神さまはあなたとともにあります。
このことをハートで感じながら
これから書かれることを
リラックスした気持ちで読んでみてください。
さて、苦しみとは、神さま(愛)との分離感のことです。
私は愛と分離している、私には愛がない
という思いが苦しみの源であり
苦しみそのものなのです。
つまり、全ての悩み・苦しみと言われるものは
神さまから分離した個人の上に起こります。
神さまから分離した個人とは
通常人々が「私」と言う時の「私」のことです。
「私」は、自分はこの身体と心であると信じています。
そのため、この身体を通して起きてゆく行為も
「私」のものだと信じて疑いません。
つまり、「私が行為している」と信じているのです。
だから、何か苦しみが生じたときには
「苦しみを消すためには
(「私」は)何をすればいいんだろう?」と
考えるのです。
何言ってるの、そんなの当たり前でしょう?と
あなたは仰るかもしれません。
ところが、これは大きな誤解なんです。
わたしがお伝えしたいのは
「あなたはその身体でも心でもないんだよ」
ということです。
これはおとぎ話でもファンタジーでもなくて
事実なのですが、この世界では
「私」=自我が信仰されているために
何が嘘で何が本当なのか
わからなくなっているのです。
それでも確かに
<導き>は用意されています。
あなたがこれを読んでいるのも
神さまの導きによるものなのです。
もう少し、説明してみますね。
真実、あなたと神は分離していません。
ですから、あなたが普段「私」だと思っている「私」は
存在していないのです。
なぜなら、「私」とは神からの分離感であり
あなたと神はひと時も分離していないからです。
つまり、「私」(という神からの分離感)は錯覚なのです。
錯覚とは、真実ではないことが真実であるかのように
感じられてしまうことです。
さぁ、困ってしまいましたね。
でも、あなたは今
錯覚が錯覚であることを知りました。
もちろん、今はまだ
知識として知っただけかもしれません。
ですが
これは大きな収穫ではありませんか?
それは例えば
1本のロープを蛇だと信じきっている人が
誰かに「それはロープだよ」と言われて
もはや以前のようにはロープを蛇だと
100%信じきれないのとよく似ています。
つまり、お気づきでしょうか。
あなたは今後
「私」はこの身体と心であると
100%信じきることができなくなるでしょう。
それは、あなたがすでに
錯覚から目覚めるための偉大な一歩を
踏み出したことを意味しています。
さて、少し話が逸れちゃいましたが
「私」の悩み苦しみを消す方法
それが「私」という錯覚から目覚めることなのです。
イエスはそれを「ゆるし」として教えられました。
ゆるしとは、真実だけを見つめることです。
真実とは何でしょうか?
それは「私」はいないということ
神は愛であり、あなたも愛であり
愛の内であなたと神は一つだということです。
ですから、苦しみを解放するには
「私」という感覚、思いが湧き起こる度に
身体の力を抜いて、リラックスして
その「私」を神さまに明け渡してください。
そうして、ただくつろぐのです。
行為に関してお伝えするなら
その身体の上で、どのような行為が起ころうとも
あなたは何もしていないということを知っていてください。
「私」として何をするか、しないかを選択するのではなく
その「私」を手放すという選択をするのです。
このようにして
あなたが真実のみに意識を向け続けることによって
「私」という錯覚は消えてゆき
それとともに、「私」に生じる
あらゆる悩み苦しみも消えてしまうのです。
そして、「私」が消えたそのスペースには
平和と愛が充満していることを
あなたは知るでしょう。
それが神であり、本当のあなたであり
愛において
あなたと神は一つなのです。
今日はこれで終わりますね。
最後まで読んでくれてありがとう。
あなたが幸せでありますように。
愛をこめて
ルル
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