わたしとは何なのか?
こんにちは。
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よろしければ、ぜひゆったりとお付き合い下さい。
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眼が眼それ自体を見ることはできない。
眼が見ることができるのは、眼以外の何かである。
同じように、わたしがわたし自身に気づくことはできない。
わたしが気づくことができるのは、わたし以外の何かである。
ゆったりと瞑想して、わたしは自分の内側に
たくさんの思考、たくさんの感情、たくさんの感覚が溢れていることに気づく。
だが、思考であれ、感情であれ、感覚であれ
全てわたしではない。
わたしが気づくことのできるもの、それらはわたしではない。
そして、いいだろうか?
わたしは、<私>という感覚にさえ気づくことができる。
<私>という感覚は、全ての思考の源に立ち現れるイメージである。
<私>という感覚は、わたしたちがほとんどの時間に自己と同化しているイメージである。
わたしはこのイメージにさえ気づくことができる。
だから、<私>というイメージはわたしではない。
では、わたしとは何か?
思考でも感情でも感覚でもなく
<私>というイメージですらわたしではないなら
わたしとは一体何なのか?
わたしとは何かを知るために
わたしではないものに気づきなさい。
まずは、わたしの前を流れていく
思考や感情や感覚にただ気づくことから始めなさい。
そうして、心が静かになったら
わたしが普段同化している
<私>という感覚を見守りなさい。
あるいは、<私>という感覚の中に
深く、深く、入っていきなさい。
ここまでがあなたにできる最善の仕事だ。
そして、"ここ"からは神の仕事だ。
神は自らの仕事を完璧に全うする。
だから、何も心配することはない。
安心しなさい。
そして、神を、愛そのものである神を信頼しなさい。
あなたは必ず神へと還る。
<私>は必ずわたしへと還る。
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最後まで読んでくれてありがとう。
神さまの恵み豊かな愛があなたへと降り注ぎますように。
ルル
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