医師とのコミュニケーション 〜救急病院編〜
リハビリ病院を後にし、次に移った救急病院の病室はお世辞にも綺麗とは言い難く、コロナを気にしてからか病室は常に窓が開けられていて4月初旬の気候ではやたらと寒かったのを覚えています。
年配の医師の口調はマイルドでしたが、延命治療は無意味だと言った内容のことをおっしゃいました。すでに患者は廃用症候群に近い状態になっているのだから、最期を迎えられる病院を探すように言われました。それが尊厳死という考え方です、と。
凄まじい違和感。
尊厳死とは本人が選ぶものなのでは…?
なぜ医師から尊厳死の提案をされるのか全くわかりませんでした。
そのような考え方のもと治療らしいことは行っていなかったという印象です。胃瘻からは水と塩分だけを入れ、栄養の点滴もゼロ。これではまるで兵糧攻めではないか!とオロオロしたのを覚えています。
体力も落ちている上に栄養もゼロなので、当然またすぐに肺炎になりました。腕からはもう点滴が入らなかったので、医師は仕方なく鼠蹊部から中心静脈カテーテルを入れて抗生剤の投与を始めました。ただ、衛生状態が良いとは言えない環境ですぐに感染症を起こし、カテーテルも抜く羽目に。これ以上ここにはお任せ出来ないと思い、ただこのまま連れても帰れない、、、虎の門にお願いするしかない!となり、直談判を決行。運良くコロナも一段落していたこともあり、なんとか6月1日に虎の門病院へ転院が叶いました。その間、2カ月弱。父の死期を早めてしまった、という苦い想いが拭いきれませんでした。
救急病院の医師は、虎の門への転院を決めた母と娘に呆れ顔でした。患者はもう長くないのに無駄な延命は家族のエゴだと言われているようで、妙に後ろめたく自分たちが父の意思をきちんと汲んでいるのかどうかもわからなくなっていました。
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