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チャットGPTと【人の価値 自分が生きる意味】 を考えてみた③ INTJ-Tの独り言

●前回の記事(概要はコチラ)


前回の記事では「誠実、愛情、友情、勤勉、努力」等の価値観でさえ、時代や時の情勢により重要度が変化していくことを説明しました。


よってこれらの価値観は、自分のアイデンティにすることは適切ではなく、実は「自分」が「人間社会」で生きていくための<ツール>でしかない。あくまで方法論であり、これを軸に考えると裏切られたりして自分が大損する恐れがあると述べました。

そして「自分」と「人間社会」の間で生じるトラブル(人間関係)は全て、ありもしない正義を基準に行われている。ということを述べました。


今回の記事では、「自分」の中心に置くべき価値観は何なのか? について説明します。


●「自分」の中心に置くべき価値観は何か?


「誠実、愛情、友情、勤勉、努力」などの価値感は、私の求める「不変的な正しい価値観」=「絶対の正解」にはなり得ないという事になります。

「誠実、愛情、友情、勤勉、努力」などの価値観は、「自分」と「人間社会」の境界線でツール(交通手形)のように存在しているのだと考えるべきです。


交通手形を持っていると「人間社会」の中で称賛され生きていける可能性が高くなるが、状況によっては引っ込めた方が良い。ということです。これらの価値観は不変の真理ではなく、ツールに過ぎないのです。

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では、何を自分の中心にして考えればよいのか?他人は利用するだけ、信じられるのは己のみ。


このような考え方になってしまうのも、理解できますが、これはこれで辛いです。この考え方で上手く生きていける人達は問題ありませんが、私はこのように割り切れません。

先ほど説明したとおり、そもそも人は社会的な生き物である以上「自分」と「人間社会」との繋がりを完全に遮断することもストレスになります。

結局「人間社会」とは折り合いをつけないことには生存出来ません。

よって、ここからは「人間社会」と折り合いをつけながらも、「自分」を裏切らない「不変的な正しい価値観」=「絶対の正解」
を探していきます。


▼自分の中心に置くべきは「自分」という存在の真理である

まず重要なのは「自分」と「人間社会」の間の境界線上にある価値観(愛情etc…)よりも、境界線の前に「自分」がいるという事実認識です。

「自分」を「人間社会」から完全に切り離したと仮定し、まず最初に自分が何をするか?を考えます。


他人が存在しなくても「自分」がやることは、食事、睡眠、排せつ、等になるでしょう。


つまり生存するために必要な行動を起こすと思われます。


他人が存在しない以上、文化的な行動は起こす必要性もなくなるので、ただ生存のために必要な行動をとることになると思います。


更に突き詰めて考えると、「人間社会」が無くなった時「自分」は「死なないように生きる」行動を起こすという事です。

つまり「自分」の「絶対の真理」は何かというと「生きる」。ということになります。

これが絶対の真理です。


まず最初に人は、気づいたら「生きて」います。そして必ず「死」にます。コレが人生の絶対であることは疑いようがありません。

よって「自分」の中心に置くべきは「自分は生きている、そしていつか死ぬ」という真理を理解することです。

これを「自分」の中心に置くと、「人間社会との境界線に必要な価値観」よりも先に「自分は生きるために行動するor死ぬ」という選択肢が現れます。

ここで「死ぬ」を選択できる人は、ここまで読むことも無いと思いますし、それを選択すると最早何も考える必要がないので、「死ぬ」という選択肢は検討しません。

「自分」の中心に置くべき価値観は「生きるために行動する」=「不変的な正しい価値観」=「絶対の正解」という結論になりました。


▼「人間社会」を生きるためのスキル について

「自分」の中心に置かれることが多い物に、価値観でなく「スキル」などもあると思います。


<「自分」はこんなこと(スキル)が出来るから価値がある>という考え方です。

人は「人間社会」から完全に離脱することは難しいという事実があります。(不可能ではありませんが)

多くの場合は、生きていくには「自分」のみでは、生きていけないことから、必ず「人間社会」に通ずる有益な「何か」を持つ必要に迫られます。

それが、社会に通じる有益な何か(スキル(お金稼ぎ、特技))となります。

これらをしっかり持っている人は、「人間社会」で称賛され生きやすくなります。


人が「人間社会」で生きていくには、どうしてもこれらを駆使して、存在価値を示していく必要性に迫られます。

これも「価値観」と同様に、「自分」の価値を測る指標になってしまう。ことが多いです。


例えば

「仕事が早いから素晴らしい=遅いから価値が無い」

「特別な知識があるから素晴らしい=知識が無いと馬鹿」

「身体能力に優れていてかっこいい=運動音痴はダサい」

「お金を稼げる人は偉い=貧乏は悪」

このように、多くの人が悩む原因の一つでは無いかと思います。


つまり「何かしらのスキルがある=自分には価値がある」と、スキルが自分の中心に来てしまうのです。

しかし歴史を振り返っても、正しいと言われる(価値観)は絶えず変動するように、

(スキル)においても、時代の変化や環境の変化により、求められるものが変わっていきます。

だから絶対的な(正しい価値観)(絶えず有益なスキル)は存在せず、状況により正解は変わるということです。

最近だと、AIの台頭によりホワイトワーカーが不要になると言われています。


「「自分」には(価値観,スキル)があるから「人間社会」で生きていて良いのだ=「自分」の価値(アイデンティ)」としてしまうと、それが状況によって揺らぐことになります。

やはり「価値観」と同様に、「スキル」を自分の中心に置くのも、生き辛いと感じる根源になってしまいます。




▼「自分」と「人間社会」の関係性

まとめると

①我々はまず最初に「生きるために行動する」という選択肢を選んで、

②そこに、「人間社会」が関わってくるので、円滑に生きるために、境界線上に存在する価値観(誠実、愛情、友情、勤勉、努力)を交通手形として使っていく。

③「人間社会」で価値を認められるために(スキル)を活用していく

というのが「自分」と「人間社会」の関係性と言えるでしょう。
つまり「①自分が生きる→②人間社会で円滑に生きるための価値観を用いる→③価値観に基づき有益なスキルを行使し貢献する」という流れになります。
このように考えると、「自分」の中心に「生きるために行動する」という選択を設定することが、「不変的な正しい価値観」=「絶対の正解」である。

と結論付けることができます。


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「自分」の中心に「生きるために行動する」という選択を設定することに成功しました。

しかし、そもそも「生きる」ことに意味があるのか? という問題が生じます。

自分の価値を他人に左右されなくなる理論は構築できましたが、自分の生存に価値があるのか?

という問題について考える必要があります。

次回の記事でそれらを説明したいと思います。

ここまで読んでくださりありがとうございました。


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