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プリパラ評論 プリパラ、それはアイドル讃歌にしてアンチアイドルの物語

プリパラを一気見しました

私事ですが、プリパラを一気見しました。1ヶ月くらいかけて1期からアイドルランドまでの全204話を見ました。めっちゃ面白かったです。ちょうど大プリパラ展がしぷやでやっていたので電車で1時間半かけて行ったくらいにはハマりました。

大プリパラ展にて・ 女性や子ども率が高く自分のような成人男性が少ないのが良かったです

特に1期が好きで、今まで見てきたアニメの中でダントツで一番好きです。100点中120点(オタクの過大表現ではなく、ガチレビュー)みたいな感じです。

アイドルは好きぷり?

ところで皆さん、アイドルは好きでしょうか。
2次元のアイドルはけっこう好きですが、現実のアイドルはあんまり好きじゃないです。
現実の存在って、天気みたいな不安定さがあります。あらゆる要素が絡み合った現実世界の混沌に左右され、挙げ句陰謀論者や新興宗教の信者になったりしますからね。それに2次元ほど可愛くないし。ちょうどこの記事を書いている2024年8月31日現在、台風10号が予想のつかない進路とか言われていていますが、これもあらゆる要素が絡み合っているからのことで、それは現実の人間も同じことです。
あとシンプルに人権侵害だよね、という思いがあるからです。

こちらの記事にもありますように、アイドルというのは本当に大変な職業らしいです。人間にやらせることではなく、二次元美少女(なりイケメン)にやらせておけばいいと、私は思っています。過半数が精神疾患を患う仕事なんて他にあるんでしょうか。こんな素敵な職業ないよ!(東ゆう)

映画・トラペジウムより なんだかんだで5回見ました

プリパラの声優だってアイドル声優グループのi☆Risじゃんとか、今はそんな話はしません。私は彼女たちを歌が上手い声優さんたちだとは思ってますが別にアイドル視してないです。EDで踊っているのも興味ねえなあと思ってました。リアタイじゃないせいもありそうですが、本当に興味がないです。でもMake it!はガチの神曲だと思います。

み~んなトモダチ!みんな~アイドル!

プリパラのメインテーマはこれです。みんなアイドルなのです。お母さんも校長先生もハンディ掃除機も山羊も。
それはつまり、アイドルの持つ特権性を奪うということに他なりません。誰でもアイドルになれるなら、アイドルは特別なものではなくなります。
おそらく10年前にアニメが始まった頃はまさしくアイドル戦国時代(あんまり詳しくないですが)等と言われていた時代であり、昭和ライダーに対する平成ライダー並にアイドルが大量に生まれていたことが背景にあるのでしょう。ていうか2期のセレパラ関連の描写ってまさしく昭和アイドルと平成(後期)アイドルの対比ですよね。
ですがそれでも、現実ではアイドルになれる人間は一部です。なったとしても、精神疾患を患ったり、グループが解散したりする。
そう考えると、プリパラって本当にすごいです。み~んなアイドルなのですから。
ここでいう『み~んなアイドル!』とは一体何なのか?
それはつまり、誰もがリスクを負わずにアイドルになれる、ということなのです。1プレイ100円で誰もがアイドルになれるのです。そういうゲームだからねといえばそれまでですが、アニメプリパラはその設定にどこまでも忠実でした。いやプリパラの筐体版やったことないんですけどね。

第1期・ファルル編が全てを象徴している

第1期の終盤、ファルルはトモダチを作ってしまい、トモチケをパキったことで永遠の眠りにつきました。
パーフェクトアイドルであるファルルにとってトモダチがいることは仕様外であり、パーフェクトアイドルである彼女は普通の女の子になってはいけなかった。そんな彼女がプリパラアイドルたちのプリズムボイスが起こした奇跡により目を覚まし、普通の女の子になる。今まであった歌唱力やコピー能力と引き換えに。
まあ、そういうことですよね。
アイドルはリスクと引き換えになるものだという旧来のアイドル観からの脱却、プリパラシステムはリスクを負わずに誰もがアイドルになれるのです。
まさしく、み~んなトモダチ!み~んなアイドル!です。
私は現実のアイドルのあり方が嫌いなので、かなり刺さりました。
2期終盤にて、紫京院ひびきがボーカルドールになろうとして、それを周囲が必死で引き止めるのもまた同じ構図でしょう。
本当のアイドルになるには人を捨てねばなれないが、人を捨てるほどの値打ちはアイドルにない。ならばいっそのことみんなでアイドルになってその特別性を打ち捨ててやれば良いのです。

まあらぁらは神様になっちゃうんですが

み~んなトモダチ!み~んなアイドル!はその後もシリーズを通底するテーマとなりますが、それでも真中らぁらは普通の女の子から神様になってしまいました。
それは神アイドルという意味でもありますが、そもそも人ではなくなってしまったのです。
アイドルランドプリパラにて、あまりは幼少の頃に見た華園しゅうかと今の彼女の姿が変わっていないという旨を語っています。
私、真中らぁら、小学6年生!(サザエさん時空)の時点でそうなのですが、こういった世界の外からの人物から言及で、彼女たちが神様のようなものになってしまったことが暗示されています。
アイドルタイムプリパラでらぁらが中学生になってもアイドルを続けたいという夢を語っている手前、けっこう無神経だなあと思いました。

もしかしたらスタッフなりの優しさなのかも?

現実のアイドルは過酷なものです。最悪適応障害になって身を持ち崩します(そうじゃない人もいます)。ろくなものではありません。笑顔の裏には様々な犠牲があります。そりゃそうでしょう。人間なんですから。
だがプリパラに出てくる女の子は違う!(ギュッ)
神様だから過酷なアイドル活動(それは別のアニメ)も耐えられるし、普通の女の子たちを導いてアイドルにすることだって出来るのです。
らぁらたちが普通の女の子のままだったら、あまりに大きなものを背負わせています。プリパラ普及のために転校してくださいとか、夏休みを全部全国行脚に費やしてくださいとか、普通の人間だったら心が壊れます。
だけど彼女たちは神様なので大丈夫ですよ、というアンサーなのかもしれませんね(適当)


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