ポルノ中毒と人間中毒、オンラインデート中毒どれがいいのか

今日初めてマッチングアプリを知った。omiaiだ。登録をして面白そうな人、年齢差がある人にいいねを20くらい送る。プロフィールの閲覧を確認できるらしく確認すると鹿児島の人と秋田の人がプロフィールを見ていた。相手からいいねも送られてきた。ありがとうを送る。これでマッチング成立となるらしい。

いいねを送ってすぐフィードバックがあるわけではないのが歯がゆい。人工知能のほうがフィードバックは早い。どこか古典的である種の不便さを感じる。ここをどう楽しめるのかがこのゲームの面白さなのだろうか?システム自体もそこまで新しいわけではなさそうだ。リコメンドシステムもyahoo japanの昔の検索システムのような感じがする。深層学習が動いているような動的な感じはしなかった。

しかしゆるく注意をそがれ続けるというのはいい面もあれば、悪い面もあるかもしれない。いい面は依存先を分散しやすくなるかもしれないこと。悪い面はゆるく注意をそがれるのでポルノ中毒とにているかもしれないこと。

ポルノ中毒は逆になにがいいだろうか?絵の資料のためにヌードデッサンの動画を繰り返し見たり、他の18禁イラストを描いている作家の作品をみたりする。繰り返しみるから中毒と言えそうだが、巷で言われているような脳機能の低下のようなことは本当にあるのだろうか?

確かに表現が面白くて長い時間見たりする。これが時間の浪費といえばそうかもしれない。それに加えて認知機能が落ちていては落胆する。これはサンクコストになるかもしれないが、サンクコストのない人生はあるのだろうか?
18禁イラストを見て確実に得られるものなんだろうか?現実をどのように昇華してイラストにするか、どのような表現があってどんな作家がいるのかを知ることができるのは確実にありそうだ。それが新たな表現が生まれるきっかけになるかもしれない。
現実のカオスな状況をイラストという秩序に昇華して面白い表現をするのは明らかに現実に依存しては作れないし、ここに創作の良さがある。
 
人間中毒。これは私にはわからないが、現実で他人と多く関りそこに時間を多く投入している様子を表現した。ポルノ中毒ともオンラインデート中毒とも違う、ある意味古典的なものだ。

ポルノ中毒を危険視する人々は人間中毒気味ともいえるし、ポルノ中毒で苦しんでいると思っている人々はオンラインデート中毒はポルノ中毒の代替案に見えるかもしれないし、オンラインデート中毒の人はポルノ中毒と人間中毒の折衷案かもしれない。

なんにせよ私は他人に対して中立であるのが向いているかもしれない。

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