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インセルに貢献する方法

最近インセルという言葉を知った。非自発的禁欲主義者というらしい。非自発的という言葉の意味がよく分からないが、何らかの事情でおそらく外発的な理由で欲望を制限される人々というらしい。

この言葉はジョークとして使われていたようであるが、意味合いに真剣度が増したらしい。それでこの言葉を使って大量殺人をする人がでたのだ。

私はできるだけ欲望に執着しないように努めているからここでいうと自発的禁欲ということになるかもしれない。しかし非自発的な面がないかというとそうでもないと思う。

まず男子校だったから女性と話す機会は家庭内くらいしかなかったし、なんとなく女性に危害を加えてはならないという不文律を共有していたと思う。これはコミュニティからの外圧ととれるからおそらく非自発的だ。もとからそこにあったのだから。

男は女性よりも多く生まれる。これも非自発的と言える。構造的に平時なら女性と結婚できない人は生まれてしまう。戦時なら男が戦死する人数が膨大なので結婚できるかもしれない。

まず生物学的な理由、そしてどんな生活環境で育ったか、どんな知識を得てきたのかという文化的な理由で非自発的な禁欲を否が応でもしなければならない状況が想定しうる。それでどうなるかは適応の仕方によって異なるがこれを自己責任というのは誤りのように思う。

一番に思いついたのはソフトウェアセキュリティのコミュニティに受け入れ、メンターをしたり、ctfの面白さを伝えること。それで企業の不正やでたらめなソフトウェアを摘発したり、場合によっては市場を創造的破壊をしてゲームをリセットする仲間にできるかもしれない。自制心が失われ、自己中心的になっている個人や組織を市場から排除できるかもしれない。

私は人は何らかなものを持っている、持てるものだと思うがそれに伴ったノブレスオブリージュがあると信じている。だからそれぞれのやり方で他人に対する共感を持ち、自制心を発揮して、ノブレスオブリージュを果たす。もちろん知能や認知能力はグラデーションなのでそれぞれのやり方はある。

パラダイムシフトを続けることも大事なような気がする。誰でも制約条件がある。そこから行動や思考がそれぞれの適応のしかたで出てくると思うが、文化や伝統との衝突は起こるかもしれない。お互いをはじくのではなく、それぞれがそれぞれの適応の仕方でパラダイムシフトをすれば硬直的な環境ではなくなめらかな社会を実現できるように思う。複雑性の理論のように。

私は自発的な面、非自発的な面を認識しておもしろく適応していければと思う。それがインセルのためになればと願う。


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