ハルノート的ブラックさと滑稽さに遭遇した
松村上九郎氏からdiscordをbanされて幾日か過ぎた。そこでなにがどのようにトラブルにつながったのか、事前に理解する能力に根本的に欠けているというようなことを言われたので、その意味を考えてみた。
まず私はとある人物とその人の専攻について話していた。そこにおにおんぽいずんなる人物があなたの話は周りが入っていけないからもうやめろという趣旨の発言をされた。それに加えて、私と話した人がなぜか知らないが私と話していて酒がまずくなったというようなことも付け加えて私を抑圧しようとしてきた。
私的な場で私のことを悪く言うのはいいが、公の場であるインターネットで公言するのはおかしいと思った。酒を飲んでいるのだから成人しているし責任能力もあるのでそのひとがおかしいのではないのか?と発言した。そうするとおにおんぽいずんなる人物がふざけるなといって突然接続を切った。
最初私はあっけにとられた。何を言われたのか理解するのに時間がかかった。それから非常に無礼な態度のように思ったので、モデレーターにことの顛末を話した。なぜかこのモデレーターは私の発言をすべて口頭で再現するように要求してきた。さすがにそれは無理だった。ここに徒労感を感じた。
彼にここの社会規範はどうなっているのかや、コンプライアンスはどうなっているのか質問した。すると、ほかの人が入っていけない話をするのは控えたほうがいいこと、それは個別具体的に判断しろという趣旨の発言をされた。
私はハラスメントに当たる発言はしていないし、話に混ざれないのなら勝手に出ていけばいいのでは?と思ったのでそういう趣旨の発言をした。そこからのやりとりはよく覚えていない。なぜこれを言ったかというと、いままでunityの話をしていたのに、なぜ私の発言だけ揚げ足を取られなければならないのか?と思ったからだ。
私はすべての人間に迎合する八方美人のようには作られていないように思う。彼らは私にそれを要求した。はっきりいって傲慢だと思った。そもそもなぜ世界があなたたちの甘さや無知に都合のいいように作られていると思ったのか?そもそもdiscordはだれが作って運営していると思っている?
他人が作ったプラットフォームで無礼な態度をして、情実で他人を判断して何になるというのか?
正直彼らは法の支配という物語で動いていないように思う。他人の権利ということに対しても認識が甘い。身内には甘く、情実に支配され、少しでも意に沿わないと排除の論理を持ち出す。歴史の本で読んだボルシェビキのような感じを受けた。正直、歴史から何んも学んでいないし、成熟もしていないし、彼らに対して寄付をしたのが正直ばかばかしく思い始めている。
彼らのためになると思ってベーシックインカムを推進したほうがいいと思ったが、徹底的に増税していかにうまく使うかを考えたほうがいいのではないかとも。
だが、こうも思った。真の弱者は救いたい顔をしていないのではないのか?今回のことはブラックジョークのようなものと思えば、確かに面白い。情実と無知がとても滑稽な状況を招くという素晴らしい例として。
これは創作に生かす。この反感を生かして社会を作る。