はじめての日本制作②

マニラとても暑かった。とてもとても暑かった。

この前移動編書いたのが2年ほど前で、あのときはすごい熱量あったんですが、いまはもうあれ6年前だしな、、、と思っている私。

ただ言えるのはあのとき、行ってよかったということ。

いまでさえ、それから日本の映画やらせてもらって合作ドラマとか合作映画とか日本のテレビドラマとか、(あれ結構やらせてもらってるな、)あったけど、はじめにあの作品でよかったんだろうなあと思います。

とにもかくにも、わたし通訳って言われたんですけども、肩書きはPA(Production Assistantー私的にはなんでもやさん)だったので、「あれ、現場わちゃわちゃ動いたりするやつやん」と思って気合い入れていたんですが、行ってみれば通訳さん扱いされて、現場着くのも最後で、撮影おわったらすぐ帰っていいよって言われ、、、正直、それはいやだって思ってて。

ナイター撮影だったけど、肩書きと違うくね、と思って、通訳さんじゃないし、って思って、まだ元気真っ只中だったので、撮影終わり「手伝います!」って言ってました。(たぶん嫌な人はいやなんだろうなあって思う)

はじめは照明部付き通訳兼だったのですが、途中から演出部付き通訳兼、に。現場真ん中いれる、楽しい、でした。

あのときのスタッフの皆さんに言われるのは、「声出してたもんねー」、とか「あれでしょ、Rollingとか言ってた人でしょ」とか「一回めっちゃシャラップって言ってたよね笑」とか。そう、声が大きいのです。

アメリカでProduction Assistantしてたときはそれが仕事の一つだと思っていたので、そのままその通りやってました。日本の「よーい、はい!」だとフィリピン人もわかんないし、動いちゃうし、止まんないし。でかい声出してたもん勝ちだろなあと。

そこでわたしが感動したのが、フィリピンのアクション部と1stAD。これまた訳が大変で、監督たちが願う動きを伝えるのに必死でした。あちらも英語が強くない人もいたりして、私が直接本人に話すと、ニュアンスが違うのか、失敗したのですが、あちらのコーディネーターさんと1stADを通して話すと、伝わる伝わる。

2回目に感動したのは車でのアクション。何台もの車が一斉にカメラに向かってきて、ある場所に並んで止まるっていうシーンだったのですが、確か2回目くらいでそろえてきたんですよね、、はじめは日本の演出部がタイミング出してた(気がする)んですが、「こちらでタイミング出しますよ」と1stADがいうと、アクションチームに意図を共有し、ぴったり合わせてくる。ベテラン感はんぱねえええって感じでした。

3回目に感動したのが、1000人規模のエキストラがいるシーン。1stADに意図を伝えると、きれいにエキストラに指示を出し、カメラの動きを見て、撮影中も彼らに指示出し。やっぱり、そういう、さくってやっちゃうところ、かっこいいなあーって思って見てました。

もちろん、爆発!とか、高速止める!とか日本ではできないことをやっていて、そちらもすごいことなんですが、私にとっては彼らとの出会い、実力ある彼らと仕事ができたことが一番良かったことだと思っています。

1現場の話をするのにどれくらい書けばいいんだろ、と思いましたが、フィリピンはこんなもんでいいか、と。


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