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田中正造「真の文明は、山を荒らさず、 川を荒らさず、村を破らず、 人を殺さざるべし!」

◆「社会の裏側!」28

~明治政府にこう迫った彼。いま「真の大人」はどこへ消えたのか~

山田博士・著

The social backside28

★電子版→ http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00S18Z9L8?*Version*=1&*entries*=0
      (685円です)             
         
     


やあ、こんにちは。
山田博士(ひろし)です。
お元気でしたか!

今日もまたお逢いしましたね。
嬉しいです。
 
地球という星を平和にしたい。
そして子どもたちの頬(ほほ)に流れる涙をストップさせたい。
ぼくはいつもそれを望んでいます。

そのために、「食べもの」が人を180度変え、家族を変え、
文明を変え、歴史を変えてきた、重い事実を、
ぜひ知ってほしい……。



★本書の概要

いまは、中国やインドなどの公害をぼくたちは強く非難していますが、
何のことはない、歴史ではつい先日に、日本もそれ以上の行動をし
ていました。

たとえば、足尾銅山。
この足尾銅山は、1884年(明治17年)に愛媛県の住友別子
(べっし)銅山を抜いてからは、全国一の銅山となったほど歴史が長
い銅山なんですが、当時の富国強兵政策で生産力を高めた結果、な
んとも「悲惨な大事件」を引き起こしてしまったのでしたね。

煙害はもとより、精錬用の薪炭材(しんたんざい。まきやすみのこと)
の乱伐(らんばつ)などで、栃木の山林を大量に荒廃させたのでした。
それはそれは、すさまじい光景でした。そして、それを原因とする
大洪水が頻発(ひんぱつ)したのです。

その結果、どうなると思います?

そう、大量の廃石や鉱滓(こうさい)、そして有毒重金属などを含む
酸性廃水が垂れ流されたわけですね。それにともなって、1885
年(明治18年)ごろから、鮎(あゆ)の大量死や鮭(さけ)の漁獲量
の激減が起こりました。

当地の渡良瀬川(わたらせがわ)の漁業被害が顕在化して、流域の
広大な農地と農作物に「鉱毒被害」が発生しました。ところが当時
の農民たちは「真の大人」だったのです。

そうした中、この田中正造爺さんは、被害の拡大を止めるため、こ
の足尾銅山の操業停止を訴えて、被害地の村民を組織化したり、当
時の帝国議会での追及とともに請願運動を行う活動を始めたわけで
すね。凄いものでしょ。

なにしろ、「当時の明治政府の時代」のことです。こんなこと、あ
なた、できますか。彼は17歳のときに名主を継ぐのですが、27
歳の時に領主のきびしい封建的政策に反抗して改革を試みます。そ
のため、10カ月ほど投獄までされているんですね。

その田中正造爺さんが、日記に綴(つづ)った言葉があります。

「貧乏人の願いは見ない。少数勢力の意見や正直な忠告も聞かない。
こんな政治上の[病気]で苦しむ人々が多い……」
「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺
さざるべし……」。

これらの行動から、ぼくたちが学ぶこととは、いったい何なのでし
ょうか……。

いままでに発刊したほかの「社会の裏側!」シリーズも、どうぞお
楽しみ下さい。楽しい文体が人気のようですよ。お楽しみに!


★【目次】


(第1章)
自分は「分別ある大人だから」と言って、1ミリさえ動こうとしな
い人が増えました。ぼくは、いつもある人物を思い出します。それ
は……
(第2章)
いまは、中国やインドなどの公害をぼくたちは強く非難しています
が、何のことはない、歴史ではつい先日に、日本もそれ以上の行動
をしていたわけなんですね。ぼくたちが学ぶこととは……

(第3章)
みずほコーポレート銀行などに続く「古河財閥」を創設した、この
古河市兵衛こそが、この足尾銅山の「鉱毒垂れ流し犯人」なのでし
た……

(第4章)
「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺
さざるべし……」。そして、丸木さんの描いた「足尾鉱毒の図」は、
いまのぼくたちに何を物語っているのだろうか……


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