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花束みたいな恋に、なりませんように。
映画「花束みたいな恋をした」を観に行った。
コロナのせいでひとつ間をあけて隣に座っている彼の方が、多分私よりも泣いていてちょっとウケた。
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まるで小説を読んでるみたいな映画だった。
麦くんと絹ちゃん、2人とも文学を好きだからだろうか、心の声も、ぽろっと出てくる言葉のチョイスも素敵だった。
こんなに共通点があったら、価値観が合ってたら。
運命だと思うに決まってるし、好きになってしまうに決まってる。2人の気持ちは恋をしたことのある全大人が理解できるだろう。
大学生で、2人で過ごす時間を優先して授業や就活をサボっちゃうところも、勢いで同棲したり猫を飼っちゃう軽率さも、
社会人になって当たり前のように価値観がズレていくところも、それを受け入れられない2人も、
絹ちゃんの、女が全員共感できる怒りポイントも、怒った後の「長女日本代表!」みたいな大人な対応も、
麦くんの喧嘩の時の表情も、悲しいけど理解できてしまう学生時代からの豹変っぷりも、
別れてからの方が意外に関係性が良くなってしまうところも、
観ている途中であまりにも2人がリアル過ぎて怖くなった。
だって私は、「隣にいるこの人と、もしかしたらこんな風に別れてしまうのかもしれない」って、つい、よぎってしまったから。
いや、私たちはそもそも大学生では無いし、社会人になってから出会っているし、価値観もこの2人ほど合ってない(と思う)し、
麦くんと絹ちゃんを自分たちに重ね合わせることは到底無理だけどさ、それでもね。
人は生きていれば変わっていく。趣味も好みも生活リズムも変わっていくのだから、それを好きになった相手に対して変わらないことを求めるなんて出来ない。
ただ受け入れて、受け入れられないなら一緒にいる必要も価値も無い。
最後に麦くんは「結婚しよう。空気みたいな存在になろうよ。そういう夫婦いっぱいいるじゃん」って言った。正論だと思う。それは間違ってないけどさ。
私は絶対にそんなのは嫌だ。「だったら空気と結婚しろ!!!」って思うし、そんな相手とさあ今から結婚しよう、なんて思えない。別れる一択だ。
麦くんの気持ち、絹ちゃんの気持ち、どちらも間違っていなくて、どちらも悪くない。これは変化していった2人の、「どこにでもある恋の終わり」なだけ。
これは映画だけど、どんなカップルもなり得る現実。そう、現実じゃん。
「めっちゃリアルだったね」「あの喧嘩の仕方とか特にね」「有村架純、ブチギレた後もお茶入れてあげてて大人だったね」「私だったら出来ない。毒盛っちゃう」「最後の菅田将暉の結婚しようってやつ、正直正論だと思ったなあ」「でも夫婦みんなそうでしょ、なんて、麻薬の売り文句と同じだよ」「なんか色々、考えさせられる映画だったね」
帰り道、映画の真似っこをしてコーヒーを飲みながら歩いて感想を言い合った。
「やっぱり人は変わると思って付き合わなきゃダメだよねぇ」と言ったら、「おぉ、大人だねえ。そうだよな」と頷いてくれた。
そんな上手くいくだろうか。
「私たちもああやって別れるかもしれないよね」なんて言わなかった。前も書いたように、別れると思って付き合うのはしんどいからね。
別れる気配も今は全く無いし、心配するだけ無駄だ。無駄でしか無い。気持ちが少し映画に引っ張られてしまっているだけ。
それだけ、って思っても、いつもより繋いでいる手を少し強めに握ってしまう自分がいた。気付かれてないだろうけど。
「花束みたいな恋」って、すごく綺麗で、愛に溢れてて、でも儚くて、絶対に枯れてしまう、って意味だろうか。
それなら私は、「ガンガンに根を生やして、ちょっと萎れてもすぐに水を吸ってピンピンしてるような、なんか、そういう花みたいな恋」がいい。花じゃなくても、木とかでもいい。屋久島にある縄文杉みたいな、ああいう、可愛げが無くてもいいから安定感があるがっしりしたやつ。それでいいから。
どうかこの恋が、花束みたいな恋になりませんように。