ないものさがして、ないものねだる。②
悲劇のヒロインごっこ。
そういう自分になりたがっているだけ。
「悲劇のヒロインである自分」をしたくて、生きていた過去のわたし。
そんな(はっきり言って)しょーもない自分も、わたし。
昔はそんな自分を許せなくて、自分のことを気持ち悪がっていた。
よしよし、そんなわたしでもいいんだよ。って言えるようになったから、
こうして文字にできるようになった。
さて、悲劇のヒロインになりきっていたわたしを、神さまは見捨てなかった。
こんな状態だったけれど、、チャンスをくれたのだ。
この三つは、わたしの人生を大きく変えた転機…と言ってもいいだろう。
一つ目は、こんまりさんのお片付け本。
「ときめく?片付け??」
?とは思ったけれど、やってみた。
ときめく、という言葉がすとん!と心に入ってきたからだと思う。
大量の服を全て出す。
ときめくか、ときめかないか。
これだけが判断基準。
シンプルかつ最強な選択方法は、執着心の強いわたしにバシッとはまった。
二つ目は、骨格診断とパーソナルカラー診断。
今でこそ当たり前のようにできる診断は、当時わたしが住んでいた地方では受けられるようなものではなかった。
のだが!
ひょんなことから、家から徒歩10分のところにその診断をしてくれる方が住んでいると知った。
似合う色と似合う服を知る=自分にハナマルをあげられる!
というくらいにわたしの心を解き放ってくれた、この診断。
更に大量の服を手放すことができてわかったのは、
そのほとんどが似合わない色と似合わない形だった、ということ。
それだもの、「服はあるのに、着たい服はない」と思うよね。
苦笑い。
三つ目は、「夫の母と出会ったこと。」
夫の母は絵を描く。
そして、持ち物がとても少ない。
いつも部屋は整っていて、テーブルの上には何も置かれていない。
母の部屋を頻繁に見ているうちに、「わたしもこんな部屋で暮らしたい!」
という強烈な思いが突然噴き出してきた。
少ないモノ、上質なモノ、気に入ったモノだけで暮らしたい思いは、
小学生の頃から強くあった。
なのに、どうしても…片付けられない。捨てられない。手放せない。
それは、特に実母の影響が色濃く出ていた。
とわかったのは片付けられるようになってから数年後のこと。
実母は、モノを捨てられないし片付けも苦手だったのだ。
実家はモノであふれかえっていた。
「茶室のような家に住む。」
20歳になり茶道を始めてから、極限まで削ぎ落とされ考えつくされたお点前と水屋と茶室を毎週見ることにより、わたしが理想とする部屋のイメージは作られていった。
そういえば、大好きな祖父の部屋も茶室のようだった。
四畳半の部屋には押し入れとテレビ、テレビ台があるだけ。
全ての持ち物は、押し入れにきちんとしまわれていた。
寝る時にだけ敷かれる布団。
布団を整え、寒くないようにと足元に置かれる湯たんぽにいつも、
祖父のあたたかさと愛を感じていた。
心地よく感じる部屋のイメージも感覚も、わたしの中にしっかりあった。
そう、「あった」のだ。
夫の母の部屋が引き金となり、やる気スイッチが入ったわたし。
毎週末、大量にモノを手放し始めた。
自分が「学んでいるフリをするため」に買った本を入れる棚には、
気づかないうちにカビが生えていた。
買っただけで満足し、何もしなかった大量の手作り本と手芸道具には、
「理想の母親像」が投影されていた。
買ったのに手放すなんてもったいない。
最初の頃は、ほんの少し捨てるだけでも疲れ果て、具合が悪くなることも
多かった。
しかし、モノが少なくなるにつれて心はどんどん軽くなっていった。
週末だけではなく、平日の夜に子どもたちを寝かせた後に片付けをする日もあるくらい、片付けるのが楽しくなっていった。
最終的には、「誰かに認められたい」という思いも手放すことができた。
(深いところにある承認欲求に向き合うことができるのは、
ここから7年後のお話。)
認められたい。
この思いを手放せたことで、わたしの人生は大きく動いていくのだった。
続く。