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ないものさがして、ないものねだる。⑥

小・中・高・大。
与えられた学習に取り組むって、実はラクなことだったのね…。

と、学校の先生になったばかりのわたしは、途方に暮れていた。
「どうやって、教えたらいいのかわからない」のだ。

教育雑誌を読み、先輩の先生に話を聞き、教え方をその通りに実践する。
「えっと…うまくいくって、何ですか?」状態。
うまくいかない。
わかってもらえている感覚も得られない。
どうしよう。
毎日、次の日の授業準備をするけれど、到底間に合わない。
困り果てていた。お手上げだった。
そんなわたしにアドバイスをくれたのは、向かいに座っていたベテランの先生だった。

「先生、毎日学級通信を書きなさい。」
「このセミナーに行くといいよ。」

わたしはそのアドバイス通りに、毎日学級通信を書いた。
土日となればセミナーに参加した。
知らない人ばかりのセミナーに参加するうちに、顔を覚えてもらい声をかけてもらえるようになった。
アドバイスをくれた先生はとんでもなくすごい先生で、その界隈では超有名なのだと後々知った。

この頃のわたし。
【自己肯定感なるものが激しく低い】
【承認欲求なるものが激しく強い】
一言で表すと、あいたたたーな人間であった。
(よしよし、それでもいいんだよと今なら言えるが、
 当時は本当に苦しかった。)

クラスの子どもたちが楽しくわかりやすく勉強できるように…という思いで学び始めたはずが、目的はいつしかすり替わっていた。
そう。
「セミナーに参加することで承認される快感を得る」
という目的に。
しかし、モノを手放し始めた頃からだんだんと「承認されるために学ぶ」
目的はなくなっていったのだった。

先生を辞める前、最後の2年間はいつも焦っていた。
学ぶ目的を
「子どもたちに、わかりやすく楽しい授業ができるようになるため」
に設定し直すことはできていた。
しかし、学びに行くための情報はおろか、気力も体力も余裕もない。
「このままでは、先生としてやっていけなくなる。
 学べていない。こんなんじゃ、子どもたちに勉強を教えられない。
 どうしよう…」

結局、セミナーに参加して積極的にかつ深く学ぶことができたのは、
最初の結婚・妊娠をして産前産後休業に入るまでの2年半。
そして、育児休業が明けて復帰し、担任に戻ってから転勤するまでの3年間。
新天地に転勤し、先生を辞めるまでの5年間は、蓄えた知識と実践を磨きつつ本を読み、年に一度学習会に参加するという生活を送っていた。

学びに費やした時間は消えず、自分自身に蓄えられる。
学びをノートに書きこんだままにせず、日々実践していけば。

その実践だって、やりっぱなしでは身につかない。
振り返り、改善点を探り、再度実践して…を繰り返す必要がある。

最後の2年間のうちの1年間は、子宮と卵管を全摘出する手術を受けたために万全の体調で過ごすことができなかった。
当然、学びを深めることもできず、実践を振り返ることもできない。
振り返れないということは、改善点を探れないということ。
悔しかった。
子どもたちに、もっともっと学ぶ楽しさを伝えたかった。

そんな日々のさなか、その瞬間は訪れた。
未知のウイルスによって、緊急事態宣言なるものが発令された。
当たり前に来るはずの日常はあっさりと終わりを告げた。

学ぶとは何か。
問いを、突きつけられた。

あと少しだけ、続く。


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