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ひとのもろさにやさしい人

おはようございます。ちかと申します。

こちらの続きです。


前回先輩がやさしい、という話をした。でも実はあれより、一番「これは」と思った瞬間があって、今回はそれを紹介したいと思う。多分「特別」を意識したのは、これがきっかけだったかな。

それは、私が怖がりであることを馬鹿にしなかった瞬間。

私は、知り合いが近くに居ない状態でお風呂に入ることができない。突然鏡や水が怖くなって、居ても経ってもいられないことがあるのだ。(霊感があるとかそういう話でなくて、後ろに幽霊がたってたらどうしよう、という純粋な恐怖)そんな時、慌ててでたその部屋にも人の気配がないとより怖い。昔よりはマシになっているものの(昔は入る時と出る時にお母さんに「入るよ」「出たよー」と報告して返事を強要していたし、怖くなった時に適当な理由をつけてお母さんを呼び出したりしていた)、やっぱり怖いものは怖くて、できるだけ避けて通りたいことだ。いまもそう。

一人暮らしの話題の時に「一人暮らしできないかも」という理由でその話を出した。ちなみに友達が「この子一人でお風呂に入れないんです」と言った時はすごく勘違いさせてしまったようで「どういうこと?」と怪訝な顔で言われた(実は、以前友達にそういう言い方をしたのは私だ、友達に「は?」と言われて気づいた。確かに語弊がある)。
私が慌てて説明しなおした時、どんなツッコミがでるのかと思っていたのだが、先輩が聞いたのは「それ昔からなの?」という初めての質問で。そうですねと言ったら、「ふうん、じゃあしょうがないんじゃん」と、最も簡単に受け入れて見せたのだ。驚かれなかったのも、変に質問攻めにならなかったのも初めてで、わたしはもう、目が飛び出るほど驚いた。失礼にも「馬鹿にされると思いました」と言った私にも、「別に。そういう感覚があるならそうなんだろ」といったようなことを言ってさらっと流していた。(びっくりしすぎて言葉を覚えていないのが本当に悔しい)

共感でもなく、納得でもなく、ただただ受け入れる。よくカウンセリングで聞く言葉だったが、「ああ、こういうことか」と腑に落ちた。弱さをそのままでいいと言ってもらえることは、相手がどう思っているかは関係なく、私が私のままでいいんだなという絶対の安心感につながるのだと痛感した。先輩は、人間関係で難しいことを簡単にやってのけたのだった。

他の人には大したことのない話だったかもしれない。話題としてもあまり盛り上がったわけでもない。でも、ただひとつ、弱さを受け止めてもらったことが、私にとってはあまりに幸福だった。

しかも、その後1度その話題が出戻る事があったのだが、「嫌な話ぶり返して悪いけど、」と前置きもしてくれた。適当な返事ではないということは分かっていたけど、本当にただ受け止めてくれただけだった。弱さやもろさを綿で包み込んでくれるような優しさに、どうしたらいいのか分からないくらい安心したし、尊敬した。



そして、ひとつ思い出したエピソードがある。
あるゼミの日、私は自分の準備不足と女の子の日と機嫌の良くなさ、全てがたたって、披露した全てがボロボロだった。客観的に見ても最悪といってよかった。当然、それをまっとうに先生に指摘された時、悲しいやら悔しいやらで自分が不甲斐なくなって、唐突に泣いてしまったことがある(本当にやめたいが私は引くほど泣き虫だ)。指摘が昔からちょっと気にしていたことだったことも、さらに「幼い」という言葉だったのも、「わかっていることを改めて指摘された」ことも、私のちゃちで不要なプライドに触れた。私は子供扱いされたり、精神的に自立していないと思われるのが多分大の苦手で(そういう経験も多くなかった)、さらに、自分がわかっていることを突かれるのも大嫌いだった。「わかっていることをわざわざ言わないでくれよ」という、まさしく幼い気持ちが、恥ずかしながら全部涙に直結してしまったのだった。

そのとき、泣いてしまった私が喋れなくてつかえた時に先輩が話してくれたのだ。「正直別に、そんなに俺は気にならなかった。そんなに心配しなくていいんじゃないかなと思う。それに、別に最初から完璧であるわけがない。今できるかどうかじゃなくて、訓練して、これからできるようになればいいだけ。気に病むことはないと思う」って。
本当に無礼なのだが、あまりにも泣いてはいけない場で泣いてしまって人を困らせてきた経験の多い私は、私が「泣いている」からそういう優しい言葉をかけてくれるのかなと思っていた。でも、今ならわかる。それより多分、私が弱くなっているのをしって、だから私の脆いところを包んでくれようとしたのだと思う。泣いているのはただの結果で、その過程で私が(もちろん先生が悪いわけでなくて私の力の及ばなさで)傷ついたのを見て、そう言ったのだ。それも、感情的な訳ではなく、建設的で、本当にわたしの弱さを支えるような説得力を持って。
その後、あんまりに生意気な私はめちゃくちゃな涙声で「でも、ずっと気にしてて、直したいと思ってたんです」といっても、先輩は「ああ、そうなんだ」と特別丁寧な言い方で、結局私を責めることは一度もなかった。挙句、再チャレンジをした場で、「まじであの短時間でよくそこまで気をつけられたなと思う」と褒めてくれさえした(先生も、他の先輩も褒めてくれた。私は自分の研究室が間違っていなかったんだなとつくづく思っている)。

その時は本当にいっぱいいっぱいで、早く帰りたいし恥ずかしいしでもう、本当に研究室にいる自分がいやになったものだが、あの時の先輩のやさしさと、先の合宿でのやさしさはよく似ていると思うのだ。弱さを許容する優しさ、それを害さない距離感。


これは、恋愛として好きとかそういう話よりももっと、人間として本当に尊敬した部分だと思う。優しいと言う言葉でまとめるにはあまりにも人格的なその考え方と行動を誰にも一様に与えられるその人を、私は敬愛している。深くまで知っているわけでも、まして特別仲良しな訳でもないので、わたしのそうあって欲しいという主観が混ざっているのはやむ無いが、それでも、できるだけ客観的に見ても、先輩はやさしいとおもうのだ。


いつか、ありがとうが言いたい。私のためにも差し出してくれた、その眩しい優しさを尊敬しているとも伝えたいなあ。

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