雨降って、地を固めたい

こんばんは、ちかと申します。


久々のデートの時間を短くしてほしいと言われてどうしたらいいかわからない、という話の続き。
備忘録、思考、ふんだんに詰まっていて、何日もかけて書いたので読みにくい。(そして、長くなりすぎたので分ける)


あのあと、noteに書いた後も考えに考えて、2時間かけてLINEを書いた。
結局いいよ、と打つたびに涙が止まらないので、それは言わないことにした。「うん、わかった」が限度で、それだけを送ろうとしたけど、絶対に伝わらない、かつ、これは伝えた方がいいのだろうとおもったので、泣き疲れた体に鞭を打って、「わかった。でも、私は楽しみにしていたからショックだ、君は違うのか」「温情でデートはしたくない、忙しかったら会わなくてもいい」という内容を送った。送信するときは勢いだった。

実のところ、私、人にリアルタイムで「いやだ」「悲しい。やめてほしい」と伝えた経験がほぼない。後から「あれはやだったよ」と笑い話にすることはあっても、その大きな感情のままぶつけることはほぼ、というかない気がする。

だから、送った後はあまりにも怖くて。毎秒既読がついたか確認してしまうので、ラインの通知を切り、ラインの通知を切ってもバッチがつくのが嫌で通知数のバッチすら外して、ひたすら関係ないことをしようと努めた。努めた甲斐はほとんどなかったけれど、通知が来ないスマホはほんの少し私を癒してくれた。来ているかもと思うと言うよりかは、「来ないもの」って思える気がして。

これで酷いことを言われたら、とずっと考えていた。温厚だから、喧嘩をふっかけてくることはないとは信じたかったので、ノーマルプランは「ごめんね、会いたいとは思ってる、短くなっちゃくけど会おう」とか「短くなってごめん。会う予定だったから会いたいとは思ってるけど、普段ちょっと早く帰ることもあるし、今回もそうしたい」とか。酷かったとして、「研究の時はいいよって言ってくれるけど、それとは違う?」とか「ごめん、会う方が面倒くさくなりそう…明日は会わないでおこうか」とかだろうか。
勝手に想像して、(個人的に絶対にしたくない)送信取り消しをして「いいよ、会うのやめる?」と言い換えようかとすら思った。でも、それこそ「会うの止める?」っていって「そうしよう」とか言われたらそれこそ最悪で、「わかった」かスタンプか既読で返事をした後、大事にしていたLINEを毎日する、というのもやめただろうし、次いつ会うかも聞かずに燻っていたに違いない。相手は気づいてなくて、察して欲しくて無視するなんて無意味だとわかっているが、自分が落ち着くためと言い聞かせて、無視しただろう。そして、彼の優しいところを全部忘れて、LINEの無愛想なところを煮詰めた極悪非道の恋人を作り上げて悲しみ狂っていたにちがいない。
だって、久々に恋人と会う予定だった時に会わなくてもいいやと思われているというのは、あからさまに「興味がない」ということに違いなくなる。そんな思いで付き合わせているのだったら、さっさと離れた方がお互いの身のため。感情的になっているとわかっていて、それから逃げられなかった。

そうこう悩んで1時間後に返信が来た。というか、結局見回りをしていたので既読がついたのを確認したのが数十分後、その後開くのに本当に勇気を要した。返信が来たと気づいた後は、たっぷり3分はLINEをひらけずにいたと思う。

おおまか、恋人の返信はこのようだった。

謝罪、会うことは楽しみにしていたこと、何も考えずにデートを短くする提案をしていたこと、後からの予定はキャンセルするからゆっくり会いたいこと、私が不満を伝えたことへの感謝。

恋人のこう言う時の対応にはどんなものも叶わない。私が思う私を慮る回答よりずっと美しいものが返ってきて、自分の傍若無人さとの対比にあまりにも心臓に悪くてもう一度泣いてしまった。特に「言葉にしてちゃんと伝えてくれてありがとう」と言ってくれたのがあまりにも刺さった。恋人のその視座の高さと、物事を俯瞰してその場限りのことではなく捉えるその聡明さを垣間見た。
そしてきっと、(あとから冷静になりそうだったと解釈したことだが)彼の立場を捨て、私が悲しいと思ったことに対する解決をしようとしたその一心であの返事をかき、私の立場で受け取ってくれたのだろうなと思った。今でこそ思うが冷静になればなるほど、恋人の立場に経てば経つほど私の感情は邪魔なもので、人生がより上手くいくには不要な存在だ。所謂「効率的」な恋人から見たら、非効率でしかないもの。でも、彼が選択したのは私の感情を尊重することだったし、私のわがままを許容する判断だった。 
彼がどう思ったか、ということでなく、この問題に対して彼が選択したものがそれ。嬉しいとか安心したとかそっちのけで、「彼にとっての正しい選択はこれだと判断され、そして、感情とか自分の意思でなく、正しいと思ったものを選ぶ人なんだな」と思った。理路整然としていて、効率的で、けれども優しくて穏やかな彼の全てが詰まっていて、苦しくて死にそうだった。

それは、私の信ずる正しさに酷似していて、それも同様に苦しかったのかもしれない。
恋人は、それなりに違う生活をして過ごしてきたことが不思議なほどに、感覚が一緒なことがある。LINEをみた時の引き攣るような痛みは、多分「彼の気持ちでなく私の気持ちを優先するべきだ」と彼が判断したことでひとつ彼の気持ちを殺したと知ったからだと思う。こんな時、具体的にいうと心理的に誰かがダメージを負ったり、不穏な空気が流れているとき、「自分のことはさておいて相手の意見を優先するべき」という思考は、本当にそっくりだった。思ったことを伝えるのではない。感じたことを押し付けるのではない。自分の意思や希望よりも他人を守ることが必要な場面と判断することのある恋人だと、知っていたけれど目の当たりにするとそんなことをしてくれるのだと驚くばかりだった。これは、やった後に消えないとても負荷のかかることだ、無視のできない負債。やりすぎると感情がおかしくなるような感覚になるので、そんなことにならないようにしなくちゃと強く思った。

彼の思い通りにさせてあげられない自分が、恋人を応援しているはずの自分と背中合わせに仲違いする。一方で、「よかった」と思ったのももちろん事実だった。

そうして、デートは無事に開催されたし、当初の予定と同じで長く一緒にいてくれた。罪悪感は残るけど、総じて「よかった」と思う。お互いの判断と行動は、形になって実っている。


これを機に、私たちは初めて、気持ちを削る話し合いというものをした。(ここまで前座なのが怖すぎる)
忘れられないことが3つ。今回は1つ目のご紹介。


1つ目は、「あのLINEは来た時正直面倒くさいなと思った」と言われた時の、五臓六腑が沈む感覚。LINEを見た時は面倒臭いなとおもったけれど、その後、冷静になろうと思って少し時間を置き、冷静になってから考えて私の主張を汲み(基本私が正しいと思っているらしいので、それを元にしたのだと思う)、あのLINEを送ったという。「感情的になったまま色々言われたら嫌になっていたかもしれない。ちょっと落ち着いて考えることの出来るテキストベースの会話だったから上手くいった」とのことだ。
思わず「どれがめんどくさかったのか」と面倒くさい質問すら重ねてしてしまったし、それには「最初だけだ、感情的になっていただけだから」とごまかしていた。そして、たくさん謝ってくれた。

わたしはたぶん、面倒、という言葉が彼から私に降ってきたときの心臓の痛みは生涯忘れないのだろう。
どちらにとっても都合のいい現実が全てでは無いのだ。私が彼の人生を邪魔していると思うものは、彼にとってもやっぱり邪魔なのだと認識するにはいい機会だった。冷静になるべきだ。どんな時も愛する人が理解者とは限らず、他人は他人であることをいつでも心においておくべき。理性と感情のバランスは人それぞれで、注意深く扱う方が良い。彼は聖人君主ではなく、私が正しいというわけもなく、だから、こうやってどうしようもない傷だって絶対に生まれてしまう。私たちは独立した赤の他人なので、そうでないとおかしい。近づいた証拠ともいえる。

近づいた暁に、傷の痛みでなく、どうしても傷がつくのだということを覚えておきたい。どんなに慈しみあっていても発生することだ。
その上で、その感じた痛みを分かち合った時に多くの慰めをくれた恋人を「やさしい」と私は思うし、頭が上がらない。どんな言葉で表したらいいか、まだ私は見つけられないけど、恋人のその、「人を傷つけたくない」「傷つけたことに罪悪感を感じる」、の感度の良さと繊細さ、人当たりのあたたかさに、きっと私は何度も助けられて生きていくのだろうと思った。そして、これをきっと「尊重」というのだと思う。彼は私を尊重してくれているんだと、実感した。


ここで思うことが一つ。

多分、彼の「めんどうくさい」の根本は、自分の理解できない感情に対して、効率的でない選択をすることへの違和感や苛立ちなんだろうと思う。きっと彼の周りにそういうことをする人はいなかったのだ。
相手の意見を尊重するのが優しさとするなら、私も少しは持ち合わせている。そういう「優しさ」がある人に断られることなんて、友達の距離だったらあまりないだろう。恋人は今回の件を「私の優しさに甘えた」と言っていた、本当に賢いひとだ、(すごく上からだけど)その通りだと思った。
恋人という近い存在だからこその私の憤りだったし、近い存在だからこそ彼は切り捨てられないそれを面倒と思った。どちらの感情も正当なものだ。

感情と効率が背反になったときに、効率を選ぶ正しさもこの世の中にはある。感情を選ぶ正しさもある。(ここでいう正しさとは、将来性があるということとしておく。)どちらも、どちらの価値観の上で成り立つ。どちらがいいかどうかは、状況や人によるだろう。
このように答えの決まっていないことは話し合わなければわからないし、知っていても察するのは難しい。けれどとにかく赤の他人とよくやっていくには、近づいた分こういう折り合いが必要不可欠である、と私は思っている。絶妙なバランスが必要だ。
恋人もそれをわかっていると思うけど、私も基本効率的なタイプなので恒常的に意識することはなかっただろう。でも、たまにそういうことがあるということ、そんな時に感情的な部分が露出するということを相手に伝えられたので、今回勇気を出してみてよかったかもしれない。相手の中で相手が正しく、私の中で私が正しい、それでもなぜか亀裂ができてしまうこと。そんなときには必ずコミュニケーションが不可欠なこと。私も私の恋人も、きっともう忘れない。

と、こんな感じで私は話し合いの後も数日考え続けてやっと腑に落としたが、彼が今回の件を本当に納得しているのかは分からない。もしかしたら根に持っているのかもしれないし、彼の中の心のしこりになっていてもおかしくない。
私が「もしも「いいよ、会うのやめる?」って君の想像する寛容な私でLINEを返したとして、「それだと助かる」と言われたらだめになっちゃうなとおもってやめたんだ」といった言葉に「だめになるってどういうこと?」と聞いてきて「うーん、やっていける自信がなくなっていくというか、もういいやってなってたと思う」と答えた時、「え、そうなんだ」と相当ショックを受けていたみたいだった。しばらくしてから、「ああやってはっきり言ってもらわないと分からなくてごめん。言葉にしてくれてありがとう」とハグをしてくれて、それがやっぱり一番、どんな謝罪より私への気遣いよりも本心に近い、「彼の心情に近いもの」だと思ったし、それがすごく嬉しかった。確かに、彼女がちょっと感情的になっていたのをいなしたあと、実はそれが信頼の綱渡りをしていたことをあとから聞かされたと思うと肝が冷えるよね。悪いことをしたな、ごめんね。
でも、やっぱり、それほど私との関係を当然としてくれていたことを、不謹慎ながら嬉しくおもった。

気持ちなんて伝えないと伝わらないよね、という数年前の反省活かせた私も、恋人の言う通り偉かったね。私は察してよじゃなくてはっきりいう必要もあったし、恋人もそれを受け入れてくれて、本当に良かった。

そんなわけで、「なんともないよ」というには色々あった。私たちはそもそもの根源「あまり会っていなかった」ということに対して、「あまりあけずに会う努力をした方がいい」という対策を立て、なにか不穏なことがあった時も「相手の考えていることがわかるためには対面が一番だから、対面で会える時は会おう」というような結論に至った。

(ねえ、元彼のきみ、私ちゃんと「言いたいことを言える」ようになったよ、えらいでしょ)


一旦、ここまで。多分書き換えもするんだろうけど、とにかくたくさん考えた。
やさしく賢い人と一緒にいても傷つくと自分がダメみたいに思って落ち込むけど、自分だけが悪いわけじゃないのよと、ちゃんと肯定してあげたい。




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