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恋人が居ない理由

こんばんは。ちかと申します。


数年、恋人が居ない。
どれくらい居ないかと言うと、母に「結婚をする気はあるけれど彼氏がいない歴2年」とブログにこっそり書かれるくらいには、いない。ちなみに歴は2年をゆうに超えている。

同年代の異性と触れ合う機会もあるし、新しい世界への扉だってちゃんとノックしている。小さいけれどいくつかのコミュニティがあって、それぞれ、ちゃんと可能性がある。はず。
でも、最近の私は、振り回したり振り回されたりするだけで、特別な関係まで至る方がいない。それを、焦る様なことでも、比べるようなことでもないのよ、と自分に言い聞かせている。すなわち、多分、そこそこ気にしてる。


些細なことだって、分かってる。
恋人が常にいる方がいいと思っている訳ではないはず。でも、いままでいたことだってあるのに今はいない、という事実に、自分の魅力を考え直してしまうの。
今回はそういうnoteです。


まず、私のふたりの元恋人の話をしよう。

わたしは、大学に入って、1年の夏と2年の冬に、それぞれお付き合いをはじめて、それぞれ次の春と秋にお別れをした。長いとは言わないけど、短いと思うかどうかは人による。10ヶ月程度の関係だった。
彼らから学んだことはおおくある。
愛がある幸せ、連絡を待つもどかしさと、返信に気づいた時のときめき。手のあたたかさ、人肌のくすぐったさ、ハグのここち。気遣いの嬉しさ、ありがとうの威力、ごめんなさいの大切さ。別れる寂しさ、意見の違いをぶつける勇気とそれが出来る信頼関係のほこらしさ、誠意の美しさ。すれ違いを放っておく恐ろしさと、恋しているときの自分の暴走。
楽しいとか、嬉しいとか、辛いとか、感情一直線というより、色々なことを考えすぎてよく分からないぐちゃぐちゃのキャンバスになっていることが多かったけれど。時間と心を頂いて、時間と心を砕いて、一人の人に沢山向き合うという時間があったなあ、と思う。

分かったことはたくさんある。
理想など理想に過ぎないということ。自分が思い描いた通りにできる訳じゃないし、相手の行動予測なんて全くつかないこと。付き合い始めてからのプライドが、色々なことを邪魔してしまうこと。自分があまりに可愛くない態度をとりがちだということ。普段おしゃべりなのにあまり話せなくなること。立場に窮屈さを覚えること。自分が自分のことを考えすぎて嫌になること。恋愛している自分は、酷く愚かになること。相手の好きを信じられないのに、何も言えない弱い自分を守ることしかできていないこと。相手を好きな間は趣味に興味が無くなり、少し距離を置きたい時は他のものが眩しく見えること。
色々な経験させてもらえた2人にはずっと感謝しているし、彼ららしい幸せが待っていることを願っている。


彼らとの恋愛を通し、私の理想の相手は「やさしい」「論理的で建設的な話し合いができる」「誠実」「前向き」「ごめんとありがとうが言える」といった、あまりに在り来りな言葉たちに収まっている。正直、どんな人が好きで理想とするとどうか、と色々考えてはみるものの、結局離散してしまうし人によるとしかいえなくなる。そんなのわかった上での理想だと分かっていても。(この現象は、好きな食べ物に即答できない感覚に似ている)

そうしてそんな理想を抱え、色々と厄介なことを考え続けしばらく、私がこのノートを書く理由になったひとつの私の欠点をみつけた。

恋愛というものが日常に転がるような環境にみをおいてまる五年、私はいたく傍若無人な振る舞いをしていた、ということに気がついたのだ。

人間関係は水の流れのようで、変わらないものなんてない。人も成長したり考えが変わったりして、変化していくものだろう。
でも私は、こと恋愛に関してのみ変わらないものを望み、自分をそこに押し込めていた。自分は告白された時の自分のままでいなくては、と思い首を絞めたし、それと同様に相手にもその自分を愛するようにと、浅はかな願いを抱いていた。全て自分本位で考えていたような気がする。

本当は、上手くいかなくなった時や困った時は話し合って解決したり、2人で「どうにかしよう」とするべきなのだ。私はいつもどちらかの意見を反映しないといけないような気がして、「2人で作りだす」ということをしていなかった。嫌なものは嫌で、相手と一緒に相互理解を深めて折れ合う、という事が上手に出来ていなかった。人なんて折れないとやっていけないと言うのに、譲歩が出来なくなってしまっていた。

どんなに嫌なところがあっても、理解できなくても、それを敵だと思わずに話を聞いてみたり、やめて欲しいと伝えたり、そういう一つ一つのアクションを今まで「我慢してこその彼女」と封印していた自分が恨めしい。受け止めている振りをして、分かっていないままモヤモヤしているのは、寛容などではないのだ。相手のためでも、自分のためでも、2人のためでもないエゴ。

はたと気づいてから、たまたま付き合ってくれていた元恋人に感謝の念は収まらないし、これから出会う人とは、そうやって上手くやっていく方法を捜せたらいいなあって思えるようになった。話し合いができなかったってわたしは思ってたけど、話し合いを求めていなかったのは私だったんだね。

理想の相手を見つけるんじゃなくて、巡り会った相手と理想の恋人になれるかどうか、その努力ができるか、と言うのをお互いに確かめあうのがデートなんだろうな。
そしてそれが足りていない青い思春期を過ごしていたから、恋人に恵まれていないのだと思う。最近の恋愛は「あまり好きじゃなくなった」「相手の嫌なところが目に付いた」というような理由ばかりで終わりを告げていて、つまり、そういうことだ。

中高何もしていなかったハンデもそろそろ気まずくなる頃、わたしはできるだけ少しずつ前を向いていきたい。誰も彼もOKというのもまた違うとは思うけど、嫌なところが見つかっても2人で乗り越えられそうだと思ったらチャレンジしたい。そういうお付き合いを、次はしたい。







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