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欠乏感はどこからきたの〜?

私は折に触れては、馬鹿にされている。
と、よく感じるタイプなんです。

って文字にするとヤバいなと思いますが、ほんと、コレ良くあることなんです。

先日、私がやっているポッドキャスト番組にお手紙を頂いたので、番組内で頂いたお手紙の内容を、お話させて頂きました。
内容については是非、番組を聞いていただければと思うのですが、収録後、チェックがてら録音データを聞いていた所、ふと、思った事があったのでnoteにまとめてみました。

ポッドキャスト番組で、過去の私は自分の情熱を、劣等感を埋める為に使っていたと話したのですが、ふと、あれ、、、コレって。。もしかしたら、私の両親が私を育ててくれる時のエネルギーだったんじゃないかな。と思いました。

私の両親は戦後の生まれです。今の日本の一般論では、到底分からないような生活や経済だったと思います。
父も母も学歴が高くなく、その為に生きていく上で様々な苦労をしてきたのだと思います。

その為、私にちゃんとした学歴を付けさせたいと言う思いもあり、一生懸命働いてくれて、私を教育してくれたんだと思います。

しかし、両親が頑張って働いてくれた結果、私は十分満たされた人生だったので、両親が大学に行ってほしいと懇願する理由がよく分からず、大学を途中で中退した、大馬鹿者になってしまいました。ほんとにごめん。って今は思ってます。
ただ、大学中退したことについては、全く後悔はしていないので、それも相まって更にごめんとも思います。

親に欠乏感があったかどうかは定かではないですが、自分たちが得られなかった物を、娘に与えたい。そう思うエネルギーごと、私の中に注がれているような気がしたんです。

そのエネルギーが、私が自分の劣等感を払拭する為に、勉強したり、激しく働いたりする行動をもたらし、その結果、普通くらいには働き、生きていけるようになった。

両親が私に注いでくれたものは、間違いなく純度の高い愛情です。
私は自分の欠乏感を満たそうとする行動の流れの中に、両親が注いでくれたエネルギーもあるんじゃないかと思ったんです。

そうなるとね。欠乏感を満たそうとしていた私の行動も、純度の高い愛情なんだなと思ったんですよね。だから、ちゃんと私に、生きていける術をもたらしてくれた。そう思うと、欠乏感に抱いていた印象がだいぶ変わって、愛しいものなんだなぁと思いました。

そして欠乏感は、想像していたのと違う形で満たされた。

足りていないものが満たされて「満たされた」となった訳じゃなく
あ、この欠乏感が導きたかったものが、何なのかわかった。と言う感じだったり
欠乏はまやかしだ。と気がついたと言うような形で、満たされた。

老化と共にエネルギーが減り、無駄なことにエネルギーを注げなくなってくる。
ミッドエイジクライシス、中年の危機に起こる事象の一つだと思う。

けれども、その事象がもたらすことは、
「もし?あなたはもう、その部分は十分に満たされているのではないかい?」
と、気が付くきっかけになったり、
「もし?あなたが本当に欲しいもの・環境はそれじゃないのではないかい?」
と、気が付くきっかけになる、大事なものだと思います。

両親が注いでくれた、そのエネルギーを、私がどう使うのか。
それをこの後の人生の時間で、試行錯誤しながら生きていきたいなと思いました。






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