FUCK MY LIFE
何もしたくない。
失敗することが分かりきっているのに挑戦できる意味が分からない。新しいことを始めたってどうせ続かないし、新しいことを始めたいとすら思えなくなってきた。熱量を持って何かと向き合った経験がないからもう無理なんだと思う。家に帰って自分の部屋に入った瞬間に全てのエネルギーが0になる。やろうと思っていた計画も、失敗したときの惨めさも、ぜーんぶ0。
失敗したり、上手くいかなかったことがあったときには思う。家に帰ったらちゃんとやろうって。英単語1から勉強し直そうとか、今日0点だった小テストの復習やっておこうとか、明日の生物の授業の予習やっておかないと先生めんどくさいなとか、家に帰るまではいろいろ考えるんだけど、部屋に入ったら0。そういう小さな積み重ねがあってはじめて成功するのは分かってるし、未来に押し込んだ負債は何倍にもなって自分に返ってくることは分かっているのに、それでも0。
打算的に考えても無駄だから、何も考えずにとにかく一歩踏み出せばいいのは分かってる。でも、出来ない理由だけをかき集めて逃げる。逃げて逃げて、自分の中に閉じこもって、今。なんにもならない、自己満足すらままならないカスみたいな人生。
Twitterのフォロー1154、フォロワー0の鍵垢がここ数年の僕の全て。誰とも関わろうとせずに、自分の世界だけで終わる。外からの新しい刺激から逃げ続ける。比べる対象がなければ自分の世界は保たれるから。認識しなかったらそれはないのと一緒。僕を置いて大人になっていく同級生も、僕にだけ厳しい現実も、そんなものは存在しない。
僕からすると生活の全ては挑戦に見える。家から出ることも、授業にでることも、誰かと会うことも、バイトをすることも、来週の予定を立てることか、将来のことを考えることも全部が挑戦である。やるかやらないかの二択が常にそこにあって、エネルギーが必要な方を選択し続けなくてはいけない。決断する度に心の内側の何かがすり減っていく。僕の決断が生活に浸透することはない。
出来なかったり、上手くいかないことがあると、それに病気の名前が付けれるらしい。社会生活が上手くいかないのも、人と関われないのも、無気力なのも、病気のせいにできるらしい。でも、僕はものを考え始めることができるようになってからずっとこれなのだ。自分のことが一番大切で、自分のことを一番に考えて、爆発みたいなやる気と、マイナスの方向にしか作用しない意思の強さが僕なのだ。今までの人生は全て病気だったのか?そんなことあっていいはずない。いったいなんなんだこれは。意味が分からない。
Twitterには前を歩く発達障害の屍がたくさんある。崇高な志をもつ社会不適合者が毎日死んでいく。理想の自分と現実の間に挟まれて息ができなくなって沈んでいきながら、僕のことを身の程を知れって目で見てる。
挑戦しなくてはならない。一歩前に踏み出さなくてはいけない。今はどんどん僕を置いていって過去になる。これ以上、一人で同じ場所に留まっている訳にはいかない。でも、挑戦することはストレスで、めんどくさくて、怖い。何も行動しなければ自分は何も変わらない。傷つくこともなければ、いい結果がもたらされることもない。それでいいのか?ダメに決まっている。いつかは自分と向き合わなくてはいけない。ふと、インスタを開いたとき、LINEを返信するとき、鏡を見たときにいきなり目の前に出てくる。後ろを振り返ったときに、なにもない人生を後悔する。
停滞こそが悪だ。変化しなくてはならない。たとえ未来が屍だとしても、このまま足から腐って動けなくなるよりましだろう。
次はもっとポジティブなことが書けるといいな。
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