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3.11のことを思い出したお話し
輪島に住む姉一家と、そこへ預けている八十になる両親。とりあえず生きていることだけは確認できたものの、
- 家は無事。ただし、家財はぐちゃぐちゃ。
- 体育館に避難中
とのこと。
せめて、バッテリー代わりになるらしいPHEVにしたクルマが役に立っていてくれたらと思いつつ、新年から気が重い。
この重さ、311で実家のある水戸(茨城)も少しながら被災した時のことを思い出す。
3号機の爆発直後、実家の両親を輪島(石川)の姉のところに避難させたいと思いつつも、水戸に行く手段がない。
地震から一週間、まだ電車でも辿り着けないし、「ガソリンが入手できない」との理由でレンタカーも断られ。
モヤモヤしながら諸用で乗ったタクシーのドライバーさんに愚痴ったら、「僕が連れて行きますよ!」と。
しかも、営業が終わった後で個人的に無償で引き受けると。
その方は神戸の震災の時の経験から、自家用車にガソリンを積むようになったとのこと。こういう時に使うべき!と言ってくださった。
待ち合わせ場所へ行くと、本当にワゴン車で待っていてくれた。
下道で何時間もかかることを覚悟していたけれど、わずかの期待で高速の入り口まで行くと、ちょうどまさにその時間から常磐高速が通行再開となったらしく、1時間ちょっとで着いてしまった。
見知らぬ初老男性と息子がひょっこりと現れたことに、事前にどうにかして行くことだけは伝えてあったものの、母はキョトンとしていた。
父は「仕事があるのだから地元を離れられるわけないだろ!」と怒鳴った。
ドライバーさんへの労いをかねて食事をして、実家をあとにした。玄関には、母がいつでも出られるようにと用意していた小さなボストンバッグがあった。
東京に戻りながら、ドライバーさんの半世紀やお子さんとのことなどを聞いた。どこの家庭もいろいろあるようだった。
白タク行為になってしまうからと遠慮されたが、往復分と僅かながらの御礼をして、お別れをした。