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何故、芸能人やアーティストが政治的発言をすると嫌悪感を抱く人がいるのか。自分なりに考えてみた。

検察庁法改正法案から見えたもの。

検察官が「役職定年」の年齢を過ぎても政府の判断で検察幹部にとどまれる規定の新設を、政府、与党が押し進めていたが、一旦今国会での成立が見送りになった。

(この改正法案自体には検察官だけでなく、国家公務員の定年延長も一緒に束ね法案という抱き合わせで審議されており、そちらも一緒に廃案か次の国会での成立を目指すこととなった。国家公務員の定年延長は時代に則したものだと思う。そしてこの件は今回はスルー。)

私はこの検察庁法改正法案に対し黒川氏の問題云々の前に、
政治家だけでなく国民からも、民主主義という観点からこの国に危機感を感じた。

Twitterで芸能人の政治ツイートに嫌悪感を抱く人現る。

#検察庁法改正法案に抗議します

この、ハッシュタグがTwitterでのトレンドになっていた。

数々の著名人がこのハッシュタグをつけてこぞって反対意見をツイートしていた。

しばらくして、芸能人が以下の一般人のツイートをリツイートしていた。

「〇〇さんから政治的な発言を聞きたくなかった。」

私は違和感を覚えた。その芸能人もリツイートした背景には「まただよ。」という意味も含まれていたことが分かった。

騒動になってツイートを消した芸能人も居た。

私が今回取り上げたい問題は、芸能人が政治的な発言をすると嫌悪感を抱く人が居るという事。

もちろん芸能人だから政治に対して思うことや考える事を自由に発言してはいけないと言う事はない。

何故政治的な発言を芸能人がする事を毛嫌いする人が居るのだろうか。

芸能人の政治ツイートに嫌悪感を抱く人の気持ちになってみた。

私は芸能人のツイートに対して素直に「そんな発言聞きたくなかった」と返信できる人はどんな気持ちであるのか考えてみた。

推測でしかないから的外れかもしれないがきっとこんな気持ちだったのだろう。

・よくわからない事を言わないでほしい。自分の理解できる事だけ話して欲しい。

・Twitterで近い存在に感じられたのに遠い存在にならないで。

・イメージしていた姿から違った。自分の思い通りの人じゃなくてがっかり。

・関係ない話をするな。

・世の中に影響力のある職業の人が政治の話をいけない。

ざっと考えてみたがこんなものかなと思う。

書き並べてみるとかなり自分の思い通りにならなくてわがまま、思い込み、勝手を言ってるだけだと改めて思った。

元々政治に興味がある人であれば反対の意見をもってる人でも「聞きたくなかった」なんてそんな事言わないだろう。Twitterという大海原で芸能人相手に自己主張できる人だ。反対意見を勝手に押し付け戦ってくるに違いない。

と、思うと政治に興味関心がもともと無い層が芸能人の政治発言に対し嫌悪感を抱いていると推測できる。

そう言った人々は芸能人が政治的な発言をしてはいけないと思い込んでるのかもしれない。池上さんや池上さんの番組に出てる人はいいのか。その番組にきゃりーぱみゅぱみゅが出たらいいのか?

それだけではない。政治は政治家だけが考えてればいいと勘違いしてるのかもしれない。

政治に興味関心がない層。

日本は民主主義国家と言われている。

民主主義とは私が解釈するには「主権は国民皆にあり、自分(人民)がみんなと平等と自由の権利を持って、意見を話し合って(多数決で)自分も皆も良い方向になるように話し合いで決めていく政治をすること」だと思っている。

厳密には日本はそうではないという人もいるだろうけれど、一般的な解釈に近い方で話を進めていく。

民主主義の反対語はいろいろあるが代表的なものでいうと「独裁制」だろう。

独裁者に主権があり、なんでも好きに決めて政治をしていく事。北朝鮮みたいな国がそう言えるだろう。

独裁制なのに芸能人やサラリーマン、医者、パイロット、花屋、居酒屋店員が改正法反対なんてツイートしたら将軍様に抹消される。

ん?あれ?集団的自衛権の時も今回の検察庁法改正法もそうだけど、なんか勝手に政治家(ていうか安倍首相)がやってるだけに見えてこないか。

芸能人が政治的なツイートすることに嫌悪感を抱いている層はもしかして日本が独裁国家だと勘違いしているのか???

(一応安倍さんや麻生さん達をみんなの多数決で決めて国会議員にしてるけど・・・。)

本当の民主主義というところから言うと、今回の検察庁法改正は有識者の反対の意見書が出された事もあり、廃案になるか再検討となった。反対の意見の方が多かった。世論が民意が通った瞬間でもあったと言える。これが本来の日本のあり方だと思う。

誰しも自由に物事を発信できて同じ人民から職業で差別される事がなく(芸能人だからと言って発言が平等の同じ立場の人間から規制される事がなく)生活のことを考えられるなんて素敵なことではないか。

芸能人の政治ツイートに嫌悪感を持つ人にも政治に関心を持ってほしい。持ってもらえるには。

芸能人が政治の話をしてはいけないと勘違いしている層に、勘違するように仕向けているのはどこだ。どこに責任があるのか。

テレビやメディアか。集団的自衛権であれだけの国会前での反対デモが起こったが政府は動じなかった。テレビでそういう姿を映す事で、あーそういうものなのかー、民意は届かないのかーと諦めの境地に陥らせたのか。

(あの時は反対派が多いように見えたがメディアの戦略かもしれないと思うと怖い。政治家を悪者のように見せて正義の反対派のような構図を作っているようにも見えた。反対派が目立って見えたけど賛成派もいる。メディアもテレビ映えする人たちのところばかり行って放送してきた。)

政治家か。本当は、「賛成の人もいれば反対の人もいるよね、でも良い国を作るため集団的自衛権は大切なんだ」とちゃんと集団的自衛権の重要性を浸透できなかった賛成派だった政治家達が悪いのか。

(沖縄では米軍基地を辺野古湾に移設反対運動などデモが行われているが、実際問題知事は移設反対派である。民主主義。色んな意見があるけれどみんなで選挙で決めた結果がこうなった。)

地域のおばさんか。住む街の市議会議員選挙があった時、まつ毛パーマかけに行った先の美容サロンの向かいの席で「私は選挙に行かない。関係ないもん。」と言ってたおばさんがいた。関係ないのだ。この街は独裁制だと思っているのか。どうしたら関係あるように思ってくれるのだろうか。

じゃあもうこの街の道がガタガタで悪いとか学校が汚いとかゴミの分別の仕方とか生活ができなくなっても文句も何も言うなよとツッコミたかったがグッと抑えた。

やっぱ政治家?でも、よく考えると政治家は市民、国民を蔑ろにしているように感じていた。政治は関係ないと考える人が増えれば増えるほど独裁制に近くなり、一部の賛成の人がいれば自分たちの政党や内閣の私利私欲の為に法の解釈を都合のいいようにコロっと変えれるからだ。政治家しか政治のことを言ってはいけないとまでは言っていないがこういう人が増えたらやりやすいだけ。

そして私たちの自由や人と人の平等がなくなっていく。

教育か。学校では民主主義はこういう事だと教えてくれるけれど、実際自分に当てはめて考えることを教えてくれなかった。

もっと政治に対して踏み込んだ授業が必要なのではないか。

今やおばさんが言うように、政治は興味のある人だけのものになってしまった。

確かに政治は直に自分の生活に関係ない事もあるしエンターテイメント的な面白さは無い。

だけれど、これだけ自由に生きることを保証された日本で自分自身で自由を奪うような考え方になってはいけないと思う。

現に年金問題など既に世代間で平等ではない事もあるではないか。

政治家はバカではない。票を入れてくれる年代のためにアピールしているのだ。

明らかに買ってくれない層にセールスしないだろう。

最後に。

芸能人が政治ツイートに嫌悪感を抱く人たちに言いたいことがある。

わからないものからただ逃げるな。目を背けないで。好きな芸能人の意見に賛同しろとは言わないが、芸能人が興味のない話をしたり政治の話をしたら、今まで近い存在に見えていた蜃気楼みたいなものが消えたと思わないで、芸能人は本当に他人だから他人の意見から自分はどう思うか考えたり調べたりしたら良い。

もっと芸能人が近い存在になるかもしれないし、もっと好きになるかもしれない。逆も然りで。それで嫌いになったならそれまでの存在。

違う思想の持ち主だったら「思想は自分と違うけど可愛いから(かっこいいから)好き」でいいじゃん。芸能人なんだから。

芸能人が政治発言したらから嫌いになったってのは、己の感情だから仕方ないことだけど、そういう人が芸能人に返信してまで「政治の話したから嫌いになりました」って言うのがダサいなと思う人がもっと増えたらいいな。

ただその人を叩きたいだけのアンチの人だったら嫌いな人に時間を使うのは本当に勿体ないと思うから、その労力をもっと自分の為や他に使って欲しいと思う。


おまけ。

そして政府には、いつまでも「今はこれで大丈夫だけど、ダメになった時はその時に考えよう」ってケースバイケースな対応をいい加減変えて欲しい。

臨機応変でやってくならもっと決断早くしてほしい。
いつもその時考えるから遅い。
空っぽのとこからいきなり臨機応変なんて応用は効かせられない。

あ、でも、その時考えればいいって考え方もその時の1番最良な答えが出せるからいいのだけど、
……出せてないしなぁ。

終わり。

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