男女の友情と花粉症

よく男女の友情は成立するかってテンプレの話題がある。僕に言わせればそれは花粉症に近いものだと言うように思う。花粉症はなる人もいるしならない人も居るが昔聞いた話だとそれは個人の花粉への耐性のタンクのデカさで決まるそうだ。タンクがデカければ大往生まで花粉症にならないが中には人生の始まりに贈られる銀のスプーンにも満たない量で花粉症になってしまう人も居る。
男女の友情の話に戻るとこれは、過程を楽しむことはできるがその先には必ず男女の性愛があり、そこにたどりつくまでを無自覚に(あるいはそれを装って)楽しむ物だと思う。ごく稀にピーターパンのように全ての人と平等に友達になれる人がいるが実際それは異常性癖とも言える。誰もが妖精の粉を浴び、信じることでそうなれるならこんな話題はとうに収束しているはずだしそうなれない人が大半だからこの話題は永遠に堂々巡りなわけで。つまり男女の友情は銀のスプーンほどの好意で好きになってしまうかタンクほどたまらないと好きにならないかで決まると思う。これは実際の花粉症とは違い、全て平等なはずはなく顔が好みだったり性格が合えばそれだけ底は浅くなる。恐らく近くに新垣結衣がいれば男の大半は銀のスプーンどころか耳かきに乗るほどのコミュニケーションでコロッと好きになってしまうだろう。だから自ずと男女の友情が生じるにあたっては顔が好みであることは致命的だ。きちんと好みでない顔であることが必須条件となってくる。友達になれる人はきっとものすごく好きになりづらい、不感症並みの神経と好みの狭さがあるんだろうと思う。結論、全てが敏感で早い僕には女友達は難度が高い。1年大丈夫か10年大丈夫か100年大丈夫かを見極めて100年友達じゃなきゃ好きにならないような人とは友達である期間を楽しもうと思う。100年爆発しない爆弾は不発弾と変わらないから。次は爆発しないことを願ってこの文章を書く。

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