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227:視覚芸術 クロード・モネ

水曜日は芸術を学びます

クロード・モネ(1840~1926)

印象派の中心人物のひとり

フランスのジヴェルニーにある庭の睡蓮の絵が有名

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画家になるまで

ノルマンディー海岸にある町ル・アーヴルで育った

幼いころに自然や海に触れたことが

画家としての人生に大きな影響を及ぼした

やがて戯画を描くのがうまいと地元で評判となり

風景画家ウジェーヌ・ブーダンの目に留まり影響を受けた

2年のアルジェリアでの兵役を務めたあと

1862年に両親の許可を得て画家の道に進んだ

その後、パリに移り住み

シャルル・グレールのアトリエで学んだ

ここでのちに印象派となる

オーギュスト・ルノワールとアルフレッド・シスレーや

オランダ人風景画家ヨハン・ヨンキントと出会った

印象、日の出

1865年、1866年、1868年に展覧会サロンに入選した

しかい1860年代後半には

のちの印象派につながる新たな技法を模索していた

1870年モネはカミーユ・ドンシューと結婚し

プロセイン・フランス戦争を避けるためロンドンに移住

ロンドン滞在中にテムズ川の絵を何枚も描いた

1872年パリ近郊のアルジャントゥイユに戻り

1874年自身で主催した印象派展を開き

『印象、日の出』(1872年)を出展した

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この作品が印象派という名の由来となった

晩年

1883年

モネはパリ北西ジヴェルニーに移住し

自宅に自身で庭を設計し

のちに有名になったその庭を晩年数多く描いた

1890年代

積みわら・大聖堂・ポプラ並木など同一のモチーフを

1日の時間帯ごとに描いた連作を制作し始めた

1枚あたりに費やす時間は1時間にも満たなく

1度に最大8枚描いた

モネの死後

モネが亡くなったあとも人気は留まらず

ロンドンの国会議事堂を描いた絵が2004年に

2000万ドル以上で売却された

いまでもジヴェルニーにあるモネの自宅と庭には

多くの観光客が訪れ

彼の作品はパリのオランジュリー美術館や

マンハッタン・モネ美術館など

世界の美術館に展示されている

おわりに

とくに若い頃はモネの絵に

あまり面白味を感じなかったが

一時代を作った作品と

モネの背景などを知っていくと

ひとつひとつの作品の凄みが伝わる

まぁまだ入口に立ったところの理解ですが…


今日はここまで!

最後までお読み頂きありがとうございます😃

今日も「1日1ページ読むだけで身につく世界の教養365」より学びました

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