店員さんを助けることはできたが、ポン酢は買えなかった
僕は一人暮らしを始めて、自炊をしている。理由は単純で金がないからである。自炊をすれば毎食100円程度の節約になると思う。
私の自炊のテーマは安く早くである。味や見た目を気にして気合の入った料理をするのは月に2、3回程度である。
そんな私の自炊生活のエース級のメニューは、豚肉ともやし、えのきを茹でてポン酢につけて食べる名のない料理である。約200円程度で一食が浮くためかなり頻繁に食べている。
そのためポン酢は冷蔵庫に常備してある。僕の一人暮らしの中では、醤油や塩よりも大切な調味料である。
その日も夕食に、いつものようにあの料理を食べようとしていた。しかし、ポン酢が一食ギリギリ食べれないほどの量しか残っていなかった。あの料理の弱点は、ポン酢が無くては成立しないことである。
したがって、僕はあと、夕食を食べてお風呂に入って寝るだけだねってタイミングで買い物へ行く羽目になってしまった。このタイミングでスーパーまで行くことは決してできない。
スーパーでポン酢を購入できても、自宅へ無事に帰れるほどの体力は残っていないからである。
なので、僕は最寄りのほとんどの商品が100円で売られている緑色の某コンビニに向かった。
コンビニに着くと、店員さんが疲れ気味の僕を気遣って、入り口に入ってすぐの棚の端っこにポン酢が陳列されていた。
日本のおもてなし精神がここまでだったとは、心底、日本人であることを誇りに思ったことは言うまでもない。
僕はすぐにポン酢を手に取って、レジに並ぼうとした。僕がレジに到着する直前で、レジ打ちをしていたアジア系外国人の女の子に向かって、中年のジャージを着たおじさんがなにやら文句を言い始めた。
「セッタ!セッタ!セッタの10!」
と、早くしろよと言わんばかりの勢いで女の子に詰め寄っていた。
このオヤジ、そんなのでわかるわけねーだろ!僕が最短距離でポン酢を入手できる位置に陳列してくれた優しい店員さんに詰め寄るんじゃねーよ!と思った。
僕は喫煙者ではないが、おじさんの求めているタバコの銘柄をなんと無く理解していた。なので、タバコの棚を指差しながら
「57番だよ、57番のセブンスター、10mlってやつだよ」
と、教えてあげた。我ながらなかなか、人助けの反射神経が良くなってきたのではないかと、自分の成長を感じていた。
すると、女の子は少々慌て気味に、棚へタバコを取りに行った。よし!いい事したぞ!と少々誇らしげに列に並ぼうとおじさんの横を通り過ぎようとした時、そのおじさんに2秒ほど両方の目玉を、じっと〜っと睨まれた。
僕は完全にびびってしまった。正直ほんの少しちびったかもしれない。僕はその列に並ぶことをやめ、そのまま列をスルーして、入り口付近の棚にポン酢を戻して、早歩きで帰ってしまった。
おじさんが会計を終える前に、逃げなきゃ殴られると思ってしまったのだ。
僕は自分の会計時に、女の子と
「さっきはありがとうございました」
「いえいえ、タバコの銘柄なんて分からないですよね」
「はい…でも、助けてくれて嬉しかったです。よかったら、お礼を…」
「いやいや、そんな大したことじゃないですよ」
「い、いや、本当はお食事に行きたかっただけで…」
「えぇ?こっ、困るなぁ〜」
と、新たな出会いが生まれ、灰色の一人暮らしが、ほんのり鮮やかになる妄想を膨らませていたのに。
全く、本当におじさんの行動と自分の妄想癖に腹が立つ。
おじさんは僕のおかげで、買いたいタバコをスムーズに購入することができたのだから
「ありがとうね、お兄ちゃん」
くらいの、軽いお礼があってもいいだろう。睨むなんて絶対にあり得ない行動である。
そして、僕!
まず、このご時世そんな些細なことで揉め事が起きていれば、この日本は紛争地と化しているだろう。なんで、殴られるところまで妄想してしまうんだ。
そして、ちょっと優しくしたくらいで女の子といい感じになれていたら、君はモテモテの人生を歩んでいるはずだろう?まず、パジャマ姿で夜なのに寝癖が付いた清潔感のかけらもなく、そもそもイケメンでもなんでもない君がなぜ、そんなスピード感で女の子といい感じになれると思ってるんだ!
僕は、おじさんの悪態と、僕の妄想のせいでポン酢を買うことができなかった。
しかし、その日の僕はなにもいいことがなかったなと、悲観的になりすぎることはなかった。
なぜなら、あの料理の弱点をその日克服していたからである。あの料理は、ポン酢がないと成立しないと思っていたが、ポン酢がないので仕方なくかけた胡麻ドレッシングが非常に美味しかったのである。
僕はは女の子との甘い会話と引き換えに、一人暮らしのお供をさらに強化することができた。
日本のおもてなし精神がとても素晴らしいことと、悪いことはほとんど自分の妄想であり、悪いことが起きた日はその後いいことが起きるものだなと、ポン酢のお買い物で学んだ。