氷室京介 LAST GIGS 2016.4.23(初日)京セラドーム大阪 / これは生涯の記憶に残る

「氷室京介」から届いた最後のプレゼント。それは最高の贈り物だった。

引退宣言から1年半、最終日の横浜スタジアムがあまりにもらしくない出来だったことは誰よりも氷室本人が自覚していただろう。今回、LAST GIGISと銘打ったドームツアーはBOφWYのそれと同じように、ファンのために開かれた祭典である。それは氷室京介が「氷室京介を求めるファン」に捧げる切ないくらい想いの詰まった内容であった。

4/23、大阪ドームには小雨がパラついていた。ドーム周辺のイオンモールにはライブTシャツや革ジャンで身を包んだ元ロックキッズ(またはヤンチャをしていた)40〜50代が溢れかえっていた。今回のLAST GIGSは4大ドーム(東京、大阪、名古屋、福岡)のみでの公演であるため、地方からの遠征組も多いだろう。開場前からドーム周辺は混雑を極める。

余談ではあるがチケットボードでのQRコード、またはおサイフケータイによる電子チケットはこの世代にはハードルが高かったように感じた。入り口で設定できていなかったりエラーを起こしている方をたびたび見かけた。電子チケットの場合、当然ながら紙のチケットは発行されない。そのため、入場すると記念チケットが配布された。会場ごとに異なるそれは全公演を集めたくなる。

50,000人が固唾を飲んでその瞬間を待つ。ほぼオンタイムである18時過ぎ、2014年ツアー時と同様のヒストリー映像が流れる。中学生の頃、お年玉で買ったのは『KING OF ROCK SHOW』のライブビデオだった。『Higher Self』は近所のレコード屋で予約した。オーディエンスの一人一人が、それぞれの人生と氷室京介を重ねていただろう。

ヒムロックが一発目に披露したのは「DREAMIN’」だった。

いろいろな思いが交錯する。最初に感じたのは2011年の東日本大震災チャリティライブである。奇しくも熊本大地震から日を置かずに開催されたドームツアー、寄付や義援金が目的であるライブではないのだが、今ここで自分たちがやらなきゃいけないことは何なのかを考えさせられる。

次に頭をよぎったのは布袋寅泰の存在である。布袋は今年、デビュー35周年ツアーをいろいろな形で企画しており、ほんの2週間前(4/7)に開催された代々木体育館でのライブにも僕は参戦していた。そこで一番最後に「ファンのみんなと一緒に歌いたい」と選んだ曲が「DREAMIN’」だった。布袋は2011年も、氷室京介の引退宣言時も、横でギターを弾きたいと語っていた。しかし、氷室京介はその思いをにべもなく突き放すかのように「DREAMIN’」を歌い上げる。そう、氷室京介がBOφWYだったのではなく、氷室京介という歴史の一部がBOφWYであったのだ。ライブが始まって、たったの5分で胸が締め付けられていく。最後の氷室京介のステージが本当に始まったのだ。

2011年のチャリティライブと同じ流れで「RUNAWAY TRAIN」「BLUE VACATION」と続き、MCらしいものも挟まず「TO THE HIGHWAY」「Baby Action」と、そのまま2011年の東京ドームをなぞるようにBOφWYナンバーが続く。

僕は戸惑っていた。あまりにもBOφWYの曲が多い。ヒムロックが築き上げたキャリアのうち、バンドであったのはわずか6年間である。もちろん、その駆け上がった時代が氷室京介という存在を世界に知らしめたことは言うまでもない。しかし、今回は事情が違う。氷室京介のライブとしては本当に最後なのだ。彼の集大成の最終舞台がBOφWYで固められることへの違和感である。どこかで流れが変わることを考えつつ、リアルタイムで聴くことのできなかった名曲を口ずさむ。

中盤、「LOVER'S DAY」「ダイヤモンド・ダスト」「CLOUDY HEART」とバラードが続く。ふと斜め前の席を見ると、50代と思われる男性がむせび泣く姿があった。誰にでも青春時代はあり、甘い思い出がある。大人になるにつれ、大きな感情の起伏というものは無くなっていく。生活していくことが人生の大半を占めるようになった大人たちが、心のどこかに置いてきた感情を取り戻すために氷室京介に会いに来る。泣いているのは彼だけではない。ここにいる大人たちがそれぞれに自分の辿った物語を振り返り、今この一瞬に当時の感情を取り戻していく。そう、ここにいるのは大人になることを選んだ少年たちなのだ。全てに合点がいき、前半に感じた戸惑いが氷解していく。

ヒムロックであり続けることができなくなった時、彼は引退を決めた。氷室京介としての最後の舞台は2014年の横浜スタジアムだったのだ(19871224がそうであったように)。今回のドームツアーはファンのために用意された夜なのだ。氷室京介が全身全霊でファンのために「氷室京介」を準備してくれたのだ。

2004年の「21st Century Boøwys VS HIMURO」も、2011年の特別な夜も東京ドームでしか行われなかった。それは相応の理由があるにせよ、全国のファンがその内容を自らの目で確かめたいと思うのは自然だろう。もっと言えばファンは再結成の姿を見たいと思っている。しかしそれは違う。氷室京介が氷室京介であるためには彼がステージの中心でなければならないのだ。そのためにBOφWYは彼の歴史でなければならない。

ヒムロックが僕たちに選んでくれたプレゼントは長年のファンが観たかった、聴きたかったナンバーで埋め尽くされた。「STAY」も「NATIVE STRANGER」も「VIRGIN BEAT」も「Claudia」も「JEALOUSY」もセットリストから外れた。もちろんそれはとても残念なことである。今回のセットリストを批判するファンも多いだろう。それはワガママだ。クリスマスプレゼントに駄々をこねる子供と同じだ。ファンは彼が選んだ最高のステージを最高の声援で返すのだ。できるだけ多くのファンが一つになれるためには氷室京介をスターダムにのし上げた時代の空気が必要なのだ。彼を追い続けたファンが最も純粋な気持ちで拳を振り上げた頃の曲でなければならないのだ。

「IMAGE DOWN」から「NO NEW YORK」で幕を下ろした初日。氷室京介の終わりの始まりは決してベストコンディションではなかった。ここから一ヶ月、彼は最後の進化を遂げて東京ドームに立つだろう。僕は東京でもう一度氷室京介を追いかける。終わりの始まりと本当の最後をこの目に焼きつけるのだ。自分が持つエネルギーのすべてをかけて拳を突き出して彼と歌うのだ。

それが氷室京介のファンとして僕ができる最大の感謝の形なのだから。


(参考)2016. 4. 23 京セラドーム大阪 セットリスト

http://www.livefans.jp/events/575082

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