天官賜福⑤◆(血雨探花)魔翻訳した感想と考察
今回は12章から13章の前半あたりの感想を語っていきたいと思います。
鬼花婿事件が終わって御一行が天庭へ帰り、人面疫の調査結果を聞いて、鬼界の【四大害】についての説明を聞き、謝憐が『だれも自分を祀ってくれないからもう自分で自分を祀っちゃお!』という珍行動に出るあたりまで。
与君山の調査結果
無駄になるかもしれない手間についての考え方って結構割れますよね。
「何もなかったじゃないか!余計な手間かけさせやがって!」と思うか、「何もなくてよかったじゃないか!何もないということが証明されて安心した!」と思うか。
謝憐は自分が恥をかくだけで疫病の蔓延がないことを証明できるのなら、そんな恥など取るに足らないことだと考えます。
ここでのポイントって『自分が』安心したいがために調査してほしかったんじゃなくて、『国が』平和を維持するために調査する必要があると謝憐が判断したことだと思うんです。
やっぱり謝憐は根っこから【太子殿下】なんだなぁと思いました。国を守るのが太子殿下。優先すべきは人であり、国とは人のこと。みんなのヘイトが自分に集まることで国が安全になるのならそれでいいなんてなかなか思えることじゃないです。
なんで南陽殿に…?と思ったんですけど、もしかして小蛍が助けを求めて祈っていたのが南陽廟だからでしょうか。
だとしたらよかったです。小蛍が命からがら祈ってたのにアンタ何してたのよ!と思っていたので…。
風信はただでさえ女性が苦手なので謝憐は内心同情します。
四大害について
与君山で扶揺から初めて青鬼の話を聞いたときに謝憐が「絶に『近い』とは?『飛昇した者』と『飛昇してない者』が明確に違うように、『絶』か『絶じゃない』かもどちらかしかないのでは?」って笑いながら言ってたのが印象的でした。めちゃくちゃナチュラルに煽るじゃん青鬼のこと。
天界では青鬼の評価は『倒せるレベルだけどしつこいし何より下品なので頭が痛くなる』ってかんじですね。
青色は自分で選んだのかと思ってました。「みんなイメージカラーがあるのにずるい!俺だって四大害だぞ!それなら俺は青だ!」みたいなかんじかと思ってたら全然関係ないところで勝手に振り当てられてたとは。アイドルか?戚容のファンは青いペンラを振るんだね。
白衣禍世と黒水沈舟についてはこの時点でまだ情報がなさすぎるので私もスルーしておきます。
君吾と謝憐は意味が真逆にはなりますが有名レベルとしては同じくらいだそうです。二度目の追放されてから800年も放浪してて人界では仙楽太子を知る人なんてもう居ないに等しいけど天界ではずっと有名人として語り継がれていたんですね。
謝憐は放浪している間、天界にも鬼界にも無関心だったので【四大害】を知りませんでした。最近になってようやく【四名景】は知ったそうです。
なんか、四という数字にこだわりでもあるのか?と思えてきますね。
少しだけ調べたところ中国で四という数字は日本と同じようにあまり良い数字とは思われてないようです。(死を連想させるから)
四大害についてはわかるのですが、いい意味でないのなら四名景は四にしない方がよかったのでは…?と思えてしまうんですけど、どうなんでしょう。
もしかしたら四名景に関してはアンミカが決めたのかもしれません。
「4は『しあわせ』の『し』やん?」
血雨探花 花城とは
ふと思ったんですけど、宣姫の脚が不自由なままだったので鬼になっても人間時代の怪我や障害は治らないはずなのですが、絶鬼くらいになると治せなくとも隠すことはできるんでしょうね。姿を変えられるので。
花城も右目がないので本尊は常に眼帯をつけていますが、16~17歳の少年姿に化けているときは眼帯をつけていないし、右目があります。でももしかするとあれは右目が『ある』というだけで見えてはいないのかもしれないですね。
花城の飛昇説はネタバレを読み漁っていたときから目にしていましたが、結局最後までこの説についての真偽は不明なままでしたよね…?でも正直花城なら飛昇してもおかしくない気がしちゃうなぁ。
天界がこの説を否定している理由が「神になった者がわざわざその地位を捨てて鬼になるなど天界にとってはあまりにも恥ずべきことだから」だし、それって天庭の神官たちらしい考え方であって、ただのプライドというか。それを「あり得ない」と断定できる理由にはならないと思うんです。
ただ花城はやっぱり鬼になるべくしてなったような気もします。子供の頃に上元祭天遊でうっかり落ちてしまったのは結果としてわざとではありませんでしたが、元々はわざと落ちてやろうと思っていましたよね。自分は不幸だから、ここで自分が落ちて儀式をめちゃくちゃにして国も何もかもみんな不幸にしてやる!という気持ちだった。
それって宣姫の動機と似ています。彼女も自分が幸せになれなかったから、他の誰も幸せにしたくないという気持ちで花嫁たちを襲っていました。
鬼になる前から鬼らしい考え方は持っていたことから、私も花城飛昇説はナシ派かもしれないです。異論は認めます。
鬼に信徒がいるというのはおもしろいですよね。ダークヒーローみたいな扱いなんでしょうか。神官同様に供物を貰うと法力が増えて強くなるみたいなことがあるんですかね?
宣姫も青鬼に逆さ吊りの森を供物として捧げましたが、あれは青鬼が人間を食べるからですよね。花城の信徒たちはそんなこと絶対しないじゃないですか。普通に饅頭とか捧げると思うんですよ。
鬼も饅頭でいいの?と思いましたが中国において「鬼」とは「亡霊」のことなので、亡くなっている方に饅頭を供物で捧げるのは普通のことだとは思いますが…。
謝憐先生も「真心がこもっていればたかが饅頭ひとつでも意味がある」と仰っていたので、神官も鬼も供物から貰えるパワーは同じなのかもしれませんね。
文武三十三神廟事件
うーん……
花城の恐ろしさというより神官のクズっぷりがよくわかるお話でしたね。
この35人の神官は花城が無差別に選んだわけじゃなくてちゃんと理由があって指名して選んでいます。花城が絶鬼になって真っ先に決闘を挑みに行ったことからも、何よりもまず先にこの神官たちを滅してやりたいという強い思いがあったのでしょう。(とぼけ顔)
それでもかなり理性的だなと思いました。その気になれば黙って寝首をかくこともできたのにわざわざ決闘を申し込んで、彼らがいちばんショックを受ける方法で負かしてやった。しかも負けた時の条件が「凡人に戻れ」っていうのもよく考えたものだなと思います。飛昇したことを何よりも誇りに思ってる神官たちにとっては凡人に戻るなんて死ぬこと以上の苦痛だと思うんです。
「ただ殺すだけじゃダメだ、しっかり苦しませてやる」という意図を感じます。
それなのに開き直って約束を破り平気な顔して元の日常に戻ろうとした神官たち。なんで飛昇できた?神官だって全員が聖人君主じゃないってことはわかるんだけどそれにしたってクズすぎやしませんかね。天劫の判断基準どうなってんの。天ってなんなのよ!
あとこの傲慢な33人の神官たちは、王族や貴族の金持ち達に「自分らが小鬼を退治するところを夢の中で見せて崇拝してもらおう!これでたんまりと功徳をもらえるゾ!」という余計なことまでしてしまったので、王族貴族たちは惨めに完敗した神官にがっかりして花城を崇拝し始めた者も少なくないそうです。花城がお金持ちなのってこういう人たちから供物をたくさん貰ってるからかもしれないですね。
なんなら一部の別の神官たちまでも畏敬の念をこめて花城をこっそり崇拝してるらしいですよ。
中元節っていうのは鬼界の門が開いて、普段は暗闇に潜んでいる妖魔や鬼怪たちが一斉に現れて狂乱の宴を繰り広げる鬼の祭日らしいです。つまりは鬼たちがわんさか出てきていっぱい悪さするってことじゃないですかね多分。
花城は風信と慕情も嫌いなんだろうな。そうだよなあ…。
でも3人とも根底にあるものは同じだと思うんですよ。大きな後悔と使命感みたいな。結局何がしたいのかっていう部分だけピックアップすれば3人の意見は一致するはずなのにね。誰も本心で喋らないから協力することができない。
花城の気持ちもわからなくはないけど殿下の三度目の飛昇後から勇気出して罪滅ぼししようともがいてるふたりを見てきてるから、読者目線としては非常に胸が苦しいです。
そういえば、33人の神官は帝君にも助けを求めたんだけど対処してもらえなかったらしいです。
神武大帝は元々争いを好まず三界のバランスを保つことに尽力していました。挑戦を受けたのは神官たち自身であり、賭けをしたのも彼らです。
つまりは「自業自得じゃないか…そんなのどうしようもないよ…」って公平な目で見て何もしなかったとのこと。
三界のバランスっていうのは、仲良くなる必要はないけど仲悪くなる必要もないし、敵には回したくないけど味方にならなくてもいい。できるだけ干渉しないようにしましょうってことだと思います。なんかテレビドラマとかによくある大手企業同士の限りなく黒に近いグレーな関係を彷彿とさせますね。
仙楽太子は空気を読まない
ここまで血雨探花の恐ろしさを語られても、謝憐はいまいちピンと来ていませんでした。
慕情と風信が銀蝶に苦しめられたという話を聞いても、心の中では「そんなに恐ろしいものなのかな?あの銀蝶は可愛かったけどなぁ」とか考えてます。
与君山で会った彼は謝憐のことをそれはそれは大切にエスコートしてくれたので、自分が抱いた印象と皆のイメージが一致しないのです。
謝憐は意外と頑固であまり人の意見に左右されるタイプでもないので、自分の直感を大切にして花城に好感を抱きます。
なにはともあれ天界に戻ってから初の任務が完了したわけですが謝憐は依然として借金大魔王のままなので、なんとか功徳を稼ぐ方法はないかと考えます。
そこで時折通霊陣に入って「それは興味深いですね!」などと声をかけて存在をアピールしてみたり、最近読んだ美しい詩を紹介してみたり、筋骨の痛みを治すツボを教えてみたりしますが、謝憐が発言するたびに皆どう反応したらいいかわからないといった顔で黙ってしまいます。
謝憐は少し落ち込みますが、きっと長い間天界から離れていたせいでみんなについていけてないんだな!しかたない!と気にしないことにします。
めちゃくちゃポジティブ。
そしてある日、彼はふと思いついたことを言ってみました。
「自分で自分を祀るというのはどうでしょう?」
土地神ですら自分の小さな祠があるというのに、人間界には仙楽太子を祀る廟がひとつもありません。それだけでもあまりに気の毒なことなのに、さらには自分で自分を祀るという実に惨めなことまでしようというのです。
通霊陣にいた神々はますます気まずくなり場が凍りますが、その空気に謝憐はすっかり慣れてしまったので気にせず颯爽と人間界へ降りていきました。
アニメ版だとここで謝憐が人界へ降りる前に、あなたの借金はチャラになりましたよ~まぁ理由なんてなんでもいいじゃないですかと霊文が言葉を濁しながら教えてくれるシーンがあるのですが、原作だとないんですね。あとでそういうシーンが出てくるのでしょうか。
自分で自分を祀ると言い出した時の霊文の「は?」が好きなので今回のサムネイルにしました。
謝憐がどうして菩薺村をホームに選んだのかもアニメ版ではとくに説明がなかったのでわかりませんでしたが、原作では一応書かれていました。
与君山に向かった時と同じように人界へ降りる途中でまた雲の中の何かに引っかかって(悪運パワーのことだと思います)変な方向に落ちてしまい、そのたまたま落ちた場所が青い山と清らかな水、広がる稲田のある菩薺村だったそうです。
のどかなかんじが気に入ったのでここにしようと決めた謝憐は小高い丘の上に廃墟を見つけます。ボロボロすぎていつ倒れてもおかしくない建物でしたが、謝憐にとってはじゅうぶんでした。
ボロボロの廃墟に人が住み着いたことだけでも村人たちは驚きましたが、しかもそこに小さな道観を作ろうというのだから興味津々になっていろいろと親切にしてくれます。
ホウキや新鮮な菩薺(白慈姑)をいっぱい詰めたカゴをくれたりしたので、謝憐は幸せを噛みしめながらここを【菩薺観】を名付けることにしました。
今回はここまでにしようと思います。
次回は13章の続きからです。
アニメ版で見た時から私が(今のところ)いちばん大好きでたまらないシーンが来ます!やったー!