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天官賜福⑤◆(血雨探花)魔翻訳した感想と考察

◎注意点◎
・翻訳媒体は晋江文学城(簡体字版)であること
・筆者は先にアニメ版を見ていること
・筆者はネタバレを読み漁っていること
・この章より後のネタバレ含んだ話まで持ち出すこと


今回は12章から13章の前半あたりの感想を語っていきたいと思います。
鬼花婿事件が終わって御一行が天庭へ帰り、人面疫の調査結果を聞いて、鬼界の【四大害】についての説明を聞き、謝憐が『だれも自分を祀ってくれないからもう自分で自分を祀っちゃお!』という珍行動に出るあたりまで。




与君山の調査結果


結論からいうと与君山およびその周辺に人面疫は蔓延していませんでした。
中天庭の半数くらいが調査のために動いてくれましたが、過去二十年の間も人面疫の報告はありませんし、もしあったらその一帯はすでに滅んでいるはずなので、やはり謝憐が見間違えたのではないか?というのが天庭の出した結論でした。
たくさんの神官が動いてくれたにもかかわらず「何もありませんでした」という結果で謝憐は若干の気まずさは感じるものの、何もなかったということ以上の良い報せはないのでむしろホッとします。
加えて、与君山には「泣いてもいいが笑ってはいけない」と花嫁に警告する歌を歌っていた童霊がいたはずですが、それについては確認できなかったとのことです。


無駄になるかもしれない手間についての考え方って結構割れますよね。
「何もなかったじゃないか!余計な手間かけさせやがって!」と思うか、「何もなくてよかったじゃないか!何もないということが証明されて安心した!」と思うか。

謝憐は自分が恥をかくだけで疫病の蔓延がないことを証明できるのなら、そんな恥など取るに足らないことだと考えます。
ここでのポイントって『自分が』安心したいがために調査してほしかったんじゃなくて、『国が』平和を維持するために調査する必要があると謝憐が判断したことだと思うんです。

やっぱり謝憐は根っこから【太子殿下】なんだなぁと思いました。国を守るのが太子殿下。優先すべきは人であり、国とは人のこと。みんなのヘイトが自分に集まることで国が安全になるのならそれでいいなんてなかなか思えることじゃないです。

ひと息ついた謝憐が通霊陣に入るとなんだかザワザワしています。
最初に聞こえたのは風信の怒声です。与君山で拘束された宣姫は南陽殿で尋問されることになったものの「裴茗に会わせろ!」と喚き続けてお手上げ状態なので、お前の先祖のせいだろ!お前のとこでなんとかしろ!と裴宿に身柄の引き取りを頼みますが、裴宿は「会わすと余計に興奮して手がつけられなくなるだけです」と冷静に断ります。


なんで南陽殿に…?と思ったんですけど、もしかして小蛍が助けを求めて祈っていたのが南陽廟だからでしょうか。
だとしたらよかったです。小蛍が命からがら祈ってたのにアンタ何してたのよ!と思っていたので…。
風信はただでさえ女性が苦手なので謝憐は内心同情します。




四大害について


「また倒懸屍林(死体が逆さに吊るされる森)か。青鬼は相変わらず品がない」と慕情の声も聞こえてきます。
そこで霊文が現れ青鬼についての説明をしてくれます。

調査の結果としては与君山に青鬼はおらず、与君山での倒懸屍林は宣姫が青鬼に供物として捧げたものでした。宣姫は数年前、無名の誰かによって封印されていた青鬼を偶然救ったことで青鬼に気に入られ傘下に加わりました。

青鬼とは【四大害】のひとりで、四大害の中ではひとりだけ絶ではなく凶の鬼です。そんな彼がなぜ四大害のひとりに数えられたかというと、とにかく【四】という数字に整えるために強引に組み込まれただけに過ぎず、彼が【青灯夜遊】といわれているのも彼自身が青色を選んだわけではありません。他の絶鬼には赤・黒・白というイメージカラーがあるため調和のために青になりました。
青鬼は凶の鬼の中ではいちばん絶に近いとされていますが所詮は凶。ほかの絶鬼に比べると脅威ではありません。彼が厄介者として有名な理由はとにかくしつこくて品が無いためただただ迷惑な存在だからです。


与君山で扶揺から初めて青鬼の話を聞いたときに謝憐が「絶に『近い』とは?『飛昇した者』と『飛昇してない者』が明確に違うように、『絶』か『絶じゃない』かもどちらかしかないのでは?」って笑いながら言ってたのが印象的でした。めちゃくちゃナチュラルに煽るじゃん青鬼のこと。

天界では青鬼の評価は『倒せるレベルだけどしつこいし何より下品なので頭が痛くなる』ってかんじですね。

青色は自分で選んだのかと思ってました。「みんなイメージカラーがあるのにずるい!俺だって四大害だぞ!それなら俺は青だ!」みたいなかんじかと思ってたら全然関係ないところで勝手に振り当てられてたとは。アイドルか?戚容のファンは青いペンラを振るんだね。


【四大害】とは青灯夜遊、黒水沈舟、白衣禍世、血雨探花のこと。
青灯夜遊だけ凶鬼なので他3名は絶鬼です。
白衣禍世のもうひとつの名は白無相。絶鬼が生まれると国を滅ぼし乱世を招くと言われていますが、この白無相が現れた時に(人面疫を蔓延させて)滅んだのが仙楽国でした。しかし白無相はすでに帝君によって倒されたので居ないものとされています。
黒水沈舟はめったに姿を現さないので『強力な水鬼』ということ以外はあまり情報がありません。
そして血雨探花は天界が最も関わりたくない相手です。天界で名を馳せているのは神武大帝の君吾(良い意味で)と仙楽太子の謝憐(悪い意味で)ですが、同じように鬼界で名を馳せているのが血雨探花こと花城でした。


白衣禍世と黒水沈舟についてはこの時点でまだ情報がなさすぎるので私もスルーしておきます。

君吾と謝憐は意味が真逆にはなりますが有名レベルとしては同じくらいだそうです。二度目の追放されてから800年も放浪してて人界では仙楽太子を知る人なんてもう居ないに等しいけど天界ではずっと有名人として語り継がれていたんですね。
謝憐は放浪している間、天界にも鬼界にも無関心だったので【四大害】を知りませんでした。最近になってようやく【四名景】は知ったそうです。

【四名景】とは、天庭における四名の神官が飛昇する前の美談や逸話を指す。
それぞれが「少君傾酒(師青玄)」「太子悦神(謝憐)」「将軍折剣(裴茗)」「公主自刎(雨師)」として語り継がれている。
四名景に名を連ねることは必ずしもその神官が最強であることを示すわけではない。ただ、その人物の伝説や逸話が広く知られているに過ぎない。


なんか、四という数字にこだわりでもあるのか?と思えてきますね。
少しだけ調べたところ中国で四という数字は日本と同じようにあまり良い数字とは思われてないようです。(死を連想させるから)
四大害についてはわかるのですが、いい意味でないのなら四名景は四にしない方がよかったのでは…?と思えてしまうんですけど、どうなんでしょう。
もしかしたら四名景に関してはアンミカが決めたのかもしれません。

「4は『しあわせ』の『し』やん?」




血雨探花 花城とは


神官については神像を見れば大体のことがわかります。服、法具、神話や伝説などからその神官が人間時代にどう育ち何をしたのかほぼすべてがわかってしまいます。
しかし鬼は生前どんな人間で、今どういう姿をしているかほとんど謎です。花城という名ももちろん偽名でありその容貌も偽りでしょう。時には気まぐれな少年、時には優雅な青年、時には美しい女性にも姿を変えるといわれています。花城について唯一確かなのは、常に真紅の衣をまとい血雨が降りしきる中で現れ、その周りには銀蝶が舞っているということです。


ふと思ったんですけど、宣姫の脚が不自由なままだったので鬼になっても人間時代の怪我や障害は治らないはずなのですが、絶鬼くらいになると治せなくとも隠すことはできるんでしょうね。姿を変えられるので。
花城も右目がないので本尊は常に眼帯をつけていますが、16~17歳の少年姿に化けているときは眼帯をつけていないし、右目があります。でももしかするとあれは右目が『ある』というだけで見えてはいないのかもしれないですね。

花城の出自については多くの説があります。
生まれつき右目がない奇形児で人間を憎んでいるとか、故国のために死んだ若き兵士で亡霊になっているとか、愛する人を失った悲しみに狂った怪物だとか。
最も奇妙な説は、かつて飛昇したものの自ら下界へ堕ち鬼になったという説です。これはいちばん信憑性のないもので、そんなことはあり得ないと考える人が大半です。

また、彼は気まぐれで残忍な一面を持ちながらも時には奇妙な善行を行うことがあるため人間界で大きな勢力を持ち、非常に多くの信徒を擁しています。人間は神に祈り妖魔鬼怪からの守護を求めるものですが、不思議なことに花城という鬼にも驚くほど多くの信徒がいるのです。


花城の飛昇説はネタバレを読み漁っていたときから目にしていましたが、結局最後までこの説についての真偽は不明なままでしたよね…?でも正直花城なら飛昇してもおかしくない気がしちゃうなぁ。
天界がこの説を否定している理由が「神になった者がわざわざその地位を捨てて鬼になるなど天界にとってはあまりにも恥ずべきことだから」だし、それって天庭の神官たちらしい考え方であって、ただのプライドというか。それを「あり得ない」と断定できる理由にはならないと思うんです。

ただ花城はやっぱり鬼になるべくしてなったような気もします。子供の頃に上元祭天遊でうっかり落ちてしまったのは結果としてわざとではありませんでしたが、元々はわざと落ちてやろうと思っていましたよね。自分は不幸だから、ここで自分が落ちて儀式をめちゃくちゃにして国も何もかもみんな不幸にしてやる!という気持ちだった。
それって宣姫の動機と似ています。彼女も自分が幸せになれなかったから、他の誰も幸せにしたくないという気持ちで花嫁たちを襲っていました。
鬼になる前から鬼らしい考え方は持っていたことから、私も花城飛昇説はナシ派かもしれないです。異論は認めます。


鬼に信徒がいるというのはおもしろいですよね。ダークヒーローみたいな扱いなんでしょうか。神官同様に供物を貰うと法力が増えて強くなるみたいなことがあるんですかね?
宣姫も青鬼に逆さ吊りの森を供物として捧げましたが、あれは青鬼が人間を食べるからですよね。花城の信徒たちはそんなこと絶対しないじゃないですか。普通に饅頭とか捧げると思うんですよ。

鬼も饅頭でいいの?と思いましたが中国において「鬼」とは「亡霊」のことなので、亡くなっている方に饅頭を供物で捧げるのは普通のことだとは思いますが…。
謝憐先生も「真心がこもっていればたかが饅頭ひとつでも意味がある」と仰っていたので、神官も鬼も供物から貰えるパワーは同じなのかもしれませんね。




文武三十三神廟事件


花城の恐ろしさを語る上で絶対に外せないのが、上天庭の神官35人に決闘を挑んだ出来事です。

それは花城がまだ絶鬼になったばかりの頃。彼は上天庭の三十五人の神官に公然と決闘を挑み、そのうち三十三人が彼の挑戦を受けました。初めて現れた若い鬼が生意気にも勝負をしかけてきたので皆で分をわきまえさせてやろうと考えたのです。武神とは武術を競い、文神とは道理を論じ合います。誰もが天界の勝利を確信していました。

しかしここで予想だにしない出来事が起こります。花城が手にしたあの奇怪極まりない湾刀によって武神たちは全敗し、その鋭い言葉で一分の隙もない討論を展開し文神たちまでも全敗したのです。

ですが、彼の真の恐ろしさはここからでした。
戦いの前に両者は条件を定めていました。花城が敗れた場合、彼は自らの骨灰(鬼にとっての命)を差し出す。神官たちが敗れた場合、全員が天界から飛び降りて人間として生きるというものです。神官たちは誰ひとりとして負けることを想定しておらず、この条件を飲んでしまったのでした。

戦いに負けた神官たちは誰一人として自らの約束を守ろうとはしませんでした。ひとりならまだしも全員が負けたのです。誰も約束を守らないことで逆に花城を嘲笑できると考えた神官たちは、このまま何もなかったことにしようとしました。

誤算だったのは、花城がそう簡単に対処できる相手ではなかったことです。
花城は約束を守らなかった神官たちが人間界に持つ大小合わせて千を超える宮観や廟を一夜にして全て焼き払いました。宮観と信徒は神官にとって最大の法力の源です。廟が焼かれれば信徒たちは祈る場所がなくなります。新しく廟を建てるにも少なく見積もって百年はかかるので、その間にも信徒の数はみるみる減っていくのです。神官たちにとってこれほど恐ろしいことはありません。
信徒と宮観を失った三十三人の神官たちは次第にその姿を消していき、後に新たに飛昇した神官たちによって空席が埋められていきました。それ以降、天界の神官たちは「花城」という名前を聞くだけで震え上がり、紅衣や銀蝶を目にしただけで毛を逆立てて恐怖するようになったのです。


うーん……
花城の恐ろしさというより神官のクズっぷりがよくわかるお話でしたね。

この35人の神官は花城が無差別に選んだわけじゃなくてちゃんと理由があって指名して選んでいます。花城が絶鬼になって真っ先に決闘を挑みに行ったことからも、何よりもまず先にこの神官たちを滅してやりたいという強い思いがあったのでしょう。(とぼけ顔)

それでもかなり理性的だなと思いました。その気になれば黙って寝首をかくこともできたのにわざわざ決闘を申し込んで、彼らがいちばんショックを受ける方法で負かしてやった。しかも負けた時の条件が「凡人に戻れ」っていうのもよく考えたものだなと思います。飛昇したことを何よりも誇りに思ってる神官たちにとっては凡人に戻るなんて死ぬこと以上の苦痛だと思うんです。
「ただ殺すだけじゃダメだ、しっかり苦しませてやる」という意図を感じます。

それなのに開き直って約束を破り平気な顔して元の日常に戻ろうとした神官たち。なんで飛昇できた?神官だって全員が聖人君主じゃないってことはわかるんだけどそれにしたってクズすぎやしませんかね。天劫の判断基準どうなってんの。天ってなんなのよ!

あとこの傲慢な33人の神官たちは、王族や貴族の金持ち達に「自分らが小鬼を退治するところを夢の中で見せて崇拝してもらおう!これでたんまりと功徳をもらえるゾ!」という余計なことまでしてしまったので、王族貴族たちは惨めに完敗した神官にがっかりして花城を崇拝し始めた者も少なくないそうです。花城がお金持ちなのってこういう人たちから供物をたくさん貰ってるからかもしれないですね。
なんなら一部の別の神官たちまでも畏敬の念をこめて花城をこっそり崇拝してるらしいですよ。


花城に挑まれた三十五人の神官の中で唯一挑戦を受けなかった二人の武神、それが慕情と風信でした。
彼らが挑戦を受けなかったのは決して花城を恐れたからではありません。むしろ、当時は花城を全く眼中に入れておらずこのような挑戦に応じること自体が無意味だと考えたのです。「小鬼相手に勝っても何の得にもならないし、負けるはずもない」と思って無視したのですが、結果的に良い選択でした。
しかし花城は彼らのことを忘れていませんでした。何度か中元節で出くわし、花城の放つ銀蝶が攻撃をしかけ慕情と風信に深い恐怖の爪痕を残しました。


中元節っていうのは鬼界の門が開いて、普段は暗闇に潜んでいる妖魔や鬼怪たちが一斉に現れて狂乱の宴を繰り広げる鬼の祭日らしいです。つまりは鬼たちがわんさか出てきていっぱい悪さするってことじゃないですかね多分。


花城は風信と慕情も嫌いなんだろうな。そうだよなあ…。
でも3人とも根底にあるものは同じだと思うんですよ。大きな後悔と使命感みたいな。結局何がしたいのかっていう部分だけピックアップすれば3人の意見は一致するはずなのにね。誰も本心で喋らないから協力することができない。
花城の気持ちもわからなくはないけど殿下の三度目の飛昇後から勇気出して罪滅ぼししようともがいてるふたりを見てきてるから、読者目線としては非常に胸が苦しいです。


そういえば、33人の神官は帝君にも助けを求めたんだけど対処してもらえなかったらしいです。
神武大帝は元々争いを好まず三界のバランスを保つことに尽力していました。挑戦を受けたのは神官たち自身であり、賭けをしたのも彼らです。
つまりは「自業自得じゃないか…そんなのどうしようもないよ…」って公平な目で見て何もしなかったとのこと。
三界のバランスっていうのは、仲良くなる必要はないけど仲悪くなる必要もないし、敵には回したくないけど味方にならなくてもいい。できるだけ干渉しないようにしましょうってことだと思います。なんかテレビドラマとかによくある大手企業同士の限りなく黒に近いグレーな関係を彷彿とさせますね。




仙楽太子は空気を読まない


ここまで血雨探花の恐ろしさを語られても、謝憐はいまいちピンと来ていませんでした。
慕情と風信が銀蝶に苦しめられたという話を聞いても、心の中では「そんなに恐ろしいものなのかな?あの銀蝶は可愛かったけどなぁ」とか考えてます。
与君山で会った彼は謝憐のことをそれはそれは大切にエスコートしてくれたので、自分が抱いた印象と皆のイメージが一致しないのです。

謝憐は意外と頑固であまり人の意見に左右されるタイプでもないので、自分の直感を大切にして花城に好感を抱きます。



なにはともあれ天界に戻ってから初の任務が完了したわけですが謝憐は依然として借金大魔王のままなので、なんとか功徳を稼ぐ方法はないかと考えます。

そこで時折通霊陣に入って「それは興味深いですね!」などと声をかけて存在をアピールしてみたり、最近読んだ美しい詩を紹介してみたり、筋骨の痛みを治すツボを教えてみたりしますが、謝憐が発言するたびに皆どう反応したらいいかわからないといった顔で黙ってしまいます。
謝憐は少し落ち込みますが、きっと長い間天界から離れていたせいでみんなについていけてないんだな!しかたない!と気にしないことにします。

めちゃくちゃポジティブ。

そしてある日、彼はふと思いついたことを言ってみました。
「自分で自分を祀るというのはどうでしょう?」

土地神ですら自分の小さな祠があるというのに、人間界には仙楽太子を祀る廟がひとつもありません。それだけでもあまりに気の毒なことなのに、さらには自分で自分を祀るという実に惨めなことまでしようというのです。
通霊陣にいた神々はますます気まずくなり場が凍りますが、その空気に謝憐はすっかり慣れてしまったので気にせず颯爽と人間界へ降りていきました。


アニメ版だとここで謝憐が人界へ降りる前に、あなたの借金はチャラになりましたよ~まぁ理由なんてなんでもいいじゃないですかと霊文が言葉を濁しながら教えてくれるシーンがあるのですが、原作だとないんですね。あとでそういうシーンが出てくるのでしょうか。
自分で自分を祀ると言い出した時の霊文の「は?」が好きなので今回のサムネイルにしました。

謝憐がどうして菩薺村をホームに選んだのかもアニメ版ではとくに説明がなかったのでわかりませんでしたが、原作では一応書かれていました。
与君山に向かった時と同じように人界へ降りる途中でまた雲の中の何かに引っかかって(悪運パワーのことだと思います)変な方向に落ちてしまい、そのたまたま落ちた場所が青い山と清らかな水、広がる稲田のある菩薺村だったそうです。
のどかなかんじが気に入ったのでここにしようと決めた謝憐は小高い丘の上に廃墟を見つけます。ボロボロすぎていつ倒れてもおかしくない建物でしたが、謝憐にとってはじゅうぶんでした。

ボロボロの廃墟に人が住み着いたことだけでも村人たちは驚きましたが、しかもそこに小さな道観を作ろうというのだから興味津々になっていろいろと親切にしてくれます。
ホウキや新鮮な菩薺(白慈姑)をいっぱい詰めたカゴをくれたりしたので、謝憐は幸せを噛みしめながらここを【菩薺観】を名付けることにしました。


白慈姑についてですが、私は実物を目にしたこともなければ食べたこともないんですけど、調べると栗のような見た目をしていて水中にできるため英語ではウォーターチェスナッツと呼ばれているそうです。
食感はシャキシャキしていてデンプン質らしいのでレンコンみたいな食感なのかなぁと思います。wikiでは「ほんのりとした甘み」と書いてありましたが謝憐は甘くてジューシーと評していました。




今回はここまでにしようと思います。
次回は13章の続きからです。
アニメ版で見た時から私が(今のところ)いちばん大好きでたまらないシーンが来ます!やったー!

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