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天官賜福にはまった話

天官賜福がおもしろすぎる。
どっぷりはまりました。今になって。(現在2024年9月)


もっと早く出逢っておきたかった気もするけど晋江文学城で全話(多分)読める今にハマれて逆によかった気もします。時期によってはロックかかって購入した人までもが読めなかったと聞きました。その場合は私も本を買って裁断しなければいけなかったかもしれないと思うと震えて夜も眠れない。
アニメ版をリアルタイムで見てファンと共感し合いたかったという気持ちもありますがそれは3期アニメが放映される時の楽しみにとっておこうと思います。1期と2期の間も数年空いてたのでいつになるやらですが…。そもそも制作されるのかどうか。


アニメから入った勢ですが1回目見たときはまったく話がわからなくて。ところどころ演出の仕方が日本のアニメと違うのも気になるし、聞き慣れない用語だらけで字幕もなかったから頭の中が「?????」な状態でした。
ただキャラデザが好きだった。美形が過ぎる。私は16~17歳姿の三郎のビジュアルが大好き。本尊も色気が限界突破してて好きなんだけど16~17歳三郎の生意気クソガキ哥哥好き好きいつでもいっしょ!感が可愛くてたまらないんだよ……本尊のときほどぐいぐい謝憐の前に出て俺が守りますっていうかんじではなくて、どちらかといえば後ろをひょこひょこついて歩くかんじ。僕も連れてって♡みたいな。

見終わるたびに解説やネタバレを読み漁って多少理解してからもう一度見て見方が変わって、また違うところが気になってきて別の解説ネタバレ読んでアニメ見て………を繰り返していたら気づけば10周以上見てました。ここ1ヶ月くらいずっとそんなかんじ。ありがとうアマプラ。未来永劫絶対に配信終了しないでほしい。
あと天官は曲がいいですね!!!プレイリストを毎日通勤時に聴いています。物語に深みを加えるメロディーラインが美しい。一花一剑と红绝がお気に入りです。日本版だとアニメ2期EDの春想が好きです。
基本アニメは1度見たらそれっきり見ないタイプなんですが、そんな私が10周以上も見てしまったことに自分で驚いています。だって見るたび見方が変わるんですもの。予習した答え合わせをしてるような感覚で楽しい。



でもやっぱり微妙なニュアンスの意図とか気になってくるともう原作読まずにはいられないじゃないですか。このキャラなんでこういう表情するんだろうとか、このキャラなんでこんな言い方するんだろうとか。天官は特にある程度物語の全貌を把握してからじゃないとキャラクター各々のリアクションの意味がわからないままになってしまう。

私は理解したい。どうしても知りたい。

やるしかない。

魔翻訳ってやつを。


※私が行った魔翻訳の仕方についてはまた別の記事にします



こんなにはまると思わなかったな。
和風ファンタジーや中華ファンタジーみたいな、はるか昔を思わせる舞台と王族たちのドロドロ感は元々好きだったのでそういった作品を見ていたらある日アマプラのおすすめにひょっこり現れたんですよ。天官賜福が。

顔がいい~!と思って作品説明を開いたらLGBTQってタグが入ってたのでなんとなくその時点でBL要素があるんだろうなという察しはつきました。それがどのレベルのものかはわからなくて最初少し不安でしたが。

私はあまりBL耐性というものがなくて。
二次創作のBLが苦手といいますか。そういう作品じゃないのにそういう風にされてしまうことに対しての抵抗がありました。
ただ原作自体がBLな作品は見たことがなかったのでどうなんだろうなぁ…【BL作品】が好きな層を露骨に喜ばせたい下心が見え見えの作品だったら無理かもなぁ…とか思いながら見てみたら、なんということでしょう。

ぜーんぜん平気でした。
平気というかむしろそれが男同士であるかどうかは結構どうでもいいという気持ちになりました。だって謝憐も花城も、相手が男だったから好きになったわけじゃないもの。好きになった人の性別がたまたま男だっただけ。
ただ物語として、やっぱり女性じゃなく男性である必要はあったと思います。謝憐が女性だったら太子にはなってなかったし武神でもなかったでしょう。花城だってもし女性だったら兵士になれなかった。一応女将軍が存在する世界ではあるけれど、女性に生まれてたら花城のような生き方にはなっていなかったと思う。
そういう意味では「男だったから」といえるのかもしれないけれど、ふたりとも「男が好き」だったわけじゃなくて謝憐だったから、花城だったから好きになった。そこに性別なんて関係ない。

アニメ版は今のところブロマンス寄りなかんじでもありますが今じゃいけーー!もっとやれーーー!もっと!そこを!!もっと!!!さらに向こうへ!!プルスウルトラーーーーー!!!!!!って拳を握りしめながら必死にスケベ脳と戦っています。
でもベタベタな安っぽいラブシーンじゃないところがこの作品の好きな部分でもあって。よくある、攻側がいきなりドヤ顔で受側の顎クイーしちゃうみたいな。ああいうのじゃなくて本当によかった。じれったくて、臆病で、嘘は言わないけど本心も言わなかったり。これなのよ。恋ってそういうことじゃん。いきなりお前は俺のものってジャイアニズム発揮されてもアンタ誰よってなるし。嫌われるかもしれない、自分のことどう思ってるんだろう、もっと知りたい、いっしょにいたい、自分のこと見てほしいって少しずつ距離を詰めては離れてを繰り返すいじらしさ…これが恋だってばあちゃんが言ってた。


あとね、私本当にこの作品好きなんだなって思ったのが、作者のあとがきを読んだことです。
失礼ながらこれまで出逢ってきた作品たちは【作品】が好きなのであって【作者】には興味がなく、どれも読んだ記憶がありません…。
ただ天官賜福は作者がどんな思いでどんな考えのもとこの作品を作り上げたのか、どんな人ならこのような作品を作り出せるのかとても興味がありました。まだ魔翻訳しておらず準備を終えただけの段階ですのに本編を読む前に最終話のあとがきを先に翻訳して読んでしまったわ。

驚きました。墨香銅臭先生がまさかお若い方だったなんて。こんな深い愛の物語を書けるのはきっと人生達観し始めてる年代の女性かなと思っていたから……。先生の神像があったら私は信徒になっていたかもしれない。

作品を見て、いろいろとこれはどうして?なんで?土地の風習なのかな?だからいまいち私にはピンときてないのかな?と思う設定もあったのですがあくまでも先生は「フィクションです」と仰っていたのでようやく着地できた気がします。やっぱりあとがきを読んでよかった。

あとがきの中でとくに私が胸打たれたのは「三郎だったらきっとこういう人を好きになるんだろうな」という作者の思いのもと謝憐という人物が出来上がったというお話。謝憐ができてからの花城ではなく、花城ができてからの謝憐だったのですね。
この順番はとても大きな意味があったように思います。謝憐の設定には苦労したそうなのでもしかするとたまたまその順番になっただけかもしれませんが、もし逆だったらまた少し違った物語になっていた可能性があったのではないでしょうか。
謝憐を好きになる人ってどんな人?→三郎ではなく、三郎が好きになるのってきっとこういう人。っていう発想のもと生まれたのが謝憐だった。
私は物書きではありませんが、こういった【発想の順番】は創作においてとても大切なんじゃないかと思いました。



とにかくまずは原作を読み進めないといけないので、読みながらまた感想をちょろちょろとここへ書いていこうと思います。

今のとこ「これってどうなってるの?」と思っていることがいくつかあるので、それらが原作で語られるのか、そうじゃないのか。
例えば鬼は歳をとるのか?とか。神官は寿命が無限になるわけじゃなくて人間よりものすごーく長い寿命になるだけで、怪我の治りは早いけど致命傷を負えば普通に死ぬそうですね。一方鬼はそもそも死んでいるし、骨灰さえあれば条件次第で消えても復活可能(半月も何度も復活している)となると、歳をとることはないのかなぁと思いました。
でも花城が人間だったときに命を落としたタイミングは明らかに子供の頃ですよね。なのに花城の本尊はどう見ても青年。殿下に対して誠実な彼が「本当の姿」と言い切っているのだから、大人のあの姿が本当に本当の姿なんだろうなと思います。
だがしかし、郎蛍はどうだろうか。人面疫に罹患していることから花城とほぼ同じ約800年前から存在していることになると思うのですが彼は少年の姿のままです。なぜ花城だけ見た目年齢を重ねることができてるのか。絶だから?むしろ強くなればなるほど歳をとらないものだと思うけれど…わからない…わからないわ!


とりあえずアニメ版2期までのストーリーなら魔翻訳で多少違和感あっても自力で補正を加えながらなんとなく理解できるような気がします。問題はその先ですね。
魔翻訳組の合言葉はとにかく「花城を信じろ」だと聞きました。
あたいは信じるよ。スパダリの力、見せてみな!!


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