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“よそもの”の目...時代遅れの哀歌(エレジー♪)

よく言われることですが、日常的に接する「もの・こと・ひと」は当たり前になっていて、その素晴らしさに気づけないことがあります。

一般的に職人は自身で販売することを苦手としています。

それは日常的に使っている本当は素晴らしい技術を当たり前ののことだと考えて、ことさら伝えることをしないからです。


またそこからできあがる商品も職人にとってみると普通のものだったりします。

フネノデンキヤの私で言うと「船舶照明器具」がそれでした。


発想の転換

船に日常的に当たり前につけている船舶照明。特に珍しくもないもので、「これは船につけるもの」と考えてました。


けれど同じ輪島の山間部から嫁に来た妻と一緒に仕事をすることなったとき、

妻が店の作業場で修理していたこの器具を見て
「これ可愛いじゃない、光った時の影もとっても素敵!」
と言ったとき初めて気づいたんです。

これは一般の人にとっては「良いもの」なんだということを。


それから

船舶照明をB to B で販売していこうとしていた当初の話ですが、

漁業関係の方がご自宅を新築されたので船舶照明を玄関先につけることを提案してみたのですが、

すごく怒られました。。

「そんな船につける作業灯を家につけるわけがないだろう!!」と、、、

同じものでも誰がどんな目線で見るかで

こんなにも感じ方が変わるのですね。

おそらく妻の「よそものの目」がなければ

フネノデンキヤの物語は生まれていなかったのだと思います。

その後、船舶照明器具を今までとは違った形で事業の柱とできないか考え始めて今に至っています。

二隻の舟

時はすべてを連れてゆくものらしい
なのにどうして寂しさを置き忘れてゆくの
いくつになれば人懐かしさを
うまく捨てられるようになるの
難しいこと望んじゃいない
あり得ないこと望んじゃいない
時よ最後に残してくれるなら
寂しさの分だけ愚かさをください

おまえとわたしは例えば二隻の舟
暗い海を渡ってゆくひとつひとつの舟
互いの姿は波に隔てられても
同じ歌を歌いながらゆく二隻の舟
時流を泳ぐ海鳥たちは
むごい摂理をささやくばかり
いつかちぎれる絆見たさに
高く 高く 高く

中島みゆき 夜会より


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