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メタ映画としての『セーラー服と機関銃(1981)』—虚構が撃ち抜く現実

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〜3月16日 17:30

 私にとって「セーラー服と機関銃(1981年)」は生涯ベスト10に入る傑作映画だが、一般的には薬師丸ひろ子のアイドル映画だと見られている。あの「カイカン」のセリフだけが今も独り歩きしているのが実情だ。

 この記事では、その定説をひっくり返し、ファンや映画通には大体分かっていること、またそれ以上の深掘り解釈を、整理して1つにまとめる。そしてこの映画がいかにすごいかを1人でも多くの人に分かってもらいたい。

メタ映画として『セーラー服と機関銃』を解説して欲しい
ヌーベルバーグなどのアート映画のような魅力がある
めちゃくちゃリアルに見える撮影方法について知りたい
『カイカン』に込められたメッセージは?
社会派映画としてのテーマが感じられる
ゲリラ撮影のラストシーンの真意が知りたい

 こういう思いを抱く方に当記事をおすすめしたい。有料記事にすべく、できるだけ丁寧にリサーチして情報面でも精確さにも努めた。また、ネタバレになるため、映画を観ていない方にはあまりお勧めできない。



1:映画を現実に解き放つメタフィクション

『セーラー服と機関銃(1981)』は一般的にアイドル映画と見られている。一方、ファン層や映画通の多くはリアルな社会派映画、また実験的なアート映画として捉えているだろう。

 私にとって、この映画は構造的にはリアリズムを追求したもの。テーマ的には、世代間で引き継がれた社会変革の希望だと見る。

映画の核心部には虚実の境界線上における揺らぎがある。
この作品はメタフィクション的アプローチの元、
映画を虚構から現実に解放することで
アートの限界を越えようとしているのだ。

 リアリズムを追求した撮影法や映画の虚構性を浮かび上がらせるメタフィクション演出は、作中で数多く見られる。この映画では、そうした現実への希求が空想的なストーリーによってより際立つ形になっている。

 メタフィクション映画の代表格は、フェリーニの『8 1/2』である。また先月他界したデヴィッド・リンチの『ブルーベルベット』やスパイク・ジョーンズの『マルコヴィッチの穴』も同様。

 メタフィクションの分類としてブレヒト、ダイレクト・シネマ、シネマ・ヴァリテ、パロディ、モキュメンタリーなどがある。


『セーラー服と機関銃』は主にダイレクト・シネマだ。
それは鑑賞者に対しカメラを意識させず、
ありのままの現実をダイレクトに見せる方法であり、
素を引き出す演出や長回し撮影などによって成される。

 しかしドキュメンタリー性はなく、ミステリーなど娯楽性が高い造りになっている。1番よく似た映画はゴダールの『勝手にしやがれ』だ。ダイレクト・シネマはアメリカに源流があるものだが、相米監督や撮影の仙元はヌーベルバーグの影響も受けているハズだ。

 近年の日本ではメタ映画がすっかりなくなってきた。『カメラを止めるな』や『シン・ウルトラマン』があるが、メタ体裁やセルフパロディであり、ヌーベルバーグのように現実と衝突する真のメタ性はない。

 そのため『セーラー服と機関銃』は公開時よりも今の方がより新鮮に見える映画であるに違いない。


2:女子高生組長よりもありえない展開

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