国民・玉木党首グラドル不倫会見に見る素顔と政治の一致
国民民主党代表の玉木雄一郎が、元グラビアタレントとの不倫報道について謝罪会見をしたことが連日、大きな話題になっている。
私にとって最大のポイントは不倫自体や財務省の陰謀どうこうではなく、会見で明らかになった玉木議員の卑しい人間性である。
そして不倫に潜む二面性や会見での保身のための論点ずらしなどが、総選挙後の彼の変化や党の政策にも反映されていることが分かった。
1:保身満載のフェイク謝罪
玉木議員の不倫謝罪会見は、核心なき責任逃れの謝罪会見である。分かりやすく言えば、責任が伴う本当に謝らねばならないことを謝らないために行う大々的な謝罪だということ。
騒動を起こしたり迷惑をかけたりしたことについてだけ詫びる有名人・著名人のフェイク謝罪と重なる。引いては政治学者・丸山眞男が指摘した今も日本政治の根幹にある”無責任の体系”にも通じる。
多くの人は、会見のタイミングが早く報道の事実認定を速やかにしたことで玉木議員に一定の誠実さを感じたのではないだろうか。
当初、私もそう思っていたが、会見の詳しい内容を知ったことで、それがそう見せかけるだけの演出だということが分かった。
飽くまで不倫があったことが推測できる事実を書いた週刊誌報道について認定をしたという体。それもおおむねの事実認定であり、何が事実で何がウソかについての言及もなかった。
今回の謝罪会見で玉木議員は不倫=男女の肉体関係に関して、認定も否認もしていない。
マスコミはこの要点についてほとんど報じていないが、翌朝のテレ朝『モーニングショー』で、玉川徹はこの点を問題視した。しかしその不誠実さまで批判することはなかった。
週刊誌には2人がホテルで宿泊したとあり、玉木議員もそれを認めている。しかし男女関係という核心部については明言を避けた。
彼は飽くまで”妻子ある身で他の女性にひかれたこと、好意を持ったこと”について謝罪しているのだ。
さらにその原因については、心の弱さだと回答した。
不倫を明言しない理由として、彼はプライヴァシーと相手女性への配慮をあげた。確かに肉体関係というのは極めて私的なことで相手女性を傷つけることにもなりかねない。
しかし不倫があったかどうかはまさにこの会見の核心部でもあり、そこを答えられないのであればそもそも会見を開く資格はない。
プライバシーを尊重する立場なのであれば、私生活と政治は無関係だとしてずっと黙秘すれば良かったのだ。
それができなかったのは、国民は政治家に対して人間性や倫理も求めていると分かっていたからだろう。であれば、謝罪の核心部にある不倫の有無についての言及は避けられないが、彼はそれも拒んだ。
そのどっちつかずの態度には、ずるがしこい優柔不断さが見える。
2:誠実さアピールと問題の矮小化
玉木議員はマスコミには不倫を明言しない一方で、妻には何があったのかすべて告白したと力強く語った。
これは誠実さの表面的なアピールだ。
明白な事実がありながら不倫を明言していない時点で彼は不誠実だと言える。それが誰も検証できない妻への告白によってひっくり返るハズもない。
さらに問題の矮小化も幾つか見て取れる。
玉木議員によれば相手女性と自分が会うことを奥さんが知っていたと言う。今年7月、高松のホテルで会ったことも、衆院選が終わった直後の10月30日に新宿のワインバーで会ったことも妻には伝えていたと明言した。
だが、それはとても信じられない。ホテルやバーで女性と会うことを、しかも元グラドルで10歳以上年下の女性と会うことを妻に話す男がいるのだろうか。
これは単に妻に黙って行った”密会”という悪い印象を薄めるためのこと、つまり問題の矮小化だと考えられる。
記者の1人はこれを受け、玉木議員の奥さんがホテルで女生と泊まることも知っていたのかと聞くと、彼はそれを否定した。
ここも認めると、奥さん公認の愛人になってしまい傷が大きくなるからだろう。いずれにせよこの記者の追求で宿泊は伏せていたと認め、愛人との”密会”が事実だとみなされた。
玉木議員は不倫よりも、それに関する謝罪会見において、政治家以前にある人間としての卑しさを露呈したと言える。想定問答を事前に用意していたというがお粗末な答弁だった。
不倫報道に対する謝罪会見を自ら開いたにも関わらず、彼は不倫の有無について明言していない。そこが会見の核心部なのに、プライバシーを盾に不合理な正当化をする。
玉木議員の場合、誠実さアピールは謝罪だけに止まらない。会見を早期に開き事実認定をしたことや妻にはすべて告白したという点にもある。
さらには妻や息子に叱咤激励されたことも雄弁に語り、家庭の中ではちゃんとケジメをつけたこともアピールした。
だが、私生活でのことは公には検証しようがなく、当人が何とでも美談にできることでもある。そこで誠実さをアピールしても他人のこころにはあまり響かないのである。
3:二つの顔を持つ男
こういう人が果たして国民のためにいい政治ができるのだろうか。
政治の上でも、何か大きなミスをしたら責任を取らず最後まで隠蔽しようとするのではないか。誠実さアピールや論点ずらしや問題の矮小化などで言い逃れする可能性は大いにある。
玉木議員の不倫報道について、国民民主党の若い支持者などを中心に擁護論も数多くある。国民のための政策を実現さえしてくれれば、私生活の問題はどうだっていい。だが、果たしてそうだろうか。
衆院選前、裏金問題について、野党党首の中で最も痛烈に石破自民を批判していたのは玉木議員だった。自民党が総選挙で裏金の源泉である政策活動費を使うことに対して、猛烈に非難していた。
それが選挙後には、裏金問題解決に向けた道筋さえ立っていない中で、彼は早々に自公と連合を組んだ。部分連合であり政策実現を優先してとのことだが、有権者の半分以上はどんな形でも国民の信なき自民党ベースの政治など望んでいなかった。
選挙前は裏金追求を1番にしながら、選挙後には政策実現を最優先するこの経緯は、私生活で2つの顔を使い分けて不倫をしていたことと重なる。
4:政治と切り離せない人間性
国民民主党が掲げる政策の目玉である”103万円の壁”は現状維持のための論点ずらしに他ならない。
財務省が基礎控除額を不当に低くして国民を苦しめていることに世間の注目を集めさせた功績はあるが、最も多くの国民が求めるのは社会保険の壁とも言われる”130万円の壁”だ。
そもそも物価高対策において、多くの国民の最優先事項は消費税カットやインボイスの廃止などのより直接的な減税政策である。また低所得者には現金給付、学生には学費や給食費の無償化といったものが最優先事項だ。
しかし選挙後、国民民主党の推す政策にこれらは含まれていない。これは不倫会見において、肉体関係からプラトニックな恋愛関係に論点をずらして保身を図った玉木議員の姿にも重なる。
立憲民主党の代表・野田佳彦は孔子の『信なくば立たず』という名言を多用し、政治において最も大切なのは国民からの信頼であり、それがないと政策も進められないと言う。
哲学者アリストテレスは『人間は政治的な動物だ』と言い、本質的に人間性と政治が一体になっていることを説いた。
あの人は悪い政治家だが人柄だけは良い、あの人は悪人だけど政治家としては天才的だ。日本でもよく聞かれることだが、実際はそう見えるだけで真実とはかけ離れている。
今後、玉木議員率いる国民民主党は本当に自公と部分連合に留まるのだろうか。
政策本位を言い訳にして、多くの政策で自公国の固い連合を組み、事前に政策協定を結んで国会論戦を台無しにする可能性もある。こうなれば今回の総選挙の民意が台無しになり、自公政権時代に後戻りすることになる。
最悪、玉木議員がそのように政党運営を進めても、私はそれほど驚きはしないだろう。
なぜなら今回の不倫騒動で彼の人間性がよく分かったからである。■