いったい何が起こったのか‼フジテレビ問題、5つの最重要ポイント
タレント・中居正広の性加害で明るみになったフジテレビの問題が今、日本を揺るがせている。なぜそれがこれほど大きな問題になったのか。
最大のポイントは公共性が極めて高いTV局において、公共道徳・基本的人権に最も反する性的な搾取が常態化していた可能性があることだ。私が考える最大の問題点は次の5つだ。
この5点を通じて日本社会の根本的な問題点を考えたい方に、当記事をおすすめしたい。
1:企業利益のために差し出される性奴隷
フジテレビの2回目の会見では最大の問題点として人権侵害があがった。
しかし具体的にそれは女性社員を使った性的な搾取を意味する。
一般的に性搾取は、人権侵害の中でもジェノサイドに次ぐ悪質なものである。そのためフジが人権侵害と言うことは問題の矮小化でもある。
それは殺人を刑事事件と言っているようなものだ。
問題の最大の焦点は、フジが公共機関でありながら会社ぐるみでその性搾取を行っていたかどうかにある。
文春など週刊誌の聞き取り取材によれば、数十年に渡ってフジは自社の女性社員を接待要因として有力なタレントや企業幹部に送り込み、契約を取っていたという。
2回目の会見ではある女性記者が、上下の権力勾配がある中で女性社員に接待させることは安全義務に反していると指摘した。社員がセクハラや性被害を訴えにくい接待に行かされることは当然、泣き寝入りを多く生み出す。
適切な相談窓口がない環境では、組織間の上下関係のある接待自体が若い女性社員にとって会社の利益のために使われる事、つまり性的な搾取になる。
今回の事件ではさらに接待後に女性社員がフジに性被害を訴えたにも関わらず、加害が疑われるタレントに抗議する所か、契約を継続している。
フジがこの疑惑を晴らすには、上司が女性社員に接待を命じていないことと共に、接待と人事の相関関係がなかったことを証明する必要がある。
接待の出席・欠席が特に女性社員の出世・降格につながっていないことを示すことがより重要になる。性被害の丁寧な聞き取り調査も同様だ。
そもそも性接待は、日本の社会風土として根づき今も生きている。最も顕在化したのは1998年のいわゆる『ノーパンしゃぶしゃぶ事件』で、大蔵省幹部が銀行から風俗店で接待を受けていたことが明らかになった。これは後に大蔵省自体の解体につながる一大事件となる
経済学者・森永卓郎は著書『ザイム真理教』の中、この事件に触れつつ自身も大蔵省の下で予算配分できる立場を利用し、支社の接待に女性社員を呼んだことがあると反省と共に告白。そしてその社員が今の妻だと加えている。
日本では政官民の中で、下の組織が上への接待として女性社員を差し出すという風土が今も息づいている。それ自体が性的な搾取である。さらに社員の性被害をもみ消す段階になると次元が変わる。フジテレビ問題の核心部には、企業利益のために女性社員を性奴隷的に扱った疑惑があるのだ。
2:ジャニーズ事件以降も残る営利忖度
2つ目はジャニーズ事件も同様だが、今回のフジテレビの組織改革、またマスコミの問題追及は人権意識からではなく、飽くまで企業や株主の外圧への対応、つまりカネ目当ての動機づけだということだ。
最初のキッカケはアメリカの投資ファンドが”OUTRAGE(激怒)”という言葉と共に書簡でフジに問題の徹底追及を突きつけてきたことだ。
ジャニーズ事件の際のBBC報道同様、これがなければフジ問題は大きくならなかっただろう。
そして当の中居正広が事実だったと文書で認めたことで、ようやくTV新聞などのマスコミはこの事件を報じ始めた。しかし『中居さんの女性トラブル』と一様に扱ったことで未だにジャニーズ忖度があることも露呈させた。
中居は個人事務所所属だが、ジャニーズの元大御所であり今もつながっている可能性がある。マスコミがそこを察して、旧ジャニーズ事務所を敵に回して収益を落とすことを危惧しているのは明らかだ。
つい2年前、ジャニ―喜多川の世界の犯罪史上にも残る
凄惨な性加害事件が世界中で報じられたにも関わらず、
日本のマスコミは未だにジャニーズへの営利忖度を続けている。
2回目の会見はよりフジの信用を失墜させるものになったが、その一番の理由もジャニーズ忖度にある。
事件の核心部にある性被害の放置の理由として、フジの幹部はそろって中居正広への忖度はなかったと断言した。だが、調査を待たずとも状況を見るだけで忖度があったとしか考えられない。
一方で、マスコミの激しい糾弾も第一には人権意識からではなく営利から発生したもの。フジを追求しなければスポンサー収入が離れるリスクを恐れてのことだ。企業のコンプライアンスやガバナンスというのも第一に株主の資産を保護するために作られたものである。
ただしこういうグローバル経済にも恩恵がある。
ジャニーズ事件に続き、今回のフジでも海外から資本に乗って人権意識が日本に輸入された。金もうけの原則に従ったものだが結果的に基本的人権が日本に日々注がれている。これは今回の事件で唯一いいニュースだと言える。
3:ファクトよりも真相に迫る世論
問題点3つ目のファクトベースの権威主義は多くの場合、真実を隠ぺいするもので、現在テレビ新聞などのマスコミはこれを盾にして真相追求の手を緩めている。
フジテレビ『めざまし8』の司会・谷原章介は、番組の事件報道のあいまいさを意識して「番組では世に出回っている裏が取れていない憶測や伝聞などを報じない」といった発言をした。
これは週刊誌への侮辱であると共に、庶民の集合知である世論をフェイクニュースと混同して貶めていることに他ならない。
世に出回っている情報の元には女性誌や文春の報道があり、今はどの週刊誌でも訴訟リスクを下げるため最大限の取材で裏取りをしている。政治権力にも立ち向かえるほどの文春であればなおさらだ。
フジ問題に関わらずほとんどの場合、世論の大勢は信頼性の高い情報を識別した上で論理的な思考、また普通の感覚で導き出されたものだ。谷原はそれをフェイクニュースと同列に扱っている。
こういう世論への軽視は。思想弾圧にもつながる危険なものだ。マスコミはこの世論を踏まえた上で、ニュース報道をしなければならない。だが、日本のそれは今もファクトベースの権威主義の姿勢を崩さない。
それは、まず権力側に不都合な情報をデマだと貶める。そして当事者の確かな証言と権威ある機関の調査でしか真実が明らかにならないとして、問題をあいまいにするのだ。
一方で事件当事者の証言の多くは自己弁護やウソをふくみ、調査機関の多くは時の複数の権力と利害関係にある。
世論と権威、どちらがより信用できるかは言うまでもない。
問題に直接関わった人しか考えるべきではないという当事者論もこれに類似している。他人の問題、社会の問題はほとんどの場合、自分につながっている。考えるなということ自体、根本的に庶民への思想弾圧にもつながる危険なメッセージである。
4:互いに不正をつぶしあう慣れ合い権力
4つ目の問題点は、社会的な視点では最大のポイントと言える。それはマスコミと政官3つのゆちゃくによって権力が腐敗していた点だ。
これだけ国際的な人権問題になっているのに未だに政治は動かず、放送権限を持つ総務省も静観している。これは文春報道にもあるよう政治家や総務省の天下りがフジテレビで横行しているためだ。
注目すべきは安倍首相時代の元秘書官で、放送行政のトップも努めた山田真貴子だ。彼女もフジ天下り組の1人だが、過去に「飲み会を絶対に断らない女だ」と自己アピールして、世論の反発を買い降格させられたことがある。そういう女性が後にフジに迎えられたのは、非常に象徴的だ。
権力のゆちゃく問題はマスコミと警察にも見られる。事件が起こるとマスコミの情報源は警察になるため、必然的に警察が上の立場になる。そのためマスコミは警察に忖度した報道をせざるを得ない。
このように複数の権力機構がなれ合いになると、社会の上層部がお互いの不正をつぶしあって長期的な腐敗が起こることになる。これは高度に政治的な問題のため、与野党の政権交代なくして解決することはないだろう。
5:無責任の体系と独立人権機関の欠如
5つ目の問題点として取締役就任から41年にも及ぶ日枝久の独裁体制がある。日枝は安倍晋三との親交でも知られていて、政官マスコミのゆちゃくで自身の不正が追求されない状況を作っていたと言える。
安倍はジャニ―喜多川のお別れ会に弔電を送り、日枝はその姉・メリー喜多川との主従関係が報じられている。TV局全体にある自民党やジャニーズへの忖度は、フジの日枝から始まったという噂もある。
このような権力のなれ合いから、今回、フジが中居を調査しなかったのは日枝の個人的な判断があったという線も考えられる。日枝は今も影で幹部の人事権を握った隠れ独裁者としても知られている。
2回目の会見の前に、フジの副会長・遠藤が取締役会に日枝が出席していたかどうか問われた時の答えが非常に象徴的だ。
彼は「日枝はいつも通り取締役会ではひと言も発しなかった」という趣旨のことを言った。その無言の圧力こそが、彼が影の支配者であることを雄弁に物語っている。
だが、日枝は実務職には就いていないため権力をふるいながら責任を取らないで済む。そして日枝のような隠れ独裁者は、フジとゆちゃくする権力機構の中に数多く存在している。そのためこういう問題が起こっても、最大の責任者が誰かは分からない。
最後に一連のフジ問題の本質的な解決策は、とりあえず民放テレビ局だけでも人権監視機関・統合的な第三者機関を設けることだろう。
今回のような性加害を所属企業の人事リスクなしで安全に報告できる窓口ができることが何よりも大切だ。
アメリカには米国公民自由連合(ACLU)など強力な人権監視機関があるがG7先進7か国の中で唯一、日本にだけ政府から独立した人権機関がない。日本には法務省の中、つまり政府とゆちゃくした人権擁護局しかない。
また、権力のもたれあいの元にある天下りを禁止する法律も必要だ。そのため真の改革には政権交代という超アクロバットが不可欠であり、解決への道のりはまだまだ遠い。■