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イシュムカネーの発した「一緒に」という言葉

 サパティスタ蜂起30周年を前に出された一連の声明(20部中の第8部)の中で語られた「一緒に(en comun)」という言葉をめぐるイシュムのお話し

伝説によると、時間が重要でなかった時代には、雨と夜が「生ものの家」を覆っていたという。その時代には光はなかった。すべてが闇に覆われていた。女、男、その他は、つまずき、ぶつかり合った。そのため、仲間や隣人同士で喧嘩し、争った。とても暗かったので、家族や知り合いでも互いを判別できなかった。お互いひどく怒鳴り合った。
 最初の神々、世界を創造した神々は、気ままにハンモックに横たわりゴロゴロしながら駄洒落や小噺にうつつを抜かしていた。しかし「生ものの家」の騒音が最初の神々のもとにも届いた。「この音は誰がたてているのだ?」とある神が尋ねた。「さあね」と別の神が言った。「何の音か私たちで確かめよう」と、母なる女神イシュムカネは言った。ハンモックから降りる際、彼女は転倒し地面に顔から落ち、顔がへこみ、ひび割れた顔になった。彼女は立ち上がったが、悪態はつかなかった。当時、まだ悪態は発明されていなかった。彼女はホコリを払い、スカートを少し持ち上げ「生ものの家」に向かい走りだした。
 最初の神々は顔を見合わせたが、何も言わず「一人の女が私たちに勝てるはずがない」と考え、ハンモックから用心深く降り、イシュムカネに追いつこうと走った。しかし、怠けて樹々の伐採するのを忘れていたので自分のまわりは鬱蒼とした森になっていた。つまり藪だらけになっていた。棘のあるツォ・チクス、枯れ枝、切れ味鋭いカヤ(ゲサウ・ハアクという)、棘だらけの蔓チョオクス・ツァンが生えていた。しかし神々は、不平を垂れながら、藪を全力で跳ぶように走り、レース場を前進していった。一女性が勝つことなど認めたくなかったからである。最初の神々も、顔や手に傷やへこみを負って「生ものの家」に着いた。光がなかったのでボコボコの神々の姿を誰も見ていなかった。だから神々は傷がないと信じられている。
 神々も何も見ていなかった。すべてが暗かった。だが音がするのでほかに誰かいるとわかった。 「どうしよう?」と神々は自問した。イシュムカネは何も質問せず考えていた。ホラばかり吹いている男の神々はオコテ松を探さねばと言いだした。懐中電灯や石油ランプを発明せねばと言う神や多くのホタルを集めねばと言う神もいた。こんな調子だった。
 イシュムカネは考えた。「光を取り戻さないと。そのためには私たちが見つけないと。見つけるにはどこを探せばいいのか。その場所を知るには、何が起きたかを私たちは知らねばならない」
 イシュムカネは、トウモロコシの男や女や他の存在と会った。その当時、多様な色で独特のあり方のトウモロコシの男や女や他の存在だけしかいなかった。後に戦争の要因となる宗教、民族、国家、政党などといったものは、その時代にはまだなかった。イシュムカネが「小さな仲間よ、集まってください」と言うと、その声に導かれ、すべての男や女や他の存在が集まった。まだ排除されているなどと感じていなかったのである。
皆が会合に参集した。光がなくお互いに見えなかったが、話したり聞いたりすることはできた。 「何をしようか?」と、イシュムカネは尋ねた。光がないので、男や女もその他の存在もお互い見ることなく黙っていた。「何をすべきか、神様あなたから言ってください」という発言があるまで。拍手の様子は見えなかったがはっきり聞こえた。イシュムカネは心から笑いながら、「どうやら私にはわかった。最初はわからないが、このように集まり話し合えば、何をすべきか突然思いつくかもしれない」と言った。そしてみんな黙って何をするか考えた。
 聞こえる騒音は、お互いに言い争う男の神々の口論だけだった。母親たちはオコテ松をどこにしまったのか。誰かホタルの作り方を覚えていないのか。それは私ではない。何も知らん振りするのは誰か知らないというが、それはお前だ。まだアヒルは創られていなかったので、アヒルとはなんだ。こんな具合だった。
 集会では、皆は話し合い、どうすべきかを提案していた。最初は一握りの声だったが、やがて増えていった。発言する順番を定め、同意が成立したら書きとめる役を決めなければならなかった。書いたり読んだりする光がないので、話し言葉だけだった。そこで言われたこと、話し合われたことを頭にとどめておく役割はイシュムカネに割当てられた。
多くの考えや言葉が語られていたので、イシュムカネの頭に収まりきらなくなった。髪に保存していったので、髪は長く伸びていった。だから女性は長い髪をしている。彼女は髪を束ねていったが、それでも足らなくなった。こうして「髪留め」が発明された。この言葉は「考えをまとめる」という意味となっている。イシュムカネの髪はすでに地面まで達していたが、考えと言葉は発され続けた。


 そこでイシュムカネは、考えを自分が倒れたときに棘や蔓でできた傷のなかに蓄え始めた。イシュムカネは、顔、両腕、両手、両足など、全身に傷があった。体中傷だらけだった彼女はすべてを蓄えることができた。だから年齢を重ねた人、判断力のある人はしわや傷が多くあり、多くの考えや物語を持っていると言われる。多くのことを知っている。


 「生ものの家」の最初の集会で彼らが合意したことについて皆さんに話すのは別の機会になるだろう。今回はイシュムカネが言ったことをお伝えしよう。「私たちが抱える問題に対処する計画ならすでにある。世界は生まれたばかりで、私たちが混乱しないように、いろんな事物や出来事に私たちは名前をつけている。私たちがしたやり方は全員が参加しているので、「一緒に」と呼ぶことにする。考えを出す人、別の考えを述べる人、発言する人、発言メモを取る人もいる。
 しばらくは沈黙があった。その沈黙は重苦しく強烈なものだった。 やがて一人が拍手し、別の一人が拍手し、ついに全員が拍手した。皆がとても喜んでいるのが聞こえた。 母親たちの姿がないので、踊りだすことはなかった。だが「一緒に」つまり「一緒に道を探す」という新しい言葉を見つけたので、皆は大笑いした。この言葉を発明したのは、世界を創造した最初の神々ではなく、一緒になって、この言葉つまり道を見つけたトウモロコシの男、女、そして他の存在たちだった。
 イシュムカネはすべての神々の中でもっとも賢い女性だった。「生きものの家」 に最初に到着した女性で、転倒や藪の中のレースでより多くの傷を負った。そのため彼女にはそうした傷が多く残っていた。それは「しわ」とか「傷」と呼ばれていた。
 それ以来、しわや傷は知恵を表すものになった。しわや傷が多いほど、知識が豊富なことを意味する。もちろん、当時はソーシャルネットワークもなく、誰も化粧して出歩いたり、いわゆるバーチャルアプリケーションで写真加工したりすることはなかった。今では、プロフィール写真を目にした後に現実を見ると、逃げ出したくなっている。昔はしわや傷は誇りであり、誰にでもあったわけではない。若い男や女でも、しわや傷を描き、藪に入り棘や蔓で顔を引っ掻かれたものがいる。誰がきれいかではなく、誰が賢いかが重要だったからである。「フォロワー」や「いいね!」ではなく、多くのしわや傷のある人が求められていた。
そう、こんな話だった。

そう、私も失われた光りがどうなったのか、私も知りたかった。おそらく別の追記で、私たちはそれを知ることになるだろう。だが今は、暗闇の中でこうして歩き、生きていくことを習得していかなければならない。やむを得ない。

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