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砂州から生まれた奇跡の布

手紡ぎの綿糸を手織りした布のことを中国では「土布」と呼ぶ。1950年代以降は、大量生産が盛んになったコットンプリントのことも「土布」と呼んだが、主流はあくまでもチェックや縞模様を手織りした、いわゆる「先染め」の素朴な風合いの生地だ。

唯一、シルクスクリーンと同じ技法で後染め(いわゆるプリント)された手織りの土布が、江蘇省南通市東部の啓東、海門、崇明の3地区でつくられていた。過去形なのは、他の土布同様作り手がいなくなって今はつくられていないからで、今残っているのはおおむね1950〜80年代のものだ。手織りのざっくりとした「土布」に反して、どうしてこんな田舎で…と思わせるほどモダンな柄ばかり。一時期は旗袍の収集などそっちのけで、勢い余って南通のコレクターのところまで直に買い付けに行ったりもした。
今回は中国服の話題はお休みして、南通での聞き書きを中心に、この美しい布のことを備忘録がわりに書いておこうと思う。ただし調べが不十分な点や裏とりができていないことも多々あるので、あくまでも「とりあえず」だ。

* 最近流行ってるせいか、複製品がつくられているらしい。版は昔のものをそのまま使っているそうだけど、さすがに手織りの布は使えず、風合いまで昔のままとはいかないようだ。

この後染め地は上海市の無形文化遺産に指定されている先染め織物の「崇明土布」の一種とみなされているので、ここでも崇明土布と呼ぶことにするが、本来は南通市東部で長江河口の啓東、海門、崇明の三地区(以下三地区)で作られたものだ。今の崇明島は島のほとんどが上海市に属しているため、崇明土布は上海文化の一と誤解されがちだが、崇明島が上海市に編入されたのは1958年の終わりで、それ以前は江蘇省に属していた。だから崇明島は蘇北(江蘇省の中でも揚子江の北にある地域。江北とも呼ぶ)文化圏であるという解釈が正しい。初めて見た時には「洋モノ好きの上海向けに作った布だろう」と思ったのだけどそれは大いなる誤解で、この布の誕生と上海文化とは何の関係もない。

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中国の片田舎でつくられていたというのがにわかには信じがたいほど、あかぬけた柄。手織りらしくぶ厚めな生地にも不思議と調和している。

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所変われば品変わる。ここ数年、旗袍の地方差に注目しているので、サポートはブツの購入や資料収集にあてたいなと思っています。