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鳩森八幡神社【東京・渋谷区】
石碑の「将棋堂」が建つ神社、それはここ鳩森八幡神社(はとのもりはちまんじんじゃ)です。
この石碑の横に大きな将棋の駒を収めた六角の堂が鎮座しているのですが、ちょうど宮司の方が掃き掃除をしている最中だったので、やむなくこの石碑のみを撮影しました。
HPの御由緒書きには以下のように案内されています。
『江戸名所図会』によると大昔、此の地の林の中にはめでたいことが起こる前兆の瑞雲(ずいうん)がたびたび現れ、ある日青空より白雲が降りてきたので不思議に思った村人が林の中に入っていくと、突然白鳩が数多、西に向かって飛び去った。この霊瑞(れいずい)に依り 神様が宿る小さな祠(ほこら)を営み鳩森『はとのもり』と名付けた。貞観2年(860年)、慈覚大師(円仁)が関東巡錫の途中、鳩森のご神体を求める村民の強い願いにより、山城国石清水(男山ともいう)八幡宮に宇佐八幡宮を遷座し給うた故事にのっとり、神功皇后・応神天皇の御尊像を作り添えて、正八幡宮とし尊敬し奉ったと伝えられている。
奈良時代から平安時代にかけて、この地「千駄ヶ谷」は深い森だったといいます。
現代においても、神宮外苑、新宿御苑、明治神宮などに囲まれている立地からその名残じゃないか、と思うくらいに自然豊かなエリアといえます。
おそらく昆虫トラップを仕掛ければ、カブトムシやクワガタが見つかる可能性もあると思います。
といっても、ここは渋谷区。土地代はめっちゃ高いですよ!
上記写真は参道から外側を撮った写真です。
茶色の建物が、今最も注目されいる、あの「日本将棋会館」です。いわゆる日本将棋連盟の本部が鎮座、いや置かれている建物ですね。
藤井聡太二冠も対局している場所であり、鳩森八幡神社にも参拝していることでしょう。
ところで、どうして20.315がここに参拝しにきたのか?
と疑問に思う方もいるかもしれません。いや、いるわけないか。
ま、それはそうと、ちゃんとした理由があるんです。
実は20.315の知り合いに出版社の方がいまして、その出版社が将棋関係の書籍やアプリを出していて、これが今、大ブレイクしているんです!
藤井さんの人気は、そのまま将棋関係の書籍やアプリ等に好影響をもたらしていて、おまけに巣籠効果も手伝い、結構な利益をもらたらしているようです。
20.315は、そのご利益に感謝すると同時に、あやかりたい一心で、ここに参上したわけです。いや、あやかりたいだけか。笑。
鳩森八幡神社には、東京都指定の有形民俗文化財である「千駄ヶ谷の富士塚」があり、20.315が参拝した日は小雨がしたたる午前中でしたが、数人が富士塚にも参拝していました。
富士塚は寛政元年(西暦1789年)に造られたもので、建造当時の姿が現存しています。高さは約7メートル。※都内で一番高い富士塚は、品川神社にあります。
富士塚というものは、富士山を模した山を作り、その霊験に触れることで無病息災や厄払い等を行う山岳信仰のひとつです。
この富士山信仰のことを「富士講」(ふじこう)といいますが、富士講やその開祖のことを語りだすと、これまた膨大は量になってしましますので、それはまた別の機会としたいと思います。
上記写真におさめた「社報 鳩森」の冒頭文では、宮司の方が以下のように結んでいます。
”この「コロナ禍」が一日でも早く終息することを祈念し、当社でも毎朝・夕に「新型コロナウイルス感染症早期終息祈願」の祝詞を奏上しております。目先の経済効率を求めるのでは無く、長期的視野に立ち、このような禍や様々な自然災害など、不測の事態に耐えうる社会体制の整備を望みます”
はい、その通りです、ありがとうございます!
目先のご利益も、とっても欲しい20.315ですが、ここは中長期的スタンスで細く長い利益を求めるべき・・・いや、求めたい・・・と思います!
【基礎データ】
■創建 貞観2年(西暦860年) 平安時代
■祭神 応神天皇(おうじんてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)
■住所 東京都渋谷区千駄ヶ谷1-1-24
■HP 鳩森八幡神社
※写真は全て20.315が撮影。