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太宰府天満宮【福岡・太宰府市】

こんにちは!
全国の神社をくまなく探訪している、神社大好きの20.315です!

ちょっと福岡に用事があり、ついでにいくつかの神社を巡ってみました。

『神社アベニュ~』でご紹介する福岡の神社第1号は、ここ太宰府天満宮(だいざいふてんまんぐう)です!

ここは20.315がわざわざ説明するまでもない、世界的に有名な神社といっても過言でない超大御所の神社です。

太宰府天満宮HPにもあるとおり、”「学問・至誠・厄除けの神様」として、日本全国はもとより広く世のご崇敬を集め、年間に約1,000万人の参拝者が訪れています”と紹介されています。

20.315が訪れた時も、結構大勢の方々がいて、やはり全国から参拝者(観光客)を集めていました。そりゃあ、そうですよね、誰でも「勉強できないより勉強できるようになりたい」に決まってます。万国万民の願いです。

日本全国にある約12,000社(!)ある天神様の総本社でもあります。

太宰府天満宮ー2

主祭神は菅原道真公。そう、天神さまですね。
コンテンツが多い太宰府天満宮ですが、あえてひとつの項目について記したいと思います。それは、怨霊信仰(御霊信仰=ごりょうしんこう)です。

京都に生まれた道真公は文武両道に長け、時の天皇(宇多天皇、醍醐天皇)に重用されましたが、藤原時平(ふじわらのときひら)らによる讒言により、謀反の罪で太宰府に左遷されます。生涯にわたり無実は晴れることなく、この太宰府で亡くなりました。延喜3年(西暦903年)、58歳でした。

彼は死後に怨霊となり、朝廷周辺には次々と「たたり」とみられる不幸が襲います。約30年の間に、平安の都には干ばつも襲い、「清涼殿落雷事件」では近臣らに死傷者が多数でました。この間、宇多天皇も崩御されました。

醍醐天皇は道真公の「たたり」と怖れ、太宰府にあった道真公の墓の上に社殿を造営し、鎮魂しました。延喜19年(西暦919年)のことでした(=太宰府天満宮の創始)。その後、天暦元年(西暦947年)には京都・北野に神宮寺を作り道真公を祀ります。これが後の北野天満宮です。

太宰府天満宮ー3

その後、道真公の無実が証明され「天満大自在天神」(てんまだいじざいてんじん)との神様の称号を受けました。

太宰府天満宮が創建されて約1,100年の時が流れ、天神様は多くの人々から崇敬される存在になっています。

「たたり」なんて信じない、という人もいるでしょう。20.315だって、この令和時代に「そんなもん、ありえへん」と思いますよ。

でも、ちょっと考えてみてください。

リーマンショックは自己満悦した人類に神が与えた天罰である!
コロナ蔓延は、自己増殖した人類に地球が反旗を翻した「たたり」である!

と、思うと・・・。(※中国起源説もありますけどね。)

だから、20.315は今日も神社にお参りします!
鎮魂をこめて。

【基礎データ】
■創建 延喜19年(西暦919年) 平安時代
■祭神 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
■住所 福岡県太宰府市宰府4-7-1
■HP 太宰府天満宮

※天神様を祀る神社の総本社は北野天満宮(京都)ともいわれています。太宰府天満宮と双璧をなしていますね。


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