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徳丸北野神社【東京・板橋区】

板橋区は北に新河岸川(しんがしがわ)、荒川が流れ、埼玉県戸田市との都県境にあります。武蔵野台地にあたり、区内は高低差が少なくなく坂道の多いエリアです。

参拝した時、近くの住民の方が上り坂でチャリを引き、下り坂でチャリに乗って風を切る姿がありました。高台での生活は、結構大変だなあと思います。20.315は、ほとんど平な土地にしか住んだことがないので・・・。

この辺りは明治の初め、当初は大宮県→浦和県と数年おきに変わり、明治4年(1871年)に東京府に編入されました。この時代、日本各地で廃藩置県により藩のエリアで編入・併合が相次いだので、めずらしいことではありません。

”板橋”という地名は、平安の昔、石神井川の橋が板で架けられていた橋だったことからついたという説があります。本当だとしたら、とても単純な話ですが、意外にこんなもんかも知れませんね。

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徳丸北野神社(とくまるきたのじんじゃ)の創建は長徳元年(995年)とあるので、平安時代です。この長徳年間(995~999年)は、全国で疫病が流行り、平安京では長徳の変(花山院闘乱事件)があって、藤原北家の一族、中関白家(なかのかんぱくけ)が排斥されるなど事件がありました。

この徳丸北野神社の由縁も疫病に関係していて、HPには

「この地に疫病が流行し、里人等大勢の者がこの病により暴死した」

とあります。里人(さとびと)とは、ここに古くから住んでいた人々ということで、この関東でも多くの方々が、疫病に倒れたわけです。

そこで、徳磨(とくまろ)という者が夢を見て、ここにある梅の木に祈願したところ疫病が退散。そこで、京都の北野天満宮から分霊してもらい天満宮とした、ということです。だから「徳丸北野神社」なんですね。 

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北野であり、天満宮ですからご祭神は菅原道真公です。いわずと知れた学問の神様ですが、ここ徳丸北野神社では五穀豊穣を祈る神事「田遊び」が千年以上、続けられています。豊作や商売繁盛なら宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ、倉稲魂命とも書きます)なんですが・・・。

「田遊び」神事は、北野神社創建の日、毎年2月11日に行われます。2月11日といえば建国記念日であり、神武天皇の即位日です。

菅原道真公を祀る神社が、神武天皇の即位日に五穀豊穣を願う「田遊び」を開催・・・。何だか魔訶不思議な気がしますが、ま、細かいことはどうでもいいんじゃね?と天から徳磨さんの声が聞こえてきそうです。

日本の神様と神社は、なんでもOK!の世界なんです。
そこがまた、神社のいいところですね。

【基礎データ】
■創建 長徳元年(西暦995年) 平安時代
■祭神 菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
■住所 東京都板橋区徳丸6-34-3
■HP 徳丸北野神社

※写真は全て20.315が撮影。後段の写真は、板橋区立郷土芸能伝承館の駐車場から道路を挟んで徳丸北野神社の遠景。そう、駐車場があります!

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