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虎ノ門 金刀比羅宮【東京・港区】
「虎ノ門 金刀比羅宮」(とらのもん ことひらぐう)は、東京に鎮座する金毘羅さん(こんぴらさん)です。
社務所はこの「虎ノ門琴平タワー」1階にあります。もう、完全に都市神社ですね。
虎ノ門琴平タワーは地上26階のビジネスタワーとなっていて、その入居管理は三井不動産が担当しています。おそらく、所有は金刀比羅宮ですね。これはあくまで20.315の邪推ですが。笑。
創建は江戸初期。幕藩体制がしかれて、丸亀藩(香川県)の江戸藩邸内に金毘羅さんの分霊を祀ったのが始まりです。その後、藩邸の移転とともに、この地に遷座しました。
丸亀藩の京極家は外様大名でしたが、徳川将軍家とはうまくつきあい近世を生き抜き、明治維新後も華族として続きました。
ご祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)と崇徳天皇の2柱です。これも本家の「こんぴらさん」と同じです。当然ですが。
崇徳天皇は広く知られているとおり、日本三大怨霊の一神です。他の2神は菅原道真、平将門ですね。
崇徳天皇は保元の乱(保元元年:1156年)で悲劇に見舞われ、讃岐に流されます。讃岐での軟禁生活は壮絶ですが、それはまた別の機会に記します。
怨霊となった神様を鎮めるため、後世の天皇家や側近はあらゆる手を尽くします。そのひとつが昭和39年(1964年)、香川県坂出市の崇徳天皇陵にて、時の昭和天皇によって執り行われた「崇徳天皇八百年祭」の式年祭に勅使を派遣されたのです。
はたして、崇徳天皇の怨念はしずめらたのでしょうか――。
考えてみると「崇徳」とは「気高い、徳がある」とも読めます。彼の心を鎮めるためにつけられた名とも考えられます。※勝手な憶測です!
秋も深まる平日でしたが、風もなく澄み渡る青空のもと、虎ノ門のこんぴらさんは、静かに力強く威厳を保っていました。
付近は虎ノ門ヒルズなど超高層ビルが屹立しつつある東京のど真ん中です。この10年で風景は結構変わりましたね。今後も再開発が進み、ますます風景は変化していくでしょう。
そんな中でも、虎ノ門金刀比羅宮はいつまでも、ここに鎮座しています。
東京散歩の折には、ぜひご参拝を!
【基礎データ】
■創建 万治3年(1660年)江戸時代
■祭神 大国主命(おおくにぬしのかみ)、崇徳天皇(すとくてんのう)
■住所 東京都港区虎ノ門1-2-7
■HP 虎ノ門 金刀比羅宮
※写真は全て20.315が撮影。