野木神社【栃木・野木町】
近年、ふくろうの里、と有名になり、映えるふくろうのモニュメントまで登場した神社、それがこの野木神社(のぎじんじゃ)です。
かわいいふくろうが何羽もとまっていて、子供たちにもウケルと思います!
そんなふくろうの赤ちゃんが、春先にこの野木神社で観察されるそうです。
といっても、ふくろうは夜行性のため昼間に出会うことは滅多にありません。余程お腹がすいている場合には昼間にも狩りをするケースがありますが、都心や市街地で見ることはほとんどありません。
あ、すみません、ネイチャーフィールドXみたいな話になっちゃいました。
この野木神社ですが、ふくろうをお祀りしていること以外にも、実はもうひとつ特徴的なことがあります。
それは、ご祭神に「菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)」を祀っていることです(※うじ=京都・宇治に関係しています)。
莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)とは、一体誰でしょうか・・・。
検索すると出てきますが、彼は応神天皇の皇太子でした。
つまり、応神天皇の次に天皇になる予定だったのです。
しかし彼は結局、天皇にならないままこの世を去ります。
これは一体、どういうことなのでしょう?
歴史的には、応神天皇の次は仁徳天皇です。あの世界遺産で世界的にも有名になった「仁徳天皇陵」の主です。
仁徳天皇は即位するまで大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)として応神天皇の長男(?)として誕生しています。
その4年後、別の母から生まれたのが3男(?)である莵道稚郎子でした。
応神天皇は賢い莵道稚郎子を皇太子としましたが、応神天皇の死後、兄である大鷦鷯尊と即位について、譲り合うことになってしまいます。
ここからは20.315の演出で即位のやり取りを再現しましょう。
ここでは便宜的に莵道稚郎子を「宇治君」、大鷦鷯尊を「さざき君」、そしてもう一人の兄、大山守皇子(おおやまもりのみこ)を「大山君」とします。
英知あふれる宇治君は「自分が即位すれば、二人の兄から睨まれる」と読み、頑なに即位を拒みます。
宇治君 「私は兄に比べてまだまだ世間知らずの身。よって、ここは兄に
お譲りしとうございます」
さざき君「なんでやねん。父上が宇治君でええ、とゆうてたやんか」
大山君 「そうやで。俺は納得いかへんけどな」
それでもなお、宇治君は即位を拒否。
さざき君「宇治君はホンマに頑固やな。わてかて本心は(天皇に)なりた
いんやで。せやけど、父親の遺言もあるし周囲ももう宇治君で
ええやないか、と思ってはるで」
大山君 「もう面倒くさいやっちゃな。さっさと即位せえ!」
兄君たちのあまりの剣幕に「殺される」と思い、宇治君はうろたえます。彼がとった行動は、何と、京都・宇治に逃げ去ったのでした。
宇治で自害した、あるいは病の末亡くなったともいわれます。また、大山君に殺された、との説もあります。
結果、さざき君こと大鷦鷯尊が即位し仁徳天皇となります。
20.315が不思議に思うことは、このような経緯で天皇になっていない莵道稚郎子が、後世、彼の慰霊を兼ねて祀る神社があまりないことです。つまり、「天皇になりたかったのになれなかった」とか「理不尽にも即位を阻まれた」という印象がほとんどないため、そこには「怨恨」や「遺恨」がなく、極めて穏やかなまま、仁徳天皇が即位しています。
こうしたことから、莵道稚郎子は元から天皇になりたいとは思わなったのではないか、そして宇治では病になり亡くなっただけなのではないか、と思うのです。
ただし、播磨国風土記には彼が宇治天皇となったとの記載があります。幻の天皇ですね。
うーん、どうにも古代の歴史は難儀ですわ。
「そんなことはどうでもいいじゃん」と、今日も野木神社のマスコット「ふくろう」が貴方のご参拝をお待ちしています!
【基礎データ】
■創建 仁徳天皇の時代ですから古墳時代か。
■祭神 莵道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)
■住所 栃木県下都賀郡野木町野木2404
■HP なし
※写真は全て20.315が撮影。
※莵道稚郎子命を祀る神社はこのほか京都府宇治市、神奈川県平塚市にあります。