比良大神奥宮社【滋賀・大津市】
ここは琵琶湖西岸、比良山地(ひらさんち)に位置する蓬莱山(ほうらいさん)の山頂付近です。
関西や東海エリアの方々ならよくご存知の「びわ湖バレイ」。標高1,174メートルの山頂は真夏でも涼しく、冬場はスキー場として賑わう日本有数のリゾート地ですね。
わが国最速のロープウェイで、山麓から山頂まではわずか3分半。晴れていれば絶景が望めるんですが、20.315が行った日は曇り時々晴れという天気だったので、山肌に雲が広がったりして広大な琵琶湖の遠景は望めませんでした。残念。
それでも、各地から大勢の人が来てました。
そして、ここにもちゃんと神社があるんです!
比良大神奥宮社(ひらのおおみかみおくぐうしゃ)。
この蓬莱山頂上に鎮座する神社なのです。
鳥居にかかる扁額(へんがく)には「山の神」と記されています。
神道では「万物に神が宿る」といいますから、どんな山にも神様がいらっしゃるわけですね。
といいますか、どんなに美しい山でも大量の雨が降れば土砂崩れが起き、降雪が多ければ雪崩だって起きます。安全安心を得るために、山の神様に祈願するのは、自然な流れともいえます。
また、比良山地自体も山岳信仰の対象になっていて、古くは修験者の霊山でした。比叡山も近くにありますしね。
↓ 鳥居をくぐると小屋があり中には、このようにちゃんと祠(ほこら)もあって参拝可能です。かわいい狛犬もいて、素晴らしいですよ。
さて、この比良大神奥宮社の由来ですが、祠の片隅に板張りの「由緒書き」が置かれています。
何と、1571年の信長による比叡山焼き討ちの際、ここ比良の地も焼き討ちにあい、焼失したとの記述があります。
比叡山と蓬莱山は直線距離にして約15キロほど離れています。焼き討ちの範囲と規模が、尋常ではなかったことが窺われますね。
「由緒書き」には「織田信長が比叡、比良3千坊を焼き討ちした」と書かれています。3,000人もの僧侶を惨殺したということです。
比叡山延暦寺――。
平安京から10キロほどの地に、延暦7年(788年)、最澄(さいちょう)が開いた天台宗の本山です。
平安、鎌倉、室町(南北朝、戦国)と時代の変遷とともに日本仏教は大きく隆盛していきます。鎌倉期には天台宗をもとに、現代に連なる新仏教の数々も生まれています。
織田信長が、そうした栄華を誇る日本仏教を敵に回し、どうして「虐殺」ともいえる悪行を行ったのか、現代となっては評価も賛否あり一定していません。
一説には、信長が「信仰とは民を救うことであるのに、坊主は槍を持ち、鉄砲まで構えている。まかりならん」と激怒したことがあったといいます。
一方、僧侶サイドから見れば他の宗派同士でいがみ合うこともしばしばあり、武器を持つのも仕方ない。とはいえ、信長が皆殺しにするとは何事か。という論理にもなっています。
仏教は神道や修験道、密教等なども取り込み、日本の巨大勢力になっていて、時の権力とも利権が絡んで内紛もしばしば起きていました。
何だか、現代の中東情勢にも似て相当に複雑です。
本能寺の変のあと、秀吉は僧侶に対し「武器を捨てるなら」という条件つきで、寺社の再興を許したといいます。
比叡山焼き討ちから450年余り。
蓬莱山のびわ湖バレイは、ファミリーや若者のグループが楽しく過ごす令和のリゾートとなって眼前に広がっています。
画像検索すると、ここは日本か?と見紛うほどに洗練されたレジャースポットです。
上記写真のように、実にクールなカフェもあります。
ロープウェイの価格は往復で大人ひとり3000円です。山頂にあるリフトも開放されていて、乗り放題です。リフトは、そよ風を感じて気持ちいい。
「アソビュー!」という予約サイトを利用すれば10%割引されるので、結構お得かも。
現代のこの様子を最澄や信長が見たら何を思うでしょう・・・。
20.315は単純に日本に生まれてよかった!
と感激する神社ハンターでした。
【基礎データ】
■創建 昭和53年(西暦1978年)※再建、下記参照
■祭神 比良大神(ひらだいじん、ひらのおおみかみ)
■住所 滋賀県大津市木戸1547-1
■HP なし
※蓬莱山山頂にあり、もともとは平安時代に峯権現(みねごんげん)といわれていました。