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タイミーはなぜ人を幸せにしないのか? 〜働き方の自由と孤独の代償〜
近年、「好きな時に好きな場所で働ける」自由な働き方を提案するプラットフォームが増えている。その代表格が「タイミー」だ。時間や人間関係に縛られず、必要なときにすぐ働けるというメリットが強調されているが、このシステムは本当に人を幸せにしているのだろうか?
ハーバード大学の研究によれば、人間の幸福は「同じ目標を志す仲間との共同作業」によって生まれるとされている。しかし、タイミーの提供する働き方には、その要素がほとんど存在しない。むしろ、そこには労働者を「パーツ化」する無機質な仕組みがあるだけだ。
「自由」の本質とは何か?
タイミーの売りは、「好きなときに働ける」という点にある。確かに、短期的には便利だ。学業や家庭の事情でフルタイム勤務が難しい人、スキマ時間を活用したい人にとって、時間的な柔軟性は魅力的に映る。
しかし、この「自由」を行使したい人は実際には少数派ではないか? 多くの人は、単に「正社員として働きたくても働けない」から、もしくは非正規雇用の延長線上として「仕方なく」選んでいるのではないか。
個人の事情(家族の介護、病気、学業など)によってフルタイム勤務が難しい人にとっては、一時的な助けにはなるだろう。しかし、そこには「労働者としての尊厳」が抜け落ちている。
労働のパーツ化と孤独の労働
タイミーで働く労働者は、企業からすれば「必要なときに補充できる労働力」にすぎない。シフトが終われば関係はリセットされ、そこにコミュニティは生まれない。
普通の職場であれば、雑談を交わしたり、同僚と一緒に目標を達成したりする中で、「人間関係の複利」が生まれる。困ったときに助けてもらえたり、誰かのアドバイスを受けたりすることで、労働環境が「生きたもの」になっていく。
しかし、タイミーの働き方にはそうした要素がない。個々の労働者は、「人間関係のしがらみ」から自由になる代わりに、「人間関係の恩恵」も受けられない。困ったときに助けてくれる人もいなければ、職場の文化や温もりを感じることもない。そこには、ただ働いて対価をもらうというドライな関係があるだけだ。
「豊潤さ」が生まれない社会
タイミーは、「無駄を省いた効率的な働き方」を提供する。しかし、その結果生まれるのは、「乾いた社会」だ。
無駄がない、関係性もない、しがらみもない。だが、それは同時に、人間的な温かさもない働き方である。
人間が幸福を感じるのは、「誰かと一緒に何かを成し遂げること」によって生まれる。企業で働くことの意義は、単に給与をもらうことだけではなく、同じ目標に向かって努力する中で生まれる仲間意識や達成感にある。
しかし、タイミーの働き方では、それらが一切生まれない。そこには、労働者を「一時的な労働力」として切り売りする構造しかない。
タイミーは人を幸せにしない
一見すると「自由で新しい働き方」を提供しているように見えるタイミー。しかし、その実態は「人間関係から切り離された労働のパーツ化」にすぎない。そこにあるのは、しがらみのない関係の代わりに、「助け合いもない」「連帯感もない」「温もりもない」働き方だ。
「自由」とは、単に束縛がないことではなく、他者との関係の中で成り立つものだ。
タイミーが提供するのは、「孤独な労働」だ。そこに人間的な幸福が生まれる余地はほとんどない。
人が本当に幸せになるためには、単に「働く場所」や「時間の自由」があるだけでは足りない。