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自分で自分のこと優しいっていうな。 40代50代の未婚男よ。
未婚男の悲哀
こんにちは。このブログを読んでくださっている皆さん、ありがとうございます。今日は、私が観察してきた未婚の男性たちについて、少しお話ししたいと思います。特に、アラフォー世代に足を踏み入れた未婚の男性たちが感じているであろう悲哀について、女性目線から綴ってみます。
未婚の男性、とりわけ年齢を重ねた方々は、どこか生きづらそうに見える瞬間があります。社会からは「結婚できない理由があるのでは?」という目で見られがちで、その視線に敏感なのか、彼ら自身も過剰に自分を正当化しようとすることが少なくありません。
未婚男のありがちな言い分
未婚男性の多くは「自分の人生を自由に楽しみたいから結婚を選ばなかった」と語ります。その一方で、家庭を持つ友人たちが幸せそうな姿を見せると、どこか羨望の混じった視線を投げかけているのも事実です。そして、「自分の選択に後悔はない」と自信を持って語りながらも、その裏に隠された葛藤を垣間見ることもあります。
例えば、彼らの言葉には「結婚を考えたこともあったが、自分の価値観や生き方を優先した」といったフレーズが頻繁に登場します。でも、そこには何か言い訳じみた響きが感じられるのは私だけでしょうか。まるで、自分の選択を正当化するために言葉を紡ぎ出しているような印象を受けることがあります。
優しさを自称する未婚男
未婚男性が自分を「優しい」と評する場面に出くわすことがあります。でも、優しさや思いやりは行動で示すものであり、自分で声高に主張するものではありません。本当に優しい人は、相手のためにさりげない行動を積み重ねるものです。そんな当たり前のことを理解していない未婚男性に出会うたび、「本当に優しい人は、自分でそれを言わないよ」と内心突っ込みたくなるのです。
未婚だからこそ自由な時間があると言いながら、それを他人のために使おうとしない人もいます。彼らが言う「自由」とは、自分のためだけに使われることがほとんどです。だからこそ、時折見せる「他人を支えたい」といった言葉には実感が伴わないのです。
自分らしさの裏にあるもの
未婚男性が「自分らしく生きること」を主張する姿を見ると、その言葉の裏にどれほどの孤独や不安が隠されているのだろうと思わずにはいられません。もちろん、彼らの中には本当に自分の生き方に満足している人もいるでしょう。でも、すべての人がそうではないはずです。
家庭を持つという選択肢を選ばなかった結果、自由な時間や趣味に没頭できる環境を得たと胸を張る彼ら。しかし、その姿にはどこか「自分で選んだ人生に誇りを持とう」と無理に自己暗示をかけているような脆さも垣間見えます。彼らの語る「悲哀」は、自由の裏側に潜む現実そのものなのではないでしょうか。
未婚男の悲哀、それでも
未婚男の悲哀。それは、彼らが時に自分自身に課した選択によるものでもあります。もちろん、すべての人が結婚する必要はありませんし、彼らの価値観を否定するつもりもありません。ただ、外から見える姿には「もう少し柔軟になれたらいいのに」と思わせる部分が少なくないのです。
これからも彼らがどんな道を選び、どんな人生を歩んでいくのか。その行く末を、優しい目で見守るべきなのか、それとも少し距離を取って観察するべきなのか。答えは、私たち女性の側にもあるのかもしれません。