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「DUNE」 母

母が亡くなってもう何年経つのだろう。鏡を見ながら本当に私は母にそっくりになったと感じる。鏡の中に母がいるようで怖くなる。青白い顔にぞくりとする。

寒いクリスマスの夜。私は熱を出して寝込んでいたので母とは一緒に最後の夕飯、食卓を囲んでいない。写真は現在私が所持しているDiorのパルファムの一部だ。デューンは、ない。

母は死の少し前から壊れ始めた。アルコール依存。おそらく何らかの精神疾患を抱えていたのではないかと思う。

母が愛用していた香りはDiorの「DUNE」。
私は長年、CHANELの5番を愛用してきたがフレグランスマニアがこうじてたくさんのパルファム、トワレを持っていた。DUNEは華やか過ぎて私には似合わなかった。DUNE・・・砂丘。

母と最後に交わした会話は母自身の辛い過去、そして父にたいしての恨みつらみだったのをよく覚えている。私は激昂して泣きわめき、たったそのくらいで自分を可哀想だなんて思わないで!そんなこと私に、娘に話さないでくれ!私はあなたに話せなかったもっとひどい経験をしているのだ!それがわからないのか?  そう言って私は母を突き放した。

酒に酔ってはあちこちに電話をする母の心は、幼児期に止まってしまっていたのだろう。
・・・とても美しい顔立ちの女性だった。華やかなデューンは母によく似合っていた。

母は酔ってはリビングでよく転んで飼い犬のケージに落ち込んでいた。
亡くなったその夜はやはり酔っていたのだろう。父が真夜中、喉が渇いて水を飲みにリビングに行ったら母はケージに引っ掛かり宙吊りの状態だったらしい。

私は熱にうかされながら救急車の近づく音に胸騒ぎを覚えた。敷地内に救急車は停まった。

呼んだのは父ですか?母ですか?
階下に降りる勇気がなかった私は消防署に電話をかけた。

・・・振り絞るような答えがかえってきた。    お父様です。

携帯電話を握りしめたまま、階下の南のリビングに降りると父が必死に人口呼吸をしている。みるみる床が失禁した母の尿で濡れていく。あぁ、冷たい冷たい!冷える、冷たい!と私の娘が泣きながらバスタオルや毛布で痙攣している母を温めようとしている光景を私は呆然と見ていた。

死んでしまうのか?なぜ、あのとき黙って母の話を聞き流してやれなかったのか?どうしたらいい、どうしたら・・・。ただ立ちつくしていた。

母は搬送先の病院で亡くなった。小さな体の母は宙吊りで手も足も届かず吐いたものが喉に詰まって窒息死したのだ。

デューン。    砂丘。

病院から帰ってきた母は、きれいに洗ってもらっていて髪は手拭いで覆われ、死に顔も美しかった。

母の死化粧は葬儀社ではなく私が行った。丁寧に丁寧に生きていた時と変わらないように紅をさし、最後に「DUNE」をつけて。

棺に遺体を移すとき、父は号泣して母を抱き抱えて「俺をおいておまえはいくのか!どこに?どこにおまえはいくのか!たったひとりで・・」と冷たくなった母の唇に何度も接吻していた。連れ合いが先に逝くことってこういうことなんだ、と。父にとっては可愛い女だったのだろう、と。

棺には菊の花はいれないように頼んだ。菊はいれないで!嫌いだったから!
ユリ、バラ、蘭、他にたくさんの西洋の花たち。色鮮やかな花に囲まれた母の顔は花園の中の砂丘のようだった。白いおだやかな美しい顔・・・。むせかえるような花の香りとデューン。

母と私は衝突もしたし、私の心の病のひとつに母のこともあるのだ、と精神科医に言われてはいた。

だけど、早すぎるではないか。逝ってしまうなんて。仲直りすらできなかった。

葬儀では私は泣かなかったが火葬場で初めて泣きながら「焼かないで!お願い焼かないで!」と騒ぎ、父に「お母さんはうちの重油で焼くのだ、いいんだ!」と抱き締められてもまだ泣き叫んでいた。

Diorのパルファムにまだデューンはあると聞いている。

私は形見にデューンを持っていたが少し前に母の写真と一緒に処分した。

美しかった母。クリスマスの夜。

師走は嫌いだ。
母はクリスチャンでもあったようで、酔って泣いては「ハレルヤ、ハレルヤ」と呟いていた。

戒名は華岳明薫信女(かがくみょうくんしんにょ)。

美しかった母にぴったりだと感じた。
母にはこの年齢になって「もう一度会いたい」と思う。なぜ、戒名を忘れることができないのか。私の後悔が鮮やかな記憶と共にあとからあとから押し寄せてくる。

クリスマス。

街を歩いていて無意識にデューンの香りを探してしまう私がいる。

もう一度だけ会いたい。

ごめんなさいと謝りたい。

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姫崎ゆー
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