大原-隠棲の地を訪ねる(京都遊覧記)
京都遊覧記第7回。今回は、市中を離れて大原の地を訪れた。大原は西行法師や鴨長明など、歴史上有名な人物が出家、隠棲した地として知られている。今回は大原の寺院3カ所を訪れたので、そこを紹介する(後日、大原を再度訪れた模様も、いずれ投稿します)。
1.京都大原三千院
まず大原という場所について簡単に紹介。
地図の右上が大原と呼ばれる地域にあたる。前回訪れた鞍馬・貴船(以下にリンク掲載)とは山を隔てた地にあたる。大原をさらに北に行くと、福井県へと進む道へ繋がる。
というわけで、「♪京都大原三千院〜」と歌われている大原の代表的寺院、三千院へと向かう。
駐車場から坂道を数分登った先に、三千院をはじめとした大原の寺院は位置する。
三千院に到着。三千院は、妙法院、青蓮院と共に天台宗三門跡の1つとなっている。山奥の誰かさんの別荘に来たような心地がする。
聚碧園と呼ばれる池泉庭園だ。夏真っ盛りの季節に訪れたため、青々と植物が繁っている。緑という色はなぜ、ここまで人を落ち着かせるのだろうか。
こちらは有清園と呼ばれる庭園だ。杉や檜などの大木が並んでおり、とても幻想的な景色だ。この苔だらけの地面にゆったりと寝転んでみたい(もちろんそんなことはしてはいけないが)。「当分、携帯は切ったままにさせてください」と「そうだ 京都、行こう。」のCMで表現された理由もわかる気がする。この地では時間という概念も消え去り、ただ、この地でゆっくりしていたいという気持ちにさせられるのだ。
有清園には池もあり、これもまた、境内にコントラストを加えている。
さて、三千院を後にして、次なる目的地へと向かう。
2.額縁の庭園〜宝泉院
三千院の参道を奥に進み、突き当たりを曲がると次なる目的地宝泉院が見えてくる。
お茶でも飲んで、一休みしますか。
お茶を飲みながら、壮大な庭園を眺めることができるのが、ここ宝泉院だ。
これだけの大木となると、手入れにどれくらい時間がかかるのだろうか、毎日手入れをしている方には頭が上がらない。
うまく撮れる時には、このような写真が撮れるらしい。四季によって様々な姿を見せる宝泉院、是非ともまた行ってみたい。
帰りには、大原名物アイスきゅうりも食べました。きゅうりのみずみずしさが、とてもいい。いくつでも食べられそうです。
3.建礼門院隠棲の地〜寂光院
寂光院は、三千院を中心とした天台宗の寺院群からは離れた所にある。三千院から歩いて20分ほどで、目的地寂光院へと辿り着く。平家政権に担ぎ出された安徳天皇の母建礼門院は、源平合戦の最終決戦・壇ノ浦の戦いで、息子の安徳天皇と共に入水を図った。しかし、源氏方の兵士にたすけられ、この地で出家し生涯を過ごしたと伝わっている。
そういえば大原女もここの地域の人たちなのかと再発見。室町時代に商人として活躍していた大原女の「大原」とはここだったのか。京都には様々な学びが眠っている。
このように落ち着いた場所で、建礼門院は何を思っていたのだろうか。かつての歴史に、足が向く。
建礼門院の庵があったと推定されている地だ。人の目を気にせず、ゆっくりとなる時間が彼女には必要だったのかもしれない。父親平清盛率いる平家一門の滅亡、息子安徳天皇の死、彼女はこの地で亡き彼らを思ったのであろうか。歴史の流れに揉まれた彼女の最後の地、寂光院は今も変わらずその姿をとどめている。
4.つづく
この大原訪問のおよそ2ヶ月後に私は再び大原を訪れた。その模様についてはまた、折々紹介することとして。
私も一度は、このような土地に住み、いろいろ思索に耽ってみたいものだ。
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