帰ってきた大原
京都遊覧記第13回。大原に再び足を運びました。前回の模様は以下の記事に記されています。
今回は、前回訪れられなかった大原にある3つの寺院を訪ねる。
1.来迎院〜大原の醍醐味
前回訪れた三千院から奥に進んだ地に、来迎院は位置する。
自然のエネルギーというものを、はっきりと感じることができる。
来迎院は天台宗の僧・円仁が声明(しょうみょう)の道場として創建したことに起源をもつ。声明とは、仏教音楽に節をつけることで、民謡、浄瑠璃、今様といった日本の伝統芸能へと橋を架ける役割を果たした。
本堂。来迎院は勝林院(後述)と共に声明の聖地として栄えた寺院であった。京都の奥地だからこそ、感じられる落ち着いた空間。大原の静かで、荘厳な雰囲気に酔いしれてしまった。
2.実光院〜大原を望む
続いて訪れた寺院は、実光院。三千院から少し歩いた場所にある。
勝林院(後述)の子院として創建された。
水を引き込んだ庭園。小さな世界を表しているようで、なんだか好きな庭園。奥行きもあり、1つ1つを丁寧に観察したい。
借景に大原の山を取り入れている。壮大な場所へやって来たようだ。
茶室もあった。久しぶりにお茶を点てたい気持ちが湧き上がってくる。
空間が最大限に活用された実光院。東西南北、ありがとうございました。
3.勝林院〜声明の聖地
お待たせしました。勝林院について話します。勝林院は、実光院からさらに奥、突き当たりに位置している寺院です。来迎院と共に、声明の聖地として知られています。
正面図。左右対称なんですかね?綺麗な比。
鎌倉時代初期には、天台宗の僧・顕真と浄土宗の開祖・法然が論争を繰り広げた地として知られている。顕真が法然に対して、浄土宗についてのあれやこれやを問い質した時に、本尊・阿弥陀如来が光り始めたというのだ。誠に信じがたい話だが、これを以って法然の主張は正しい、と裏付けられた。以来、本尊の阿弥陀如来は「証拠の阿弥陀」と称されている。
宝蔵には様々な貴重資料が眠っているらしい。以前、歴史番組で紹介されていた。
今回紹介した3つの寺院は、いずれも魚山という山号を持っている。「魚山」とは、中国にある声明の聖地のことらしい。それぞれの寺院の山号を知ることで、また新たな一面を知ることができそうだ。
それでは。